【御國に護ってもらいたい】

根室で会った老船主からロシア人の習性を聞いた。サハリンがまだ樺太だった頃彼はオホーツク海の奥まで出漁した。

誰も見ていない海域でロシア警備艇が突如襲ってくる。口実は領海侵犯。其れで漁船を持ち帰って売り払い儲けていた。

新造船の彼の船が狙われ銃撃を受け、乗務員に負傷者が出た。観念した時ロシア船が急に転舵し、あたふたと逃げ出した。

氣づくと日本の駆逐艦が其処に居た。彼等を救いに来てくれたのだ。あの頃海軍は日本近海を警備し、日本とその國民を護っていたのだ。

すれ違う駆逐艦の舷側に立つ水兵がまぶしく頼もしく見えた。

「涙が出た。お國が護ってくれているのだと肌で感じた」

然し戦後、駆逐艦は消えた。ロシア人は日本の港の前で待ち伏せし、新造船と見ると片っ端から拿捕して行った。

そのロシアを韓国が見習った。北方領土に習って竹島を占拠し、李承晩ラインを引いて日本漁船の拿捕を始めた。

328隻が奪われ約四千人の漁船員が抑留された。抵抗して彼等に撃たれ多くの死傷者も出た。

巡視船が目撃しても武力は使えない。漁船の前に割って入り身代わりと為り銃撃を受けるのが任務だった。

現在でも、韓国漁船は駿河湾などで密漁しているが、巡視船に見つかっても平気だ。

銃撃しないのを知って居るから停船命令を無視して逃げて行く。

支那も沖縄周辺に資源調査船や潜水艦まで繰り出してきた。日本が弱いうちに尖閣諸島を奪い、あの辺の排他的経済水域を獲得する事が目的だ。

「9・11」の後に日本はインド洋へ自衛隊艦艇を派遣した。北朝鮮の拉致が明らかに為った「9・17」の後、日本は更に派兵に積極的に為った。

すると韓国の中央日報が「今回の事態を軍事大国化への機会に利用するなら周辺国家として絶対座視できない」と書いた。

日和見主義の代弁者=朝日新聞も韓国の聞いた事も無い学者を使って「日本は派兵と謂う一線を越えた。遂にルビコン川を渡った」と書かせる。

支那も「日本の右傾化が東アジアの不安材料になる」と謂う。

日本は多くを望まない。嘗て漁船員を感激させたように、自国民を救える普通の國に為りたいだけだ。

以上「白い人が仕掛けた黒い罠」高山正之著より

続いて「頂門の一針 6786号」より転載します。

【被災地訪問の違い】
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安倍晋三と山本太郎=阿比留瑠比

(月刊「正論」3月号より)
令和六年の元日に発生した能登半島地震は、石川県を中心に甚大な被害をもたらした。当然、SNSでも地震をめぐる投稿が目立ったが、その中でもある野党党首と安倍晋三元首相の言動をめぐって気になるやりとりがあった。

X(旧ツイッター)では、れいわ新選組の山本太郎代表が一月五日、能登半島北部の被災地で炊き出しのカレーを食べる様子を投稿した件について、まず次のような批判が相次いだ。

「被災地の方のための炊き出しを食べるのはどうか」

「現地に負荷かけていないか」
道路があちこち遮断され、支援物資の搬送もままならない時に、政治家が目立つためのスタンドプレーで、現地に迷惑をかけるなというわけである

当然の反応だといえるが、すると翌六日には、れいわの支持者とみられるアカウントが、平成二十三年三月の東日本大震災時の話を持ち出し、こんな反論をして話題になっていた。

〈【安倍晋三「おいしい。おいしい。」被災直後の福島に支援物資を運び、炊き出しのカレーを食べる】あれれネトウヨさんww 山本太郎叩いてましたよねwww〉

この投稿には、福島を地元とする自民党の亀岡偉民衆院議員がこう述べる画像が添付されている。

「安倍先生は『大変だったでしょう』『われわれは何としても助けますから』『頑張ってください』と、被災者の方々を優しく励まし、全員と握手していた。昼からスタートして終わったのは夜9時過ぎ。帰りに、私の福島市内の事務所に寄ってくれた。炊き出しの残りのカレーを、安倍先生が『おいしい。おいしい』と言って食べている姿は忘れられない」

安倍元首相も被災地に行ってカレーを食べたではないかという趣旨だが、もちろん事実関係を歪めた悪意ある投稿である。これには早速、「Nathan(ねーさん)」というアカウント名でこんな再反論が加えられていた。

「安倍元総理は2011年3月26日に福島に支援物資を運んでいますが、これは東北自動車道が一般車両に開通された日であり、現在の能登半島とも状況が異なります。山本太郎と一緒にするな。なお、安倍さんは同年4月8日や29日にも支援物資を宮城県内に搬入していました」

発災四日後に被災地でカレーを食べた山本氏の事例とは状況が全く違うことが理路整然と説かれていて、一読ほっとした。SNSはこうした双方向のやりとりができるという点で健全だなと感じたのだった。

野党議員として被災地訪問

筆者の手元に、平成二十三年五月に安倍晋三事務所が発行したニュースレターがある。そこでこれをもとに、野党の一議員だった安倍氏が被災地でどんな活動をしていたかを改めて紹介する。

表紙には、福島県南相馬市の被災した老人ホーム「ヨッシーランド」の前で、津波の後の余りの被害の大きさに愕然とする安倍氏の横顔を写した写真が掲載されており、安倍氏の被災地での活動が紹介されている。

《3月26日》福島被災地を回る

「震災から二週間が経過した3月26日の土曜日。被災地の福島県を訪ねました。まだガレキの除去も終わっていない南相馬市、相馬市、新地町、福島市を回りました。世耕弘成参議院議員が調達した10トントラックと5トントラックに支援物資を積み、私と世耕さんは5トントラックに乗り込んで、早朝国会を出発しました。

(中略)
避難所の皆さんが助け合いながら懸命に頑張っている姿に感動しました。支援物資として飲料水、食糧、男女の下着などを用意しましたが、物資を受け取る際の秩序正しさ、感謝の気持ちの言葉に触れ、そこに日本人の美しさを見出しました。まだこの時点では被災地のガソリンや軽油が不足しており、政府の迅速な対応の必要性を痛感しました。
(中略)
現地に迷惑にならないよう事前公表せず、また県庁などには連絡せず、落選中の亀岡偉民前衆議院議員に案内してもらいました」