◾️ジョン・アンダーソンの回顧

抽象的な音楽のリアリティが受け入れられた時代だった



2024年7月5日 By Ryan Reed(Spin)


ジョン・アンダーソンがPC画面に現れると、彼はヨギのような静けさを放つ。

「毎日考えなければならないことをすべて書き出したんだ」と彼は独特の高い口調で語る。「謙虚さ、聞き上手であること、尊敬、柔軟性、積極性」


彼の周囲の視覚的なカオスに気を取られる。ハープやハンマーダルシマーらしきものなど、さまざまな音楽のおもちゃが楽しげに雑然と置かれたホームスタジオスペース。

 「スタジオを持って20年くらいになるんだけど、すごく散らかってしまってね」と彼は笑う。

 「何人かの人に来てもらって、スタジオをアップグレードしてもらったんだけど、まだ散らかっているよ」


彼の物理的な部屋はシンガーの脳を反映している。 広大で、活気に満ちていて、絶えずざわめいている。それは、これまでに録音されたロックの中で最も野心的で、映画的なオーケストレーションが施された「危機」についても同じことが言える。

前年の4枚目のLP『こわれもの』は全米4位を記録し、ラジオで正統的なヒットを生んだ。一口サイズの「ラウンドアバウト」である。しかし、アンダーソン、ハウ、スクワイア、ウェイクマン、ブルフォードは、もっと広大な旅をしたがっていた。


「危機」の最初の種は、『こわれもの』のマラソン・ツアー中に蒔かれた。

アンダーソンは、心を広げるようなさまざまな影響を吸収した。ヘルマン・ヘッセの1922年の小説『シッダールタ』の精神的な旅、ウェンディ・カルロスのアンビエント・シンセ・アルバム『ソニック・シーズニングス』、ジャン・シベリウスの交響曲第7番1楽章などだ。

そのすべてが、フォーク、ジャズ・フュージョン、教会音楽、クラシック、ヘヴィ・ロック、サウンド・エフェクトなど、彼らの高い評価を得た5枚目のLPの前半を占める、自由な流れの19分間のマラソンへと結集した。


半世紀以上経った今、アンダーソンが細部について少しぼんやりしていることを責めることはできないだろう。

現在進行中のプロジェクト「Opus Opus」もある。

「ゆっくり仕上げているよ。素晴らしいオーケストラマンである友人がオーケストラを付けてくれたんだ。今必要なのは20人編成の合唱団だけだ(笑)」

その代わり、プログレの歴史の中で最も曲がりくねった回廊のひとつを歩きながら、彼の記憶は鮮明だ。


Yes at London’s Rainbow Theatre on Jan. 14, 1972


私たちは『こわれもの』のツアーに参加していた。ツアーでは、移動中にいろいろ考える時間がたくさんあるんだ。実はスーツケースを開くとラジカセがあった。カセットテープとかが入った自分のスタジオだった。

シベリウスの交響曲第7番を1日に2、3回、ヘッドホンで聴いていた。ある種の虚無感の中で生きているような、次に何が来るかわからないという事実に魅了されたんだ。

ロックの曲は基本的に6分か7分、ラジオではそれ以下の長さで、聴くとそれが何だかわかる。しかし、音楽は常に展開がある。何度聴いても、あちこちで驚きがある。


スティーヴにそのことを話したら、彼は実際にアイデアを書き始めた。どこかのホリデイ・インで朝食を食べようとしたとき、スティーヴの部屋の前を通った。ドアの下から煙が出ていて、初期のマリファナか何かだった。彼はギターのアイディアを弾いていた。

「何してるの?」って言ったら、彼はこう言った。

「クローズ・トゥ・ザ・エッジ/ラウンド・バイ・ザ・コーナー という曲なんだ」

私は「コードを続けて」と言った。

私はちょうど「シッダールタ」という美しい本を読んでいたところだった。神とのつながりを求めてあらゆる場所を旅した男の話だ。

結局、彼は川辺で自分の中にそれを見出した。私は彼にアイデアを歌い始め、ゆっくりと、しかし確実に、ツアーの終わりには、私たちはいくつかのアイデアの小さなスケッチを持っていた。


スティーヴとの共同作業で素晴らしかったのは、とても相性が良かったことだ。彼は素晴らしいギタリストだし、私はそのころは3コードしか弾けなかった。

クリスとビルがいろいろやっている間に、スティーヴと私がいろいろやって構成というアイデアに夢中になったのを覚えている。もちろんリックもいた。

彼らがリフをやっているのが聞こえたんだ。スタジオの脇でそれをずっと聴いていたんだけど、「ここからあそこへ行くんだ。どうやるんだろう?」

エディ・オフォードがそこにいて、素晴らしかった。抽象的な音楽の現実をみんなが受け入れてくれた時期だった。

『こわれもの』ではいろいろなことをごちゃごちゃやっていたけれど、『危機』の頃には、たくさんの曲を記憶することができたと思う。そして次の曲、また次の曲と進んでいった。


シュールなセクションとなった中間セクションの前にあった曲をレコーディングしていたことは覚えている。面白かったのは、彼らが本当にすべてをタイトに集中させていたことだ。私は彼らの演奏を聴くのが大好きで、次のパートのことを考えていた。

後にウェンディとして出会うウォルター・カルロス(注.性転換をした)は、『ソニック・シーズニングス』という超現実的な無の音楽を持っていて、私はそのアイデアが好きだった。ビルと私はいくつかのアイデアを出し合い、エディ・オフォードが効果音などのテープを持って戻ってきた。

