【欧米は野蛮国家が進歩しただけのこと】
(読者の声3)9月18日通巻第2718号、宮崎先生のきついお言葉、「欧米は野蛮国家が進歩しただけのこと、その人間の振る舞いや頭の思考回路は依然として野蛮のままです。」
じつに端的ですね(爆笑―苦笑)。

白川静さんが、「ヨーロッパ系の諸族は、早くから漂泊をくりかえし、存亡を重ね」た、と指摘しておられるように、戦争と流血は数千年来のかれらの運命。
ここから、キリスト教の壮大な世界観や、国際社会のルールを成長させた功績は輝かしい。でも、思考回路の究極は、いぜんとして野蛮な戦争・戦場の論理。

「第一次大戦時、ベルギーの中立を侵犯したことに対し、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世は、‘必要は法を知らない’と述べましたが、その通りだと思います。」(佐藤優「獄中記」から)。

だから、たとえばインチキな東京裁判が正当で、旧日本軍の戦争犯罪が不動の事実とされるのは、法律論、事実論の問題ではなく、戦場の論理の延長で彼らの根源的な思考回路に由来するとも思われます。自由か奴隷か、というのが彼らの歴史の基調では?

安定した社会の日本の伝統では、自由は「自由奔放」の自由のほか、「守破離」という王道をつうじて到達すべき、という観念もあった?
     (石川県、三猫匹)

(宮崎正弘のコメント)アメリカ人の強迫観念といっても良いでしょうね。よく米国へ行っていた頃、学者と議論になると、「それは陰謀論だ」「それは修正主義だ」という決めつけで挑んできました。前置詞は「バーバリアン・ジャパニーズ・アーミィ」とか。

 話していて、気脈が通じるのは共和党保守派のひとびと、民主党のリベラル派は、最初から決めつけの論理で洗脳されていて、ああ、この人たちは日本の左翼小児病患者と変わらないな、という感想でした。
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 現代ブラック・ジョークを集めました!
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 (共産主義賛美のコトバ集)      (編成 TK生、世田谷)

・野溝勝【左派社会党参議院議員】ら訪ソ議員団
「『戦犯』たちの待遇は決して悪くはないと言う印象をうけた。一日8時間労働で日曜は休日となっている。食糧は一日300gとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気がくばられているようだった。」
出典元:1955年10月6日『朝日新聞』より

・大内兵衛【法政大学総長:故人】
「ロシアの経済学は、20世紀の後半において進歩的な特色のある学問として世界の経済学界で相当高い地位を要求するようになるだろう。…こういう歴史の変革のうちに経済学者としていよいよその光彩を加える名はレーニンとスターリンでありましょう。」
出典元:大内兵衛『社会主義とはどういう現実か』(1956年)より
「ハンガリアの国の場合は、われわれよりももっと…(笑)。われわれもどうだか分からないが、われわれよりももっと(引用者注:政治的成熟度の)程度が低かったということがあると思う。」
「ハンガリアはあまり着実に進歩をしている国ではない。あるいはデモクラシーが発達している国ではない。元来は百姓国ですからね。」1957年4月号『世界』より

・野上弥生子【作家】
「しかしこの腕力沙汰(引用者注:ハンガリー動乱のこと)も、英仏がスエズで振るった暴力(引用者注:スエズ動乱のこと)とは別だという考え方を、私は変えようとはいたしません。彼らはなんと弁解しようともエジプトをあらたに植民地化して、一世紀にわたって握ったスエズ運河の利権を手放すまいとするのであり、片方のロシアといえば、第二次戦争の後漸くできあがったハンガリアの人民民主政体(引用者注:共産党一党独裁体制のこと)がもう一度独占資本家、地主、ファッシズムと民族主義をいっしょくたにしている軍人(引用者注:戦前のハンガリー王国摂政のホルティ・ミクローシュ提督のこと)の支配に―私たちだってそんな目にあうのは御免ですが―逆転しようとするのを、少々粗暴に引き戻そうとしたわけで、同じく動乱の名で呼ばれてもエジプトのは後ろ向き、ハンガリアのは前向きといわれましょう。」1957年1月号『世界』より

以上過去の「宮崎正弘の国際情勢解題」より

続いて「頂門の一針 6863号」より転載します。

【皇位継承の真の意義】

<正論>男系による皇位継承の真の意義 皇学館大学特別教授・新田均 

 自民党は、政府の有識者会議が令和3年に示した皇族数を確保するための報告書に対する見解をまとめ、衆参両院議長に提出した。これによって主要政党の見解が出そろい、衆参両院正副議長の下に各会派の協議が開かれて、国会としての見解をとりまとめる作業が始まることになる。その核心は皇族数を確保して安定的な皇位継承を実現することにある。それに関して神道学の立場から見ての要点を述べたい。

