イエスはジョンとの再合流を拒否したが、彼はそれでいいと思っている。



202343

By Andy GreeneRolling Stone


(文字数制限のため一部割愛しています)


バンドギークスとのツアー、スクワイアとホワイトの死、ハウとの疎遠、イエス合流への淡い期待、そして新曲発表の5年計画について、アンダーソンに話を聞いた。


Band Geeksを知ったきっかけは?

Sirius Radioで仕事をしている親友が『バンドのビデオを送るよ』と言ってきた。『燃える朝焼け』を演奏しているところだった。僕はこの人たちすごくいい、と思ったよ。本当に素晴らしい」


その後、どうなったのですか?

「ベースのリッチー(カステラーノ)を呼び出して、話をすることにした。僕は『イエスの大作やクラシックを演奏しに行くことに興味はないか?』と言った。彼はとても喜んでくれたよ。それが僕たちの始まりだ」


きっと、あなたからの連絡に唖然としたことでしょう。

「ええ。危機、悟りの境地、錯乱の扉などを演奏しようと考えていた。彼は大喜びだった。彼のエージェントと協力して、『3週間、楽しくやって、12回ほどショーをやって、どんな感じか見てみよう』と言ったんだ。それが全体のコンセプトだ。50年前の曲を演奏するのがどんな感じなのか、確かめたい」


70年代のイエスの曲を演奏するだけなのでしょうか?

「それがメインだ。もちろん80年代と90年代には多くの作品があった。『マインド・ドライブ』があるんだけど、これはやるつもりだよ。みんな『ロンリー・ハート』をやるのかと思っている。どうだろう。むしろ『ラウンドアバウト』や『パペチュアル・チェンジ』など、自分が制作に携わった思い出のある曲のほうがいい