【日本の漢字の意味】
終戦後、GHQが入ってくると、作家の山本有三や土岐善麿らが「日本では漢字が濫用され、これが軍国主義を形成した。
従って漢字教育は軍国主義の復活につながる」などと主張しました。

全く意味不明としか言いようのない主張ですが、英語圏で暮らすGHQの職員らには、なるほど日本語は難しいのでしょう。
山本有三らの主張が相まって、昭和21年には当用漢字が指定されました。


「X」が上下に二段並んでいますが、これは人の手で、両側にあるのが大人たちです。つまり「學」という字は、複数の大人が、みんなでひとりの子を立派な人にするために「引っ張り上げる」という意味を持つ漢字であったわけです


上にある「X」の部分が、大人を意味します。その下に子がいます。そして、つくりの部分は、右手で殴ることを意味する象形です。
要するに、子の成長と未来に責任を持っている大人が、立派な大人になるように子を殴りつけでも成長させるというのが「敎」という昔の字なのです。

成 「丁」は釘の象形で、これに「戈」と書いてありますから、戈で釘を打ち付ける、つまり、成形するという意味の漢字となっています。つまり、この字の本来は、「ノ」と「丁」を書いてから「戈」と書くのが良いのです。

禮「禮」は「示(しめす)へん」に「豊(ゆた)か」です。つまり、おじぎをしたり、お礼を言ったりする礼というのは、相手にわかるように、はっきりと豊かにそれを体の動きで示す、だから「禮」だったわけです。

徳 もともとの古字は「彳悳」で「彳+直+心」でした。
彳(ぎょうにんべん)は、進むという意味がありますが、要するに真っ直ぐな心で進む(生きる)ことが、徳の意味だとわかるわけです。
ところがこの字は、直の目の部分が横倒しにされてさらに直の「L」の部分が簡略化されて「一」になり、「德」と書くようになりました。

以上過去の「ねずさんのひとり言」より

続いて「頂門の一針 6862号」より転載します。

【危機意識薄い「陸自訓練場」】

報道に異議 新聞に喝! 国防ジャーナリスト・小笠原理恵 

「戦争は何の前触れもなく始まることを日本人は知っているのか?」。ある退役軍人から質問された言葉が忘れられない。ロシアのウクライナ軍事侵攻、イスラム原理主義組織ハマスによるイスラエルへの攻撃、1月の北朝鮮による韓国側境界線付近への200発以上の砲弾発射…。どれも突然に発生した事例だ。

4月には、イランがイスラエルに向けてミサイルを発射したと通告。イスラエル軍は、300以上の無人機(ドローン)やミサイルが発射されたとしたうえで「99%を迎撃した」と発表した。この規模の攻撃が日本に降り注いだときに、イスラエルのように迎撃できるだろうか。

中国の軍事的脅威が高まり、南西諸島の防衛力強化が急がれる中、沖縄県うるま市のゴルフ場跡地での陸上自衛隊訓練場整備計画が取りやめになった。これまでの新聞報道には訓練場の必要性を訴える論調がほとんどみられず、違和感を覚えた。

朝日新聞は4月12日付で、木原稔防衛相による整備計画の白紙撤回表明を報じる一方、地元市民グループの共同代表が「国はあまりにも横暴に地域に踏み込んできた。怒り心頭だ」と憤慨する言葉を紹介した。

その後、沖縄タイムスは、陸自石垣駐屯地で24日に行われた公道での災害物資輸送訓練(徒歩行進)について、「行軍 戦争の道」と書かれたプラカードで抗議する人がいたと報じた。これに対し石垣市長らが横断幕で自衛隊を出迎え、歓迎したことも大きく報じてほしい。

自衛隊の訓練などへの賛否の反応ばかりに気を取られてしまうと、自衛隊が必要とされる軍事侵攻や有事への認識、その対処に向き合う機会を失う。軍事侵攻での爆撃やドローン攻撃の恐怖は想像できない。戦災で生活の場を失い途方に暮れている人々の様子をテレビで見ても、それは対岸の火事であり、自分たちには関係ないと考えるのだろう。


大震災や津波の惨状とその経験談は繰り返し報じられる。しかし、日本では戦災時の人体損傷の様子や応急処置、避難方法や軍事攻撃下での食料や水の確保方法などを具体的に伝える報道や番組はほとんどない。知らないことには人は関心を持たないから、国民保護用のシェルター設置も進まない。

北朝鮮と対峙(たいじ)する韓国では空襲を想定した避難訓練があり、戦災時に何が起こり、どのような行動をとるのかを国民に知らせる教育の場がある。今の日本にこの機運がほしい。戦災時に何が起きるか、どうするかを具体的に伝えるメディアがないから、自衛隊の練度を高める訓練場の必要性も理解してもらえないのではないかと思う。

小笠原理恵(おがさわら・りえ)