【戦後左翼の正体】
 戦後左翼の正体「安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」と言う人々の正体を探ってみれば、、、

■1.「言葉の暴力を平気で振るうような人間たちに、『平和』を語る資格はどこにあるのか」
8月30日、安全保障関連法案に反対する国会周辺の集会で、山口二郎・法政大学教授が、以下の発言をしたと報道されている。
__________
昔、時代劇で萬屋錦之介が悪者を斬首するとき、『たたき斬ってやる』と叫んだ。私も同じ気持ち。もちろん、暴力をするわけにはいかないが、安倍に言いたい。お前は人間じゃない! たたき斬ってやる! 民主主義の仕組みを使ってたたき斬ろう。

安全保障関連法案に反対なら、現在の中国の軍事膨張に対して、どう日本を守るか、という対案を示すべきなのに、そのような政策論議はまるでなく、国民が「民主主義の仕組み」に従って選んだ首相に、品位も論理もない悪罵を投げつけるだけである。

石平氏は「言葉の暴力を平気で振るうような人間たちに、『平和』を語る資格はどこにあるのか」と批判した上で、自らの経験に照らして、こう語る__________
今から26年前、私の世代の多くの中国人青年が北京の天安門広場でそれこそ命がけの民主化運動を展開した。しかしわれわれは、本物の独裁者のトウ(登におおざと)小平に対しても「お前は人間じゃない」といった暴言を吐いたことはない。

われわれはただ、民主化の理念を訴えただけだった。だから、民主化運動がトウ小平の解放軍に鎮圧されたとしても、われわれには誇りが残った。

国会前で「言葉の暴力」を振るう日本の戦後左翼と、天安門で民主化を求めて立ち上がった中国の青年たち[a]とは、姿形は似ているが、その正体は全く異なる。戦後左翼の足跡を辿ってみれば、彼らの正体が見えてくる。

■2.60年安保闘争の挫折
戦後左翼のピークは、昭和35(1960)年の安保闘争だった。同年5月19日に岸信介内閣の安保条約の改正に反対して、100万人が国会を包囲した。この時、岸首相は「国会周辺は騒がしいが、後楽園球場は満員だ」と言い放ったが、その言葉通り、一般国民は当時から安保改正を支持していた。

この年の参議院選挙で社会党は敗北し、岸内閣は支持率34%と、安保改正賛成が国民の多数派だった。新安保条約が自然成立して岸内閣が総辞職し、後継の池田勇人首相のもとで行われた総選挙でも、自民党は300議席を超えて圧勝した。

後に、岸は「安保改訂がきちんと評価されるには50年はかかる。あのときは俺は一握りの人たちとマスコミだけが騒いでいると思っていた。ああいうふうに騒いでいる連中だって、そのうちきっと安保改訂をありがたいと思う時期がくるよ」と語った。

その言葉通り、半世紀後の平成24(2012)年の内閣府世論調査では、「日米安保条約が日本の平和と安全に役立っている」と考える人の割合は81.2%にも達している。

安保改定への左翼の批判は「安保で日本はアメリカの戦争に巻き込まれる」というものだったが、半世紀経っても日本はアメリカの戦争に巻き込まれておらず、逆にかつてのソ連や現在の中国に対する抑止力を得て、日米同盟は戦後日本の平和に寄与している。

戦後左翼の安保反対デモは、政治的主張としては誤りであり、国民の支持も受けていなかった。「一握りの人たちとマスコミ」がデモという物理的な力で、民主選挙で選ばれた政府の決定を暴力で覆そうとした闘争であった。

以上2015年9月7日配信記事より再信

続いて「頂門の一針 6872号」より転載します。

【国会議員資格試験】

【大手町の片隅から】「国会議員資格試験」が政治を変えるかも 現職議員はほとんど落第!? 乾正人 

 フェイスブックやX(旧ツイッター)をやらない身にとって、読者からの手紙やはがきは、激励であれお叱りであれ、誠にありがたい。

 ありがたい、と書いておきながら、ほとんど返事を出せていないのは汗顔の至りだが、つい最近、都内在住のAさんからお寄せいただいた提言には、思わず膝を打った。

[Aさんからの手紙]

 Aさんは、国会論戦のほとんどの時間を「政治とカネ」の問題に取られ、安全保障や少子高齢化といった喫緊の重大課題に政治家はしっかりと取り組んでいない、と嘆く。

 「このままでは、日本は三流国に転落する」と強い危機感を抱くAさんは、次のように提言している。

・有為でない人材集団が国家の統治権を握ると、国が傾く。「失われた30年」は当然の帰結である↓

無能で倫理観に乏しい個々の政治家を非難・揶揄(やゆ)しても意味がない
政治家の魅力度が低いため人材が集まらず、世襲が常態化している
政治家に有為な人材が集まるようなシステムを早急に構築すべきだ

おっしゃる通りである。

 今も昔も医学部を目指す「できる高校生」のなんと多いことか。医学部は最低6年間学校に通わねばならず、私学はべらぼうな学費が必要だ。それでも志望者が絶えないのは、高額の学費を払っても回収できる高収入が期待でき、医師になれば世間から一目置かれるからだ。

 文系では、かつて東大法学部から官僚になるのがエリートコースだったが、平成時代に入ってから「政治主導」が進み、官僚の地位が凋落。「できる東大生」は霞が関を見限り、外資系会社やコンサルタント業界に人材が流出してしまった。

[「有為な人材」を永田町に]

 進学率が低かった戦前、大学生は「末は博士か大臣か」ともてはやされ、「職業としての政治家」は羨望の的だったが、いまや「将来は総理大臣になりたい」とでも口走ろうものなら「大丈夫か?」と親や友達が心配するほど。政治家を目指す大学生や高校生は、絶滅危惧種になってしまった。政界が慢性的な人材難に陥ったのも無理はない。

 では、どうすれば「有為な人材」が永田町を目指すようになるのか。Aさんに刺激され愚考してみた。

 思いついたのが、「国会議員資格試験」の導入だ。一般知識や公職選挙法など関連法、マネジメント能力を測るもので、思想信条に関する問題は外し、高得点者を「国会議員の資格あり」と認定するものだ。

 医師や弁護士、不動産鑑定士など学生に人気の職業は、試験に合格しなければなれない。逆にいえば、試験という明確な指標があるから人気になっている面もある。しかも世の中に「資格マニア」は結構いる。

 衆院選の場合、立候補できる条件は、日本国民で満25歳以上のみ。誰でも出馬できる点は、実に素晴らしいが、「不適格者」も実に多い。

 「資格試験合格」のお墨付きがあれば、学歴以上に投票の大きな目安になる。もちろん試験に落ちても立候補できるようにせねばならぬ。だって、現職議員が試験を受ければ、ほとんど落第しそうだからね。(コラムニスト)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 松本市 久保田 康文  産経新聞令和6年5月17日号採録