凄く頭に来たことがあった。

 

 

 

大切に扱ってきた物を勝手に借りられただけでなく、

返さずに何日もお粗末な状態で放置されていた。

それを「やった人」は以前から「やらかす」人なので、

もう、呆れてものが言えなかった。

 

その人の謝罪の言葉なんて形だけなのはわかっている。

それを受け付けるつもりもなかった。

だから私はその人に謝罪料を請求した。

 

なぜ謝罪料を請求したか。

 

それは2度と同じことを起こさないように阻止するためと、

私がどれだけ怒り心頭なのかをわからせたかったから。

 

 

でも考えた。

「わからせたい」ってエゴなのだろうか、と。

そして、

「2度と同じことをさせない」ってコントロールなのか、と。

 

エゴであり、コントロールしている気がしてきた。

でもそこでそれをやめるのも違う気がした。

「そうしたい」と思っているのは私の本当の気持ちだから。

 

なら、どうしたらいいのだろう...

 

何が正解なのだろう...と考えかけて、

「正解?不正解?」っていうのも違うと思った。

 

そして、ある配信を思い出した。

 

『死にたい!!死にたい!!以上!!まる!!』

『私は私のことが大嫌い!!私は私のことが大嫌い!!以上!!まる!!』

 

ありのままの事実を受け止め、良いとか悪いとかジャッジせず、

丸ごと受けとめて「以上、まる」で終わる話。

 

「勝手に大切な物を使われて放置された!!

 むかつく!!凄くむかつく!!以上!!まる!!!」

 

心の中でやってみた。

なにか違う。

でもこれで良い気もしてきた。

 

 

私はその人に制裁を加えたいと思っていたけれど、

心のどこかでは違うと思った。

もっと「別の扱い方」があると思った。

自分の心の扱い方を。

 

勝手に借りても良いから、早い時点で言って欲しかった。

大切な物を雑に扱われた。

本当に頭に来た。

それだけの話なんだよね。

 

ハッと気がついた。

私は今回の件で「自分がどうありたいか」という事を模索していたのだ。

 

「自分がどうしたいか」で考えると、

相手に対して攻撃やコントロールすることしか浮かばない。

「相手にどうにかわからせよう」としたって分かることではないだろう。

「その人」は私じゃないから。

だから「何か違う」って感じたのだ。

 

「どうしたいか」ではなく「どうありたいか」だ。

 

 

 

って事に気がついたら、気持ちがスッキリ着地した。