【偽善宗教を日本は受け入れない】
彼らは貧しいが、それを氣にもしない。穏やかで礼儀正しく好奇心に富む。ただ彼らの名誉にかかわる時は命も惜しまない、と訪日した異人は語った。

それに「正義心」も強く「だから奴隷を酷使するオランダ人を心から憎んだ」とスウェーデン人ツュンベリーは記録する。

米国はそんな日本に喧嘩を売り、無差別爆撃をやり、原爆まで落として三百万人を殺した。米国の悪い癖は、自分はいつも正義で、悪いのは相手だと言い張る事だ。

終戦時に、残忍なのは米国なのに「日本が残忍な侵略國家」で「その狂氣は危険なカルト神道に根差す」と規定した。

マッカーサーは「神道は邪教として迫害する」旨の総司令官命令を出し、彼が創った憲法に「政教分離」を明示させた。ここの「教」とは「神道」だけでキリスト教や仏教は入らない。

天皇にも神道からの改宗を迫り、皇太子の家庭教師にクエーカー教徒バイニング夫人を押し付けた。日本人はその非礼に言葉を失った。更にはキリスト教普及を職権で遂行する。

終戦の年の十一月二十日、大戦で散華した将兵の霊を慰める大招魂祭が執り行われ、天皇陛下もご臨席させ三万人が参拝した。するとマッカーサーは靖国神社の焼き払いを思いつく。

それで法王庁日本代表の上智大学教授ブルーノ・ビターに命じたが、彼は真面なドイツ人で拒否した為に靖国は残った。

キリスト教普及もうまく行かない。大量の宣教師投入で「二千万人を信徒にする」つもりだったが、日本人はキリスト教の偽善を出島の昔から知っていた。

宣教師のベルメルシュ神父は、日本で女遊びにふけり、日本人スチュワーデスと情交の後、殺して善福寺川に捨てた。目撃者もゐて逮捕寸前に、修道会は彼を国外に脱出させる。キリスト教の本性を晒した事件だった。

ミッション系の出身の妃殿下が一度キリスト教の教えに言及された時に、昭和天皇が厳しくたしなめられたという話が伝わる。

陛下は日本の根幹たる神道を邪教扱いした米国もマッカーサーも、キリスト教も決して好まれなかったように思われる。

以上「日本警世」高山正之著より

続いて「頂門の一針 6892号」より転載します。

【蓮舫氏は批判ばかりか?】 【阿比留瑠比の極言御免】 令和6年6月6日

「何かあったら蓮舫は批判ばかりというが、そうでしょうか」

 東京都知事選(20日告示、7月7日投開票)への無所属での立候補を表明している立憲民主党の蓮舫参院議員が2日、東京・有楽町で行った街頭演説で述べたこの言葉が気になっている。批判以外に何があったというのだろうかと─。

[なぜ都知事なのか]
 平成21年11月の事業仕分けで、スーパーコンピューター「京(けい)」について「世界一じゃないといけないのか。2位じゃダメなんでしょうか」と突きつけたことはいまだに語り草である。

 22年には国会議事堂内でファッション雑誌の写真撮影に応じ、一応陳謝はしたものの問題をすり替え開き直ったのも印象深い。

 「議員はさまざまな手段で情報を発信している。その一つの手段として、雑誌の取材に応えることは大切だ」

 極めつきは、「外国の国籍離脱に努めなければならない」と定める国籍法を順守せず、自分がどの国の国籍を持つかも把握しないまま、天皇が任免する認証官である閣僚まで務めたことだろう。産経新聞が疑問点を指摘しても「意味が分からない」とごまかしていた台湾との「二重国籍」問題である。

 これも大きな要因となって民進党代表を辞任したわけだが、それが実績だとはまさか言うまい。

 確かにいろいろと思い浮かぶが、いずれも「批判ばかりではない」と胸を張れるようなエピソードとはいえまい。

 蓮舫氏は政治家になる以前は「女優になりたい」「元弁護士志望」「大事なのはキャリア」「しゃべりでやっていく」中国に携わる仕事がしたい」「仕事の中心は執筆業」・・・などと自身の将来像を語っていたが、その行きつく先がなぜ都知事のいすなのか。公約が未発表なので判断しようがない。

 そんなことを思い返しながら書店をのぞくと、『若者が選んだ安倍晋三100の言葉』(安倍晋三デジタルミュージアムプロジェクト)という本が発売されていた。早速手に取ると、30番目に安倍元首相が平成25年3月の防衛大学校卒業式で述べたものとして、次の言葉が挙げられているのが目についた。

[落ち着きない質問]

 「批判するだけの人間に、価値はありません」

 正確には、安倍氏が次のように米国のセオドア・ルーズベルト元大統領の言葉を引用して卒業生に贈ったもので、「批判」ではなく「批評」だが、言わんとする趣旨は同じだろう。

 「批評するだけの人間に価値はありません。真に称賛しなければならないのは、泥と汗と血で顔を汚し、実際に現場に立つ者です。勇敢に努力する者であり、努力の結果としての過ちや、至らなさをも持ち合わせた者です」

 これは別に蓮舫氏のあり方を指摘したものではないが、安倍氏は実際、筆者に蓮舫氏の国会質問のスタイルについて、あきれてこんな感想を漏らしていた。

 「攻撃はしても、落ち着きがない」

 「批判の言葉だけ毎日考えているけど、うまくいかない」

 と、ここまで書いて思い至ったのは、これは独り蓮舫氏だけではなく、大方の立民議員にも共通しているということである。

 政府・与党を批判するのが野党に仕事という部分はあるが、それ一辺倒で自らを省みないのではうんざりする。批判ばかりではないというのであれば、もっと前向きで建設的な姿を見せてもらいたい。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆  松本市 久保田 康文   産経新聞令和6年6月6日号採録