それで、シュールで風景的なサウンドボードが完成したんだ。ビルは空の牛乳瓶を鳴らしていた。


ウェンディ・カルロスと彼女のカスタムビルドMoog III c


スクール・オブ・ロックと一緒にこの曲を歌うのはとても面白い。この音楽は50年も前に作られたものなのに、若いミュージシャンたちがそれを掘り下げている。

「A seasoned witch could call you from the depths of your disgrace / And rearrange your liver to the solid mental grace」

なんという言葉だろう。

「肝臓を並べ替える」とは、肉体的な自分を、より穏やかな生きる理由に並べ替えることだ。ただ生きなければならないから生きている?いや、誰もが同じ可能性を持っている。ただ、どうやってそこに到達するかが問題なんだ。インド系アメリカ人のヨギであるパラマハンサ・ヨガナンダがこの歌詞に登場する。

私はこう言うんだ。「前は何をしていたの?それで何かできないか?」

それを積み重ねていくんだ。30分後、45分後それを録音している。この曲の進化の中で、私にとって最大の瞬間は、ちょうど真ん中あたりだ。

スティーヴがコードを持ってきて、私はこう書いたのを覚えている。

「Two million people, barely satisfied / Two hundred women watch one woman cry / Too late」

あの時期は、人々が世界を飢餓から救いたいと思っていた時期だったと思う。このエネルギーがそこにあったのに、なぜそれを歌わないのだろう?

「The eyes of honesty can achieve / How many millions do we deceive?」


曲の真ん中を録音した後、私はもう1回「I get up, I get down」をやろうと言った。

私がもっと高い音を出して、その時にスタジオの横の部分に雷のような轟音でぶつかるんだ。

リック・ウェイクマンのソロだ。スティーヴはこう歌ったんだ。「In her white lace / You could clearly see the lady sadly looking」

私はレコーディングしようと言った。


作品の成功にはエディ・オフォードが大きく関係している。私たちは1ヵ月後だったと思うが、編集に取りかかった。別のアイデアとして、編集していったんだ。

7つ目のアイデアに辿り着く頃には「どこから始まったんだ?」と言うことになる。でも最終的には、どのように構成されるかという狂気の沙汰にも、それなりの方法があった。


3インチ幅の24トラックを用意して、そのテープに録音する。そして、ミックスがとてもいい音になって、それが1/4インチのテープに転送されて、1/4インチのテープにミックスができる。コンピューターとは何の関係もない。エディはもちろんセクションに番号を振って、それを壁にテープで貼るんだ。スタジオの反対側に行くと、そこには番号のついたテープが20数本並んでいた。私は「エディ、自分が何をしているのかわかっているんだろうな」と言った。

彼は言ったよ、 ほら、マリファナだ(笑)


ミキシングが終わるころには、精神的にも肉体的にも疲れきっていたと思う。でも、それがどのように機能するのか知りたかった。

一緒にセクションを編集して、最終的には10分や12分をじっくり聴くことができた。

「うわ、まだ半分しか終わってない。やることがたくさんある」ただ「I get up, I get down」で終わらせるわけにはいかない。

歌詞の多くは自然発生的なものなんだ。


編集が終わりに近づいたときだけど、とても鮮明に覚えている。上を見上げると、壁から1/4インチのテープが垂れ下がっていて、数字やら何やらが書いてあった。

エディーはそれをとてもよく把握していた。

その1時間くらい前に、スタジオの隣に住んでいた女性が毎週金曜日に掃除に来ていた。名前はリジーだったと思う。彼女が来てこう言ったんだ。

「あなたたち、ちょっとどいて。私は椅子の下にブラシを入れなきゃいけないの。私は私の仕事があるの」

モンティ・パイソンみたいだった。

エディは、「よし、次が必要だ」それは「Seasons will pass you by / I get up」の直前の部分だった。高音に行くんだけど、それがないんだ。

みんな床を見てそして言った。「リジーはここで掃除していたんだ」


エディは「ああ、クソッ」と言って、ドアに駆け寄り、私たちは全員外に飛び出した。

彼はゴミ箱の中でテープを全部取り出していた。見つけたんだ。

彼はそれをスタジオに持ち帰り、きれいに拭き取った。私たちはとても疲れていた。ミキシングは10分の音楽のために一日中かかることもある。私たちはそれをくっつけて祈った。そうしたら、実際に曲全体を最後まで聴くことができた。

困惑したよ。何がどこに入っているのか忘れてしまう。いつの間にか、「これは怪物だ。これは完全に独自の人生を歩んでいる」と。

彼はプロデューサーとして、テープを持つ男として、とても優秀だったことを覚えている。彼は自分がどこへ行くのかわかっていた。


それは私にとって夢のような出来事だったし、音楽はラジオでなくてもいいという考え方にひっかかった多くの人々にとっても夢のような出来事だったと思う(笑)

音楽は生き残るものだ。

ティーンエイジャーと一緒にツアーをするとき、「今から50年前の曲をやるんだ」と言うんだけど、50年前にラジオで流れていた音楽が忘れられているのに対して、なぜかまだ新鮮で生きているんだ。

ビートルズの曲を知らなければならない。60年代の偉大なR&Bの時代についても知らなければならない。

「危機」はイエスとその音楽が単なるラジオソングではないという考えを保っている。


出典:

https://www.spin.com/2024/07/jon-anderson-yes-close-to-the-edge-interview/


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