2024年1月31日

By Paul Brannigan(Classic Rock)


1969年夏のある午後、20歳のリック・ウェイクマンは、レディングのトップランク・ボールルームで17人編成のソウル・バンドとリハーサルをしていた。

その時プロデューサーのトニー・ヴィスコンティから激昂した電話がかかってきた。

ヴィスコンティはウェイクマンに言った。

「デヴィッド・ボウイとスタジオにいる。メロトロンを使って録音しているんだが、誰もチューニングができないんだ。すぐに来てくれないか?」


ウェイクマンは、その年の初めにジュニアズ・アイズというバンドのためにヴィスコンティとセッションをしたことがあり、プロデューサーの好意を受けることが、将来的にセッションの仕事を得ることにつながるとわかっていたので、リハーサルを抜け出してすぐに車でロンドンに向かった。

ソーホーに到着した彼は、ヴィスコンティがボウイと「スペース・オディティ」という曲を作っていることを知った。


「トライデント・スタジオに着いて、メロトロンの前に座ると、最初のテイクの後、ボウイは『これで終わりだ』と言った」とウェイクマンは回想している。

「私は25分しかそこにいなかった」


2017年に『Planet Rock』誌でこのセッションについて語ったウェイクマンは、次のように回想している。


「その後、デヴィッドが『トニーが君はすごいピアノを弾くって言ってたけど、僕と一緒にピアノの曲をやってみないか?』と言うので、私はそうだね、ぜひやりたいね、と言ったよ。


数週間後に『Wild Eyed Boy From Freecloud』(「スペース・オディティ」B面)や『Memory Of A Free Festival』などを演奏した。

それからスペース・オディティが大ヒットして、デヴィッドから電話があって、『新曲を何曲か演奏して欲しい』と言われたんだ」


「彼がボロボロの12弦を取り出し、『ハンキー・ドリー』に収録された曲を聴かせてくれた。

何年もセッションをやっていたけど、こんなにたくさんの曲を聴いたのは初めてだったよ」



1971年12月に『ハンキー・ドリー』がリリースされるずっと前から、ボウイはすでに次のステップに進んでおり、地球に飛来したアンドロイドの宇宙人ロックスターというコンセプトを夢見ていた。ジギー・スターダストだ。


彼は再びウェイクマンに連絡を取り、ギタリストのミック・ロンソンと組んでいた新しいバンド、スパイダース・フロム・マーズでのキーボーディストのポジションをオファーした。偶然にもその日、ウェイクマンはイエスに誘われ、心の中ではすでに次のステップへの決意を固めていた。


「マンチェスター・ユナイテッドかチェルシーに誘われたようなものだった」とウェイクマンは振り返る。

「私はイエスを選んだ。スパイダースの中では、デビッドが常にリーダーだったからだ」


出典:

https://www.loudersound.com/features/rick-wakeman-david-bowie-space-oddity-hunky-dory-yes


■ 実際には1日悩んで翌日電話でボウイに断わったそうです。ボウイは怒らずに、「正しい決断だ」と言ってくれたとリックが語っています。