70年代ロックの柱のひとつは、ノスタルジーを求めるファンを集めるに違いない」



1991年6月25

By Mike Davies

The Birmingham Post

(地元紙によるユニオンツアー英国バーミンガム公演紹介記事より)


アフガンコートが着られるかどうかはまだわからないが、今日と明日の2日間、NECで開催される2回の回転ステージコンサートにイエスが登場すれば、多くの超高齢プログレッシヴ・ロック・ファンがモスボールから抜け出すことができるのは間違いない。


70年代半ばのシンフォニック・ロックの代表格であるイエスは、ジョン・アンダーソンがソーホーのクラブでクリス・スクワイアと出会ったことで誕生した。

自分たちのバンドがうまくいかなかったので、ビル・ブルフォード、ピート・バンクス、トニー・ケイを加えて、1969年にイエスは無防備な世界に登場した。


エマーソン・レイク・アンド・パーマーのクラシカルなアプローチを意図的に模倣した彼らは、おなじみの曲をバロック的な叙事詩に変貌させた。


1972年、バンクスとケイが脱退し(注バンクスは70年、ケイは71年に脱退)、スティーヴ・ハウとリック・ウェイクマンが加入すると、イエスはテクノ・ロックのリーダー的存在となるが、彼らはしばしば革新と気取りの間の微妙なラインを踏み、1週間も曲が続くようなこともある。


やがて彼らは短い曲を書くようになったが、当時は経済性が彼らの代名詞ではなかった。安定性もなかった。

ブルフォードはアラン・ホワイトに道を譲った。

ウェイクマンはモラーツに代わって一時的に脱退し、アーサー王神話をスケートサーカスに変えて戻ってきたが、また脱退し、今度はアンダーソンがトールキンのようなソロアルバムを作って妖精と話すようになった。


イエスのメンバー: 彼らは皆、一度はバンドに参加したことがある。今夜、彼らは全員NECアリーナのステージに立ち、一緒にお茶を飲むことになる。(記事より)


彼らの後任として、イエスは元バグルスのトレヴァー・ホーンとジェフ・ダウンズを起用した。

誰も驚かなかったが、彼らは『ドラマ』という間違ったタイトルのアルバムを1枚作り、解散してしまった。

しかし、その祝賀ムードが薄れた頃に、イエスは復活を遂げた。

スクワイア、アンダーソン、ケイの3人は、新人のトレヴァー・ラビンを加入させ、大成功を収めた『90125』と全米No.1シングル『ロンリー・ハート』を録音した。


やがてアンダーソンは再び脱退し、バンド名をめぐって揉めた末に、ブルフォード、ウェイクマン、ハウと再び組み、アンダーソン・ブルフォード・ウェイクマン・ハウという想像上のタイトルのバンドとアルバムを作った。

そして、もし断れない動機がなければ、このままだったかもしれない。


しかし、ロックにおけるドイツ再統一と同じように、(モラーツとホーンとダウンズの不在を除いて)イエスの過去と現在のメンバー全員が一時的に敵対行為をやめ、アルバム『結晶』とバンドとソロ曲の両方を演奏する思い出のコンサートのために集まった。

演奏がないときは、ステージ下でお茶を飲みながらおしゃべりしているそうだ。

ロックンロール、それはワイルドな人生だ。


◼️やはり英国人はひねくれていますね🤣