【解答乱麻】政策研究大学院大教授・岡本薫 目標掲げない議論の愚

 教育再生会議の第2次提言が今月出される。政策にかかわるマネジメントは
(1)現状の把握
(2)問題の原因の特定
(3)具体的な目標の設定
(4)有効な手段の選択・実施
(5)結果の評価
といったプロセスで行うべきだが、再生会議の第1次報告は、政策マネジメントの教科書に反面教師として載せたいほど典型的な悪例を示してくれていた。

 第1に、「現状」を把握・分析しようとしていない。日本の子供たちの学力について、誰のどんな学力がどの程度低下しているのか、また、それは(かつて多くの人々が「文部官僚が不必要な内容を子供たちに詰め込んでいる」と言っていた「不必要な内容」ではなく)日本の子供たちにとって本当に必要なものなのか-といったことが、具体的に検証されていない。

 第2に、学力低下の「原因」を究明しようとしていない。授業時数の10%増を提言しているということは、日本の子供たちの学力がフィンランドよりも低い原因を「授業時数の不足」だと思っているのだろう。しかし実際には、フィンランドの授業時数は日本よりも少ないのである。

 第3に、子供たちが「身に付けるべきこと」について「具体的目標」を特定しようとしていない。これが最大の欠陥だ。学習指導要領はその名の通り「教師が子供たちに教えようとすべき内容の基準」であって「子供たちが卒業時点で身に付けているべきことの基準」ではない。日本にはそもそも「達成目標基準」が存在しないのである。

 さらに、目標について、他の先進諸国での教育改革論議との最大の違いは「すべての子供たちが身に付けるべきミニマム」と「それ以外のこと」の区別が論議されていないということだ。

 欧米諸国の多くでは、学力崩壊を乗り越えるため、読み書き算数などから始めて「すべての子供が義務教育修了時点で身に付けているべきこと」をゼロから具体的に特定しようという運動が行われた(「バック・ツー・ザ・ベイシックス」と呼ばれた)。

 これは、日本で言われているような「○○力を伸ばす」といった方向性のみのあいまいなものではなく、具体的に「卒業時点で××ができるようにする」という達成目標だ。

 この区別がずっとできていないために、かつての日本は一律に「詰め込み教育」に向かい、後に一律に「ゆとり教育」に向かった。「個性化・多様化まで一律に推進する」という一律主義はいまだに克服されておらず、現在行われつつある学力最重視も同じ過ちを繰り返そうとしている。

 いわゆる「結果平等主義」が単純に批判されているのも同じことが原因だ。基本的な計算や漢字などに関する能力は、結果平等に達成されなければならない。

 まずかったのは「結果平等を目指したこと」ではなく、「結果平等を目指すべき内容と、それ以外の内容を区別していなかったこと」なのだ。

 あらゆる政策は何らかの目標のために行われる。教育の目標は「卒業後の子供たちをある状態にすること」であり、それを特定しなければ建設的な論議はできない。

以上「過去の配信記事(2007/03/19 )より

続いて「頂門の一針 6833号」より転載します。

【「百年老橋」復興の一助に】    五十嵐 一

日本統治時代の「百年老橋」復興の一助に 台湾地震、崩落した橋に隣接

【花蓮(台湾東部)=五十嵐一】台湾東部沖地震の震源に近い花蓮県沿岸部で、崩落した橋に代わり、日本統治時代の約100年前に建設された橋が6日夕、補強工事を終え開通した。崩落した橋は比較的新しく、現地でも古い橋の頑強さに驚嘆の声が上がる。台湾では統治時代の遺構が多く残っており、「百年老橋」も復興の一助となる。

3日に発生した地震で崩落したのは、1971年に架けられた長さ約25メートルの「下清水橋」。花蓮県から台北へ向かう最短ルートで、開通後は隣接する統治時代の1930年に建設された長さ約10メートルの「旧蘇花第7号橋」が使われなくなった。

1日3回3時間限定

最大震度を観6測した今回の地震では下清水橋が崩落し通行不能となったが、統治時代の橋は補強すればすぐに使用できることが台湾行政当局の調査で判明。造りが頑丈で、地震から3日後には補強工事が完了し6日夕、通行可能になった。当面は1日3回、3時間限定で運用する。

台湾メディアは「百年老橋」などと報道。交流サイト(SNS)でも「奇跡のようだ」「歴史がわれわれを守ってくれた」「やはり古いものは大切にすべき」など称賛する声が相次いだ。

台湾では旧台湾総督府を改修した総統府をはじめ、統治時代の建造物などが多く活用されている。花蓮市内にある統治時代の日本家屋が残る観光施設「将軍府」。旧日本軍の花蓮港分屯大隊が駐屯していた跡地で当時の門柱を残した区割りのまま、建物を修復してレストランや着付け店など約10店舗が入居する。

歴史を後世に残す

1日に正式開業したばかりだったが、今回の地震で被災。着付け店では天井の水漏れ被害を確認したが、店主の林秋芬さん(54)は「ここは日本と縁のある場所。歴史を後世に残すためにも営業を続けていきたい」と前を向く。

将軍府の開業に向けては、地元住民らが修復のために寄付を募るなどして、地元メディアによると、最終的に2.5億台湾元(約11億7500万円)でリニューアルしたという。

この地域を束ねる里長の呉明崇さん(72)は「歴史とはつながりだ。良いか悪いか、二者択一ではない。それを後世に伝えることが自分たちの使命だと思っている。後は次の世代が考えればいい」と話す。

将軍府から西約5キロにも統治時代に建立された寺院「慶修院」がある。地震で本堂の柱にひびが入り、仏像などが破損したが、現地の人々が再建に向けて準備を進めているという。