【天安門事件】
平成元年(1989)4月、胡耀邦元総書記の死を端緒として若者たちによる民主化運動が始まった。
シナ共産党の改革派である胡耀邦は2年前に総書記を解任されても、自由化と民主化の為に活動していた。
彼はチベット人の側に立ったシナの唯一の指導者でもあった。

革命第一世代がこの世をされば胡耀邦復活の道はあると民主派は希望を捨てなかった。
その胡耀邦急逝し、若者の夢は打ち砕かれ、民主派の嘆きは大きかった。
北京の天安門に死を悼む若者たちが集まり始めたのは自然の流れだったのだろう。

胡耀邦同様に民主化のシンボルだった趙紫陽は天安門に来ると若者たちに「解散」を要請した。
このままでは軍が投入され弾圧されてしまし、民主化運動は潰されてしまう。
趙紫陽の魂の叫びであったが学生たちは受け入れる事をしなかった。
遂にシナ共産党指導部の最高実力者である鄧小平は戒厳令を布告する。

6月4日、人民解放軍が北京の長安街通りから天安門へ向け進軍した。
軍は抵抗する市民や学生に向け銃の水平撃ちを行い、多数の市民や学生が犠牲となった。
軍は天安門広場では命令に従って発砲をしていないが、そこに至る通りでは発砲が許可され死亡者数は未だに不明である。

事件に驚愕した国際社会は直ちに経済制裁に突き進んだが、G7の中で唯一日本だけが制裁に反対する。
当時の外交文書には唖然とする内容が記録されている。

<人道的な見地から容認する事はできない。問題は我々と政治社会体制及び価値観を異にするシナの国内問題である。
対中非難にも限界がある。西側諸国が制裁措置等を共同して採る事に日本は反対する>

7月のアルシュ・サミットでは「閣僚級の交流禁止」という経済制裁が、想像以上にシナに影響を及ぼす。
そこでシナは日本を突破口として”なにか”を画策する事になる。
やがてシナは「天皇訪中」と言う驚くべきプロジェクトを始めるのである。

天皇とは世界で特別な存在である。世界最古の王朝であり、男系継承で系譜を現代に伝える歴史的存在なのだ。
天皇がシナ訪問を果たせば「閣僚級の交流禁止」など一挙に吹き飛んでしまうだろう。
二千年来、一度もシナに足を踏み入れた事のない日本の天皇。

この時の駐シナ大使はあの橋本恕である。シナの為に橋本は奔走する。
シナ側の”橋本評”は絶大であるが日本側では必ずしもそうではない。
天皇訪中が「日本の為になったのか」と言う事と、親中派による天皇の政治的利用が「許されるのか」と言う意味を持つからである。

以上「日中友好侵略史」門田隆将著より

続いて「頂門の一針 6843号」より転載します。

【堂々と大東亜戦争と呼ぼう】  【阿比留瑠比の極言御免】

[「問題ない」のに削除]
 前回の11日付当欄では、陸上自衛隊第32普通科連隊が公式X(旧ツイッター)への投稿に「大東亜戦争」という表現を用いたことに対し、朝日新聞など一部メディアが問題視している件について、連合軍総司令部(GHQ)が占領政策の一つとして禁じていただけで、現在も使っても「何の問題もない」と書いた。

 ところが、防衛省・自衛隊が朝日などの言葉狩りを真に受けて大東亜戦争と記された部分を削除したことで、かえって整合性を問われる事態に陥っている。

 共産党の機関紙「しんぶん赤旗」は14日、スクープとして以下のような記事を掲載した。

 ≪1月に陸上自衛隊幹部らが靖国神社を集団参拝する際に陸上幕僚監部が作成した内部文書で、靖国神社の文章をほぼ引き写して「大東亜戦争」という呼称を肯定的に使っていたことが13日、本紙の調べでわかりました≫

 靖国神社を参拝する際に、靖国の資料を引用しただけの話を鬼の首を取ったかのように報じるのもどうかと思うが、志位和夫党中央委員会議長(前委員長)が14日、浮かれてXにこう記したのにはあきあれた。

 「旧日本軍との連続性を示す危険な逆行だ」

 とにかく敗戦前と戦後を完全に断絶させたいようだが、同じ人が暮らす同じ国なのだから無理がある。それとも共産党は、そんなに現代日本を占領下に逆行させたいのか。

[4つの政府見解]

 ともあれ、この問題を巡っては16日の参院外交防衛委員会で日本維新の会の松沢成文氏が取り上げたので、その質疑を少し整理したい。木原稔防衛相の答弁によると1,大東亜戦争という用語の定義を定める法令はない2,一般に公文書では使用しなくなっているが、これまで使用した例はいくつもある3,使用するかどうかは文脈などによる4,禁止はしていないーというのが政府見解である。

 また木原氏は「投稿した部隊によると、硫黄島における戦没者を日米合同で慰霊する行事を紹介するに当たり、激戦の地であった状況を表現するために当時の呼称を用いた」とも説明している。そうであれば、大東亜戦争で何の問題もないではないか。にもかかわらず、削除に至った理由について木原氏は述べた。

 「大東亜戦争という表記によって、大きな問題化することは本意ではないという報告を受けている」

 だが、こうした波風を嫌い、穏便に済ませようという姿勢が、歴史分野においてはかえって問題を複雑化・長期化させてきたことは慰安婦問題で明らかではないか。不必要な削除で足元を見られたことで、共産党が勢いづいたのである。

 17日の本紙では、評論家で元自衛官の潮匡人氏がこう訴えていた。

 「なぜ問題もないのに批判に屈したのか。自衛隊は最近、幹部らの靖国神社参拝を公用車利用を理由にして処分していたが、これと同根。政治家や幹部の事なかれ主義が自衛官を傷つけている」

 小泉純一郎内閣時代、当時の福田康夫官房長官が非の無い防衛庁を非難し、スケープゴート扱いすることがあった。筆者が当時の防衛庁幹部に反論しないのかと尋ねたら、こんな悲しい答えが返ってきた。

 「われわれさえ悪者になって頭を下げていれば、たいてい丸くおさまるから」

 国際情勢の緊迫度が増した現在は、もはやそんな時代ではない。くだらない批判に節を曲げず、堂々と大東亜戦争と呼ぼう。

(産経新聞論説委員兼政治部編集委員)

☆☆☆☆☆☆   松本市 久保田 康文  産経新聞令和6年4月18日号採録