 周知のように皇位は例外なく男系で継承されてきた。これを女性蔑視や女性排除とする議論があるが勘違いも甚だしい。現在、世界の人口は約80億人だが、男性はその半分強、女性は半分弱である。その40億強の男性の中で、日本の天皇になれるのは僅かに3人、皇統に属する秋篠宮殿下、悠仁殿下、常陸宮殿下のお3方だけだ。皇統に属さないその他の男性にとって、男系継承は特権でも何でもない。それどころか男性は、たとえ日本人であっても、皇族女性と結婚しても、日本の皇族にはなれない。天皇の父にはなれず、摂政にもなれない。

 ところが全女性は国籍に関係なく、結婚により日本の皇族になれる。天皇の母にもなれ、場合によっては摂政にもなれる。この事実に照らせば皇位の男系継承によって差別され、排除されているのは男性の方である。女性はむしろ尊重され、歓迎されている。この男性排除の理由は何なのか。それこそが皇統の本質と、それを守るとはどういうことなのか理解する最大のポイントなのだ。
[男系で受け継がれるもの]

 では男系によって受け継がれるものは何なのか。それは祖先神を祀(まつ)る祭り主の地位だ。これが古代の考え方で、この観念を示す興味深い物語が『日本書紀』に記録されている。第10代崇神天皇の時に災害が続いたので、それを鎮めるために占いをしたところ、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)に大物主神(おおものぬしのかみ)が乗り移って自分を祀るように言った。

 そこで崇神天皇が祭祀(さいし)を行ったが一向に効き目がない。そこでもう一度祈ったところ、崇神天皇の夢に大物主神が現れて大田田根子(おおたたねこ)に自分を祀らせよと告げた。そこで大田田根子を探すと、大物主神の子孫であることが分かり、彼の祭によって災害は治まり、五穀が豊かに実った。つまり祭祀が神に通じるためには、祭り主は祭神と男系で結ばれていなければならず、たとえ、天皇が祈っても男系で(つな)がっていなければ通じない。

 これは、古代の東アジアでは共通の観念で、男系のことを「氏」といい、各氏を区別するための名称を「姓」といった。中国人や韓国人の姓は、今でもこの観念に依拠しており、姓は結婚しても変わらない。結婚しても実の父親は変わらず、血筋も変わらないからだ。これは古代の日本でも同様で、代表的な姓は「源・平・藤・橘」。源の頼朝、平の清盛といった「の」が付く呼び名がそれだ。この観念が結婚後も続いたことは、臣下で初めて皇后となった光明子が、皇后になってから16年たっても自らの文書に「藤三娘」(藤原氏の三番目の娘)と署名し、
「積善藤家」(藤原氏のために善を積む)の印を用いていたことからも窺(うかが)える。

 この「姓」に対して、現在日本人が用いているのは「苗字(名字)」で、古代末期から使われ始め、財産・地位・職業を継承していく集団である「家」を表す。したがって、結婚して同じ家を守ることになった男女は同じ苗字を名乗る。この家の継承においては男系の血筋は二の次で、家を守れるだけの能力が重視された。そのために、娘に婿をとって家を継がせるとか、場合によっては夫婦とも養子ということさえ行われた。
[男系否定の底意見抜く必要]

 近世までの日本では「氏(父系)」の観念と「家」の観念とは併存していた。例えば徳川家康は正式の名乗りは「徳川 次郎三郎 源朝臣(あそん) 家康」で、徳川という家の、源という男系の、家康という個人だった。この併存は明治になって終止符が打たれ、日本人の名乗りは苗字に統一されてしまう。つまり娘が家を継承しても血は繋がっているという感覚は、近代以降の新感覚で、いわば「創られた伝統」なのだ。今の国民に、皇位の男系継承が理解しにくく、女性宮「家」を創設して女系で皇位を継承してもいいではないかという意見が
出てくるのはここに由来している。

 天皇の地位の最終的根拠は男系にある。その否定の先には、「祖先神を祀る資格がないのだから、天皇の信仰も自由でいいのではないか」。その先には、「天皇にも婚姻の自由、居住の自由、参政権、職業選択の自由といった人権を認めてもいいのではないか」。そして、最後に待っているのが、「もはや天皇も国民と変わらないのだから、天皇という特別な地位は必要ない」との天皇否定論だ。女性宮家容認を主張する人々の中に、本心では天皇否定の人物が交じっているのはこのためだ。その底意を見抜く知恵が国民に求められている。

☆☆☆☆☆☆☆  松本市 久保田 康文 産経新聞令和6年5月6日号採録