【鎖国を厳密に分析すれば、ポルトガルと断交しただけ】
  アメリカの戦争文化はなぜ熟成できないのか
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西尾幹二『日本と西欧の五〇〇年史』(筑摩撰書)
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 本書において、最初の問題提議は「文明開化」の定義である。
「文明開化」というタームが、これから意味を持つのか、という史観の問題である。
そもそも江戸時代の日本は世界にも稀な先進国だった。その意味においても「文明開化」などというのは科学と物質文明の遅れだけであって文化では世界最高峰の一つだったのに自らを否定して日本語や芸術品を外国に売った。

 いわゆる「鎖国」を解いたら西洋文明がどっと侵入してきて、日本は西欧に追いつけ追い越せとなったというのが、これまでの歴史教育だった。江戸時代は本当に鎖国していたのかといえば、ポルトガルと断交していただけで、オランダ船はつぎつぎと長崎へ来ていたし、じつは英国には平戸を開港していた。英国の貿易船が来なくなったのは英国の事情であり、平戸には三浦按針の屋敷跡が残っている。

 ただし文化的な鎖国だったがゆえに日本の文化、芸術が純粋に発展した。西鶴が、広重が、北斎がでた。ゴッホもゴーギャンもフェルメールも日本の浮世絵に影響を受けた。

 冒頭から目から鱗の議論が展開され、次をよむ期待が湧いてくる。
 評者(宮崎)は、学校の世界史で習う「四大文明」(チグリス、インダス、エジプト、黄河文明)というのもおかしいと考えている。長江文明は黄河文明より古いし、長江上流四川省から出土した三星堆遺跡となると中華文明とは似ても似つかないシュメール文明の飛び地のようである。インカ文明とマヤ文明は別々に拓けて発展した。これに日本の縄文文明を加えて『世界八代文明』とするべきだと考えている。

 近年、欧米の歴史学者が日本文明は独自な発展を遂げたと言い出したのに、日本の歴史学界はまだマルクスの残滓をひきづって、日本が遅れた国であるかのような自虐史観から抜け出せない。
歴史教科書を所管する文科省に至っては何をか況んや。

 戦後日本はアメリカに安全保障を依存するという異形な国のままだが、そのアメリカが分裂状態で、世界一の軍事大国の座は内部から崩れている。

 軍人家系が子供たちを軍に入れなくなった。愛国心の欠如ではない。LGBTとフェミニズムで女性が潜水艦にまで乗り込むと、従来の軍のモラルが崩壊する。軍の機能がうしなわれているからである。

 西尾氏はアメリカがまだ中世を引きづっていると指摘されて次のように言う。 
 「アメリカ人の共同体感情には、砂を噛むような個人主義(エゴチズム)と星条旗の元に一元化する愛国的全体主義という極端に対立した二軸しか存在しない。旧領主への忠誠とか郷土の歴史への執着とかがない。アメリカ人の共同体意識の貧弱さは、この国がややもすると『正義の戦争』に突っ走る独善性の温床でもある」(87p)

 アメリカの言う「正義」とは彼らの独善でしかない。
 まさにそうだ。
ベトナムに正義のために介入し、イラクは民主主義のための戦いだと言い張り、アフガニスタン戦争をオバマは「正しい戦争」だと言ってのけた。

 「日本の武士道にも匹敵するヨーロッパの騎士道は、名誉を重んじ、戦った相手に恥辱を与えるようなことを目的としない。敵を赦す、という思想の不在は、アメリカの戦争文化なの最大の欠点の一つである。アメリカの政治文化がヨーロッパに比べ熟成出来ない原因である」と西尾氏は言う。

 したがって評価替えが必要となる。
 「イラク戦争を始めるとき相手国を『悪の枢軸』と決めつけ、先制攻撃を正当化した。予告なしの先制攻撃の概念が日本では侵略戦争と翻訳、あるいは誤訳されてきたのであるから、東京裁判はあのとき完全に無効になった」(145p)

 中国では勝組は軍閥となり敗者は匪賊となる。匪賊だった共産党がアメリカの支援と巧妙な宣伝戦争で勝利したが、中国共産党の正統性はうたがわしく合法政権を僭称しているが、これこそは中国の政治文化の野蛮性を物語る
 ことほど左様に本書のサワリだけを紹介したが、浩瀚な本書に溢れる議論は刺激的である。

以上「宮崎正弘の国際情勢解題」より。

続いて「頂門の一針 6824号」より転載します。

【被災地訪問の違い】  阿比留瑠比

安倍晋三と山本太郎 被災地訪問の違い 

令和六年の元日に発生した能登半島地震は、石川県を中心に甚大な被害をもたらした。当然、SNSでも地震をめぐる投稿が目立ったが、その中でもある野党党首と安倍晋三元首相の言動をめぐって気になるやりとりがあった。

X(旧ツイッター)では、れいわ新選組の山本太郎代表が一月五日、能登半島北部の被災地で炊き出しのカレーを食べる様子を投稿した件について、まず次のような批判が相次いだ。

「被災地の方のための炊き出しを食べるのはどうか」

「現地に負荷かけていないか」

道路があちこち遮断され、支援物資の搬送もままならない時に、政治家が目立つためのスタンドプレーで、現地に迷惑をかけるなというわけである

当然の反応だといえるが、すると翌六日には、れいわの支持者とみられるアカウントが、平成二十三年三月の東日本大震災時の話を持ち出し、こんな反論をして話題になっていた。

〈【安倍晋三「おいしい。おいしい。」被災直後の福島に支援物資を運び、炊き出しのカレーを食べる】あれれネトウヨさんww 山本太郎叩いてましたよねwww〉

この投稿には、福島を地元とする自民党の亀岡偉民衆院議員がこう述べる画像が添付されている。

「安倍先生は『大変だったでしょう』『われわれは何としても助けますから』『頑張ってください』と、被災者の方々を優しく励まし、全員と握手していた。昼からスタートして終わったのは夜9時過ぎ。帰りに、私の福島市内の事務所に寄ってくれた。炊き出しの残りのカレーを、安倍先生が『おいしい。おいしい』と言って食べている姿は忘れられない」


安倍元首相も被災地に行ってカレーを食べたではないかという趣旨だが、もちろん事実関係を歪めた悪意ある投稿である。これには早速、「Nathan(ねーさん)」というアカウント名でこんな再反論が加えられていた。

「安倍元総理は2011年3月26日に福島に支援物資を運んでいますが、これは東北自動車道が一般車両に開通された日であり、現在の能登半島とも状況が異なります。山本太郎と一緒にするな。なお、安倍さんは同年4月8日や29日にも支援物資を宮城県内に搬入していました」

発災四日後に被災地でカレーを食べた山本氏の事例とは状況が全く違うことが理路整然と説かれていて、一読ほっとした。SNSはこうした双方向のやりとりができるという点で健全だなと感じたのだった。

野党議員として被災地訪問
筆者の手元に、平成二十三年五月に安倍晋三事務所が発行したニュースレターがある。そこでこれをもとに、野党の一議員だった安倍氏が被災地でどんな活動をしていたかを改めて紹介する。


表紙には、福島県南相馬市の被災した老人ホーム「ヨッシーランド」の前で、津波の後の余りの被害の大きさに愕然とする安倍氏の横顔を写した写真が掲載されており、安倍氏の被災地での活動が紹介されている。

《3月26日》福島被災地を回る

「震災から二週間が経過した3月26日の土曜日。被災地の福島県を訪ねました。まだガレキの除去も終わっていない南相馬市、相馬市、新地町、福島市を回りました。世耕弘成参議院議員が調達した10トントラックと5トントラックに支援物資を積み、私と世耕さんは5トントラックに乗り込んで、早朝国会を出発しました。

(中略)

避難所の皆さんが助け合いながら懸命に頑張っている姿に感動しました。支援物資として飲料水、食糧、男女の下着などを用意しましたが、物資を受け取る際の秩序正しさ、感謝の気持ちの言葉に触れ、そこに日本人の美しさを見出しました。まだこの時点では被災地のガソリンや軽油が不足しており、政府の迅速な対応の必要性を痛感しました。