2024年8月18日
By Daryl Easlea(Prog)
[2018年のインタビューのようです]
ウェイクマン:
音楽には大きな変化があった。パンクが入ってきた。
アトランティックは私たちにシングルを作らなければならない、これをしなければならない、あれをしなければならないと言った。私たちは流行から脱落していったんだ。
ハウ:
バンドが「チャートに入っている曲にちょっと似せた曲を作ろうか?」と言うと、いつも大失敗になるんだ。僕らはちょっと停滞していた。
ウェイクマン:
私たちはパリでレコーディングしていた。ジョンと私が何曲か書いていたが、スティーヴとクリスはそれを演奏したくなかった。
レコード会社からプレッシャーをかけられていたので、現地では間違ったプロデューサーがいたんだ。
ロイ・トーマス・ベイカーは素晴らしいプロデューサーだが、このバンドにはまったくふさわしくない人だった。イエスのようなバンドが対立しているとき、必要なのはチャーチルであってチェンバレンではない。
ホワイト:
すべてがとんでもないことになった。
パリではやることがたくさんあって、みんなが最高に楽しんでいた。みんなそこにアパートを持っていた。
決して実現するはずのないアルバムだった。とてもやる気のないものになってしまった。
ウェイクマン:
ジョンと私は小さなバーでカルバドスを飲んですっかり酔っ払ってしまった。
ジョンは「これはイエスじゃない、これが作るべきものなんだ。こんなことはやりたくない」と言った。
その後、アランがアイススケートをしていて足首を骨折したという知らせが届いた。私たちは「これで解決だ」と思った。
ホワイト:
クリス、スティーヴ、そして僕がお互いに電話し合って、ノッティングヒルのスタジオを予約した。
「月曜の朝にここにいる人がイエスのメンバーだ」と言った。それで終わり。
曲作りを始めて、『ドラマ』のエッセンスを思いついた。
ハウ:
3人で懸命に音楽を作った。ジョンとリックはいなかったけれど、いつか彼らが来てくれて、すべてがうまくいくことを願っていた。
ホワイト:
僕たちはバグルスの隣でリハーサルをしていた。イエスはトレヴァーのお気に入りのバンドだった。本当に皮肉なことだった。
次の瞬間、彼らの機材が全部部屋に揃っていたんだ。僕たちには歌手とキーボード奏者が必要だった。そして僕たちはバンドをイエスと名付けた。
ホーン:
70年代、僕はリライアントの三輪車でバーミンガムまで行ったり来たりしていた。その旅で一番気に入っていたアルバムは『リレイヤー』だった。夜になるといつも未来都市のように見えるスパゲッティ・ジャンクションをドライブしながら聴いていたのを覚えている。
だから1980年にバンドに加入することになったときはかなり驚いたよ。すべてクリス・スクワイアのせいだった。
クリスはシングル「Living In The Plastic Age」をとても気に入ってくれた。彼は、その一部がイエスにもたらされると考えた。
僕はイエスがどんなものか間近で見たいと思っていたんだ。有名なロックバンドのリハーサルルームに入ったことは一度もなかった。
僕は『ジョンはいつ来るの?』と言い続けた。そして、引き込まれて行った。
ダウンズ:
私たちはイエスを文字通り新たな10年へと導き、より主流へと導いた。彼らは何か別のものを求めていた。
ハウ:
本当に励みになったよ。彼らはハングリー精神を持っていて、このレコードを推し進めたいと思っていた。私たちは壮大な作品を求めていた。全員が何か貢献していて、いい雰囲気だった。
ホーン:
ドラマは完全にプログレだが、パンクな要素もある。
バンドの演奏は本当に上手だった。彼らはただ集中するだけでレベルが上がる。あんな演奏をする人たちを聞いたことはなかった。
彼らは2日間にわたって「マシーン・メサイア」のイントロを演奏した。その時点で僕は屈服し、バンドに加わった。
ダウンズ:
完全に不自然な感じはしなかった。外部の人々は、彼らが長年追いかけてきた尊敬すべき素晴らしい宇宙バンドに、突然この2人のポップな侵入者が迷い込んだことに、非常に興味をそそられ、いやな気分になったくらいだった。
ウェイクマン:
私はバグルスが大好きだった。
「素晴らしいバンドが破壊されたのは残念だと思いますか?」と聞かれたのを覚えている。
私の答えはいつも、「そうだね、とても残念だよ。バグルスの次のアルバムをとても楽しみにしていたからね」だった。
出典:
https://www.loudersound.com/features/yes-drama-own-words
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