【110番はお悩み相談ではない】
警察は「110番はあなたの味方」と緊急時の通報に躊躇わないように呼び掛けたい筈です。

しかし非常識な市民に「なんでもかんでも110番は止めて」と逆の事を言わねばならないだ。

静岡県警によると2022年には約20万弱の110番通報の内、3割近くが「不急不要」と判断された。
「コンビニに携帯電話を忘れたので店の電話番号を教えて欲しい」
「家の前に動物の死骸がある」
「テレビが映らない」
「間違ってシンクの下に飼い猫が入ってしまった」

更には「便が出ない」と毎日相談してくる人まで居るそうだ。まるで「町のよろず相談所」の有様である。

市民の生命・財産を守る警察の業務を妨げる行為は絶対に避けねばなりません。何故なら自分で自分の首を絞めているようなものだからです。

110番通報すると最初に「事件ですか、事故ですか」と聞かれます。その時に即座に応えられないのであれば不要不急と言う事である。

何も考えない人は死骸を見つければ「犬の『事故』発生」と言うのだろうか。

ウンコが出なければ「私にとって大『事件』だ」と意に介さないのだろうか。

以上「大常識」百田尚樹著より

続いて「頂門の一針 6866号」より転載します。

【「平和の社」としての靖国】   【阿比留瑠比の極言御免】

 明治天皇が命名された靖国神社の「靖国」という社号は、「国を靖(安)んずる」ことを意味し、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められている。靖国神社の社報「靖国」5月号が掲載した大塚海夫宮司の「就任のご挨拶」を読み、久しぶりにこの原点を思い出し、考えさせられた。

[日本人の心を体現]

 4月1日に自衛官出身者として2人目の宮司に就任した元海将の大塚氏は、防衛省情報本部長や、海賊対処のため自衛隊拠点が置かれているアフリカ東部ジブチの大使などを歴任した人物である。

 冒頭の連想は、大塚氏が「ご挨拶」で次のように「平和」という言葉を繰り返していたことによる。

 ≪防衛と外交で平和の為(ため)に尽くしてきたこれまでの人生を振り返りつつ熟慮した結果、不束(ふつつか)な私でも僅かなりともお役に立てることがあるのではとの考えに至り、「平和の社(やしろ)」たる靖国神社にご奉仕する決心をした次第です≫

 ≪身命を賭(と)してでも平和を守り抜く覚悟が求められる人生を歩んだことで、英霊がどのようなお気持ちで戦地に赴き、戦い、そして散華して行かれたかを、僅かなりとも理解できる≫

 ≪神社が体現する「平和を愛する日本人の心」を広く国の内外に伝えて参りたいと思っております≫

 靖国神社をめぐるさまざまな政治的・イデオロギー的な報道の中で忘れられがちだが、靖国神社とは戦没者を追悼するとともに平和を祈念する場だということが伝わってくる。

 大塚氏がいう「平和を愛する日本人の心」に関しては、多くの国民が納得するところだろう。もとも、憲法前文にある「平和を愛する諸国民」の中からは、政府の解釈によると日本人は以下のように排除されているのだから皮肉である。

 「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼』をするというわけだから、他人を信頼するわけで、日本国民は入らない」(昭和56年3月11日、角田礼次郎内閣法制局長官の答弁)

[トランプ氏参拝は・・・]

 わが国の憲法は、「平和を愛する日本人の心」を認めていないわけである。ともあれ、安倍晋三元首相も平成25年12月26日に靖国神社に参拝した際、こんな談話を出している。

 「今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子供たちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れた沢山の方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」

 極めて真っ当なことを述べているにもかかわらず、以後は首相による靖国神社参拝が内外からの批判を避けて途絶えたのは、靖国神社が平和を祈る場所であることが、十分理解されていないからではないか。

 その理解のためには、日本と戦った当事国である米国の大統領を連れて行くのが手っ取り早い。そう考えて、安倍氏に来日するトランプ大統領(当時)と一緒に参拝できないものかと何度か聞いたことがある。返事は次のようだった。

 「そうなれば一番いい。ただ、スタッフがいるから難しい」(平成29年2月22日)
 「今回は無理筋だ。これは至難の業なんだよ。みんなが思っている以上にね」(令和元年5月25日)

 靖国神社に偏見を持つバイデン大統領は無理だろうが、トランプ氏が再登板した場合には、何とかうまく連れて行って、ともに平和を祈れないものかといまだに夢想している。(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆     松本市 久保田 康文  産経新聞令和6年5月9日号採録