【代表的日本人の教え】
 
「私は、あくまでも尊徳先生の残された四ヵ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを願うのである」 渋沢栄一

「尊徳先生は、至誠を本とし、勤労を主とし、分度を体とし、推譲を用とする、報徳実践の道を唱えられ、実行に移されたのでありますが、その手法は極めて科学的であり、経済の論理にかなうものでありました」 土光敏夫

江戸時代、徹底した合理主義と類い稀な行動力で興廃した600以上もの村々を再建し、“代表的日本人”の一人と称えられる偉人・二宮尊徳。

その教えは、渋沢栄一や安田善次郎、松下幸之助、土光敏夫、豊田佐吉、稲盛和夫といった大事業家たちにも、多大な影響を与えてきました。

その尊徳の身辺で4年間暮らした門人・福住正兄が翁の言行をまとめた不朽の名著『二宮翁夜話』が、報徳記念館初代館長・佐々井典比古氏の読みやすい現代語訳となって甦りました。

本書には、広く知られる、水車やたらいの水、積小為大の説話はもちろん、「家を興すのも積小から」「貧乏神・疫病神の住所」「変事に備える道」などなど、人々の心田を耕し、人生を繁栄に導くための心得を分かりやすく詳述。

門人たちとの問答の中には翁の笑い声まで再現され、まるで翁が直接教え諭してくれているような感覚を覚えるほどです。

かの森信三先生も『修身教授録』の中で、日本人の先哲の中で、最も優れた偉人として、二宮尊徳を挙げるとともに、「『二宮翁夜話』は、われわれ日本国民の
『論語』と言ってよいかとさえ思うほどです」と述べておられるほどです。

その二宮尊徳の説いた訓えの結晶ともいえる『二宮翁夜話』。日本人なら必ず一度は読んでおきたい不朽の名著です。本書の中から、非常に有名な「湯ぶねの教訓」の説話をご紹介します。
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〔172〕 湯ぶねの教訓
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嘉永五年の正月、翁は著者の家(箱根町湯本)の温泉に数日入湯しておられた。

著者の兄の大沢精一が翁のおともをして入浴した際、翁は湯ぶねのふちに腰かけて、こうさとされた。

──世の中では、そなたたちのような富者が、みんな足ることを知らずに、飽くまで利をむさぼり、不足を唱えている。

それはちょうど、おとながこの湯ぶねの中に突っ立って、かがみもせずに、湯を肩にかけながら、湯ぶねが浅すぎるぞ、ひざまでも来ないぞと、どなるようなものだ。

もしも望みにまかせて湯をふやせば、小さい子どもなどは湯にはいれなくなるだろう。

だからこれは、湯ぶねが浅いのではなくて、自分がかがまないことが間違いなのだ。

この間違いがわかってかがみさえすれば、湯はたちまち肩まで来て、自然と十分になるだろう。ほかに求める必要がどこにあろうか。

世間の富者が不足を唱えるのは、これと何ら変りはない。およそ、分限を守らなければ、千万石あってもなお不足だ。

ひとたび分に過ぎた過ちを悟って分度を守れば、余財がおのずからできてきて、十二分に人を救えるはずだ。この湯ぶねが、おとなはかがんで肩につき、子どもは立って肩につくのを中庸とするように、百石の者は五十石にかがんで五十石の余財を譲り、千石の者は五百石にかがんで五百石の余財を譲る。

これを中庸というべきだ。

もし町村のうちで一人この道をふむ者があれば、人々はみんな分を越えた過ちを悟るだろう。

人々がみんなこの過ちを悟って、分度を守ってよく譲れば、その町村は富み栄えて平和になること疑いない。

古語(大学)に「一家仁なれば一国仁に興る。」といっているのは、このことだ。よく心得なければならない。

仁というものは人道の極致であるが、儒者の説明はやたらにむずかしいばかりで、役に立たない。

身ぢかなたとえを引けば、この湯ぶねの湯のようなものだ。

これを手で自分の方へかき寄せれば、湯はこっちの方へ来るようだけれども、みんな向うの法へ流れ帰ってしまう。

これを向うの方へ押してみれば、湯は向うの方へ行くようだけれども、やはりこっちの方へ流れて帰る。

すこし押せば少し帰り、強く押せば強く帰る。これが天理なのだ。

仁といったり義といったりするのは、向うへ押すときの名前であって、手前にかき寄せれば不仁になり不義になるのだから、気をつけねばならない。

古語(論語、顔淵篇)に「己に克って礼に復れば、天下仁に帰す。仁をなす己による。人によらんや。」とあるが、己というのは手が自分の方へ向くときの名前だ。

礼というのはこの手を相手の方へ向けるときの名前だ。

手を自分の方へ向けておいては、仁を説いても義の講釈をしても、何の役にも立たぬ。よく心得なければいけない。

いったい、人のからだの組立を見るがよい。人間の手は、自分の方へ向いて、自分のために便利にもできているが、また向うの方へも向いて、向うへ押せるようにもできている。これが人道の元なのだ。

鳥獣の手はこれと違って、ただ自分の方へ向いて、自分に便利なようにしかできていない。だからして、人と生れたからには、他人のために押す道がある。

それを、わが身の方に手を向けて、自分のために取ることばかり一生懸命で、先の方に手を向けて他人のために押すことを忘れていたのでは、人であって人ではない。

つまり鳥獣と同じことだ。なんと恥かしいことではないか。恥かしいばかりでなく、天理にたがうものだからついには滅亡する。

だから私は常々、奪うに益なく譲るに益あり、譲るに益あり奪うに益なし、これが天理なのだと教えている。よくよくかみしめて、味わうがよい。

以上「2021.12.31 偉人メルマガ」より

続いて「頂門の一針 6819号」より転載します。

【吉村知事の「投資移民」案】    有本香

日本を豊かにするのは外資でも移民でもない 吉村知事の「投資移民」案は周回遅れ 

少し前のことになるが、大阪府の吉村洋文知事が「約1億2000万円の投資をした外国人に永住権付与」などを柱とする、大阪府と大阪市の「金融・資産運用特区」の指定に向けた30項目の提案内容を説明した(2月19日)

同特区は昨年、政府が創設を表明したもの。吉村提案はその具体案というわけだが、海外投資家向けビザの創設のほか、行政手続きなどを英語化するポータルサイトの整備、海外の金融関連企業への法人税減税などが盛り込まれている。

吉村氏は「日本は海外に比べて参入障壁が高すぎる。世界と同じ土俵で戦えるように国へ求める」と言い、世界標準に合わせると言うが、果たしてそうだろうか。

この案を聞いて、真っ先に筆者の頭に浮かんだのは、カナダの事例である

10年前の2014年、カナダ政府は、それまで28年間にわたって実施してきた「投資移民」と「企業移民」を廃止すると発表した。

当時のカナダでの「投資移民」とは、160万カナダドル(約1億5000万円)以上の資産を持ち、カナダのいずれかの州に80万カナダドル(約7500万円)を無利子で貸し付ければ"国籍"が取得できるというものだった。オーストラリアなどの投資移民より経済的負担が少なかったため、中国人富裕層に人気のあったものだ。

しかし、カナダ政府は、この"人気"を問題と捉えたのである。制度の利用者の多くが中国系の移民であり、地方によっては中国系移民の急増がさまざまな問題を引き起こしていたためだ。

このとき、カナダ政府は「移民のほとんどがカナダ国内に居住していないなど、カナダ国民としての条件を満たしていない」ことなどを理由に挙げたが、米紙ウォールストリート・ジャーナルなどは「カナダ政府の中国資本追い出し」と喝破した。

カナダは近年、「外国資本追い出し」のさらなる策を講じている。

本コラムでも触れたことがあるが、カナダでは23年、外国人が投資目的で住宅用不動産を購入することを、向こう2年間原則禁止とする新法が施行された。

背景としては、コロナ禍後、住宅価格が高騰し、その原因の1つが、投資目的で住宅を買いあさっている外国人購入者にあると考えられたためだ。

実際はコロナ禍明けに、カナダの不動産価格は下落したという統計があったり、新法施行後も外国人の不動産購入が可能であったりする。つまり、カナダの新法は特定国からの資本流入を警戒した策と読めるのだが、その警戒対象たる資本を、日本が喜んで呼び寄せようというのが吉村提案だ。

ちなみに、筆者が事務総長を務める日本保守党が初陣を構えた東京都江東区の沿岸部には、大金を投じてタワーマンションを購入して移り住む中国人富裕層が目立つ。その売買を仲介する中国系の不動産業者に話を聞けば、「日本は不動産が買いやすく、資産を移しやすい」と言っている。

その結果、東京の新築マンションの平均価格は「億超え」となり、一般的な日本国民の手の届かないものとなっているのが実情だ。

日本政府や吉村知事の発想と策は「周回遅れ」だ。

日本保守党は、こうした周回遅れの移民政策、外資導入に敢然と物申していく。「日本を豊かに、強く」するために必要なのは、外資でもなければ移民でもない、と何度でも強調し訴えていく。