【愛ある者は勇敢である】

かつて日本では、武家はもとより商家でも農家でも「家の盛衰は女性にかかっている」とされました。
主婦の責任は重大だったのです。戦後、家社会が崩壊し核家族化が進むほど、こうした事は古い因習と片付けられるようになりました。

明治女の中では、どちらかと云えば「新しい女」に属する白洲正子さんは、主婦として務め上げた祖母や母の世代の女性を「立派な頼もしい人達」であったとし、次のように述べています。

「彼等は私達ほどに勉強もしませんでした。男女は同権でもありませんでした。
それにも関わらず、押してもついても動かない、非常に強いものを持って居ました。
純粋に家庭の人としての生活の中から、私達のいい加減な学問や教養が教える以上の事を、物を、彼等は確かに得ていました。

そして一人の人間として、全く男と同等の力と、責任を感じていたに違いありません。
そうです、つまり無責任なのです、現代人は。誰に対してでもありません。まったく自分自身に対して、責任を果たしていないのです」

「結婚しても自分らしさを失いたくない」と云う女性はたくさんいますが、一見、自分を大事にしているようでいて、実はそうではないのでしょう。

健全で明るい家庭を築き運営していくには、夫婦が一致協力していかねば為りませんが、その基本、土台のようなもの、夫が協力したくなる雰囲気を作り上げるには、女性の力が必要なのです。

武士道では女性の力を内助の功として尊びました。
普段は夫が力を発揮しやすいように背後で支え、夫の身に何かあれば妻が代わって前に立ち、雄々しく家を治めて行く。
妻と為る女性には、勇気と賢さ、忍耐と強さが求められるのです。

武士道では、愛は仁徳として、最高の徳とされます。

『愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心、すなわち「仁」は、常に至高の徳として、人間の魂がもつあらゆる性質の中で、最も気高きものとして認められていた』

以上「女子の武士道」石川真理子著より

続いて「頂門の一針 6850号」より転載します。

【選挙妨害と「こんな人たち」】      【阿比留瑠比の極言御免】 

 28日投開票の衆院東京15区補欠選挙では、特定の候補者が他の候補者の演説場所で大声を上げるなどの妨害行為を繰り返し、街頭演説の事前告知ができない異常事態が生じている。有権者にとっては、候補者の主張に耳を傾ける機会を奪われることになり、民主主義の根幹を揺るがす大問題だともいえる。

 だが、「こんな事態」を招いたのは誰か。安倍晋三元首相の演説を組織的、継続的に妨害していた集団を「表現の自由だ」と無理やりかばい、正当化し、逆に彼らを「こんな人たち」と呼んだ安倍氏を一方的に批判してきたマスコミや野党だったのではないか。

[安倍氏につきまとい]

 安倍氏は平成29年7月の東京都議選の街頭演説で、毎回のように演説会場に来ては「安倍辞めろ」と連呼する同じ顔触れの集団について訴えた。

 「あのように人の主張を訴える場所に来て、演説を邪魔する行為を私たち自民党は絶対にしない。私たちはしっかりと政策を真面目に訴えていきたい。憎悪からは何も生まれない。相手を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)したって、何もうまれない。こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかない」

 何もおかしなことは言っていない。力ずくで演説を妨げようとするヘイト的な言動には負けずに、政策を説いていくと主張しているだけでないか。ところが、朝日新聞などは「こんな人たち」と述べた部分を切り取り、以後、何年たっても延々と安倍氏の批判を続けていく。

 例えば令和元年7月の社説では「自らに厳しい世論に向き合わない姿勢が批判された」と記し、3年3月の記事ではこう強調した。

 「自らに批判的な聴衆に向けられた言葉は『友と敵』を分ける安倍首相の政治手法の象徴と受け止められた」

 とはいえ、執拗(しつよう)に「安倍辞めろ」と叫び続けた連中はそもそも「聴衆」とは言えないし、「受け止められた」のではなく朝日がそう決めつけただけだろう。

 朝日は、安倍氏が暗殺された1年後、昨年7月8日の社説でもこれを材料にこう安倍氏批判を続けた。

 「『こんな人たち』『悪夢のような民主党政権』。敵対をあえてあおり、そこから権力行使のエネルギーをくみ上げる手法である」

 安倍氏の演説の言葉からは、そんな意図はくみ取れない。むしろ朝日が、安倍氏の死去後も安倍氏への反感や憎悪をあおり続けていることがうかがえる。

[警察の委縮]

 安倍氏の街頭演説を巡っては令和元年7月、東京都中野区でこんなこともあった。「安倍辞めろ」などと騒いでいた集団がうるさく、演説が聞こえないのである女性が集団に注意し、その場にいた警官にも対処を要請した。

 ところが双方が聞き入れないので実態を記録しようと集団にスマートフォンを向けて撮影しようとしたところ、集団がスマホを取り上げ、地面にたたきつけて破壊したのである。後に警察は女性にこう釈明した。

 「注意すると人権問題だとか差別だとか言われるから、強力に排除できない」

 演説を妨害すると暴力をマスコミや野党、裁判所が擁護してきた結果、警察が委縮し、取り締まるべき行為を目こぼしする。

 野党も矛先が安倍氏や自民党に向いている間は、人権派ぶって彼らを排除するのはおかしいと擁護する。

 その行きついた先が、安倍氏が街頭演説中に凶弾に倒れるという悲劇だったのではないか。「こんな人たち」は、厳しく排除して当然である。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆☆☆ 松本市 久保田 康文   産経新聞令和6年4月25日号採録