【西力東漸】
西力東漸は幕末に見せた一時的現象ではなく、日清戦争後の三国干渉のようにその本性を発揮した。新たな脅威は米国であった。
米西戦争でフィリピンを得た米国は一説では全人口の約六分の一を殺したとも言われる。

1898年ハワイを併合し翌年にはヘイ国務長官がシナの門戸開放を唱える。
「西へ西へ」と西海岸まで来ると、一息入れた後に今度は太平洋を渡って西へと進んできた。

米国の「西力東漸」は欧州の進出と違い、いはば本土直撃コースをとり、半世紀後に現実に「直撃」したのである。
昭和16年7月の対日石油全面禁輸であり、同11月のハル・ノートであった。

林房雄は大東亜戦争の始まりを日露戦争のポーツマス講和会議の直後とみる。
米西戦争に米国が勝った時をもって大東亜戦争の始まりと見る事も不可能ではない。
何故ならその時から太平洋をはさんで二つの力が向き合ふ事になったからである。

この二つの力が衝突しないように喰い止める事はできなかったのだろうか。
例えば大東亜戦争を回避し得た最後の時点は日露戦争直後にあった。

日本がハリマンの申し入れを受け満鉄の権益を与えていれば、対立は避けられたといふ人もいる。
恐らくこれは一国の、現在の戦略の分析としては完全に正しいであろう。

当時の英米はシナを狙っているだけで、日本に対する直接の野心はなかったといふのも本当であろう。
だが、だから日本は英米と手を結ぶべきだったといふのは、偏狭な「国家主義」であろう。

日本は「日本國」といふ国境を守るために百年戦ったのではない。
国境が真剣な意味を持つのは、同じ文化圏に属するもの同士の間である。

われわれは国境より切実で大切なもの~われわれ自身の文化圏を脅かされたのである。

以上「からごころ」長谷川三代子著より

続いて「頂門の一針 6770号」より転載します。

【見え透いた神話】【変見自在】  高山正之

 日本人が好きという米国人はLGBT系を除くとほとんどいない。
ヘンリー・スティムソンはその意味でまともだから徹底的に日本人を嫌い、一発目の原爆投下地を日本人の心の故郷、京都とした。投下地点は京都駅の少し西の梅小路操車場で、その上空500メートルで爆発させるはずだった。

 その高度だと核分裂が生む火球は盆地状の京都をくまなく飲み込める。金閣寺も清水の舞台も50万市民とともに瞬時に焼き尽くすだろう。B29による都市空襲が始まると原爆の威力がどれほどか正確に測るために京都への空襲は禁じられた。ただ土壇場になって当初の計画は変更され、一発目は広島に、二発目は長崎に落とされ、その1週間後に日本は降伏した。

 結果、京都は空襲もなく無傷で生き残れた。置屋の女将も首をひねる僥倖を、小狡い米国人は見逃さなかった。GHQの民間情報教育局のハロルド・ヘンダーソン中佐は朝日新聞に「京都を救ったのはハーバード大のラングドン・ウォーナーの進言のおかげ」と書かせた。

 彼は日本の貴重な美術品を史跡のリストを作って空爆の目標から外すよう米政府に訴えた、と。記事には当時の美術評論家の泰斗、矢代幸雄による「交戦中の相手国の文化財にまで心にとめ保護した米国に敬意を表す」という趣旨のコメントも付いていた。

 日本人は驚く。東京も大阪も焼け野原にし、原爆まで落として女子供をを焼き殺した米国人は鬼畜そのものだ。そんな連中が文化財には配慮しましたなんて冗談がきつすぎる。そう思っていたら吉田茂が来日したウォーナーを箱根の別荘で歓待し、鈴木大拙も京都が無事なのは「大統領に進言した彼のおかげ」と言い出す。

 細川護熙の祖父、護立も自ら発起人になって彼の顕彰碑を奈良に建てている。しかし例えば彼のリストには大阪城など15のいお城が載っているが、うち8城は空爆で焼かれた。名古屋城に至っては63回もの空爆を受け、焼け落ちている。少し考えればウォーナーの話はいい加減と分かりそうなのに、その後も鎌倉文化人が「鎌倉を救ってくれた」と戦後20年も経って彼の顕彰碑を建てている。

 嘘を承知で米国を美化する。この手の文化人の心理は分かりにくいが、それから半世紀後、今度は北京から「京都を救ったのは梁思成のおかげ」という話が届けられた。梁思成は戊戌の政変で日本に亡命した梁啓超の息子で、中学生のころ支那に帰っていった。風の噂では米国に留学して建築学を学んだとか。

 そんな男がどう京都を救ったのか。
支那側の説明だと彼は日支事変の戦火を避けて雲南省昆明に疎開し、そこで日本本土爆撃を模索するカーチス・ルメイと会った。日本を知る梁は爆撃目標の選定に協力。そのときに京都奈良の保護を頼み、ルメイは頷いたという。

 昔の中学生が今の日本の軍事施設に通暁しているという設定もヘンだが、どう見てもウォーナー神話の二番煎じにしか見えない。支那は物真似に長ける。新幹線だけでなく、米国製美談を真似て日本人に感謝してもらおうというのか。失笑で終わりと思っていたら、あの平山郁夫が真顔で乗っかった。ついに北京で「京都の恩人 梁思成」の胸像のお披露目まで行われた。

会場には外務省代表も日中友好協会も列席し奈良に像が置かれる展開に。それでも日本から「要らない」の声は出なかった。ウォーナーを紹介した朝日も「京都の恩人、ホントは梁思成」を報じた。同志社大の日本通オーティス・ケリーは「日本人の歪んだ外国認識」と批判する。外国人に恥をかかせないように嘘でも信じたふりをする。

 美徳のつもりだろうが、それでは京都に原爆を落としかねない米国の野蛮も、支那の破廉恥も許すことになる。それは彼らのためにならない。 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆  松本市 久保田 康文  『週刊新潮』令和6年2月8日号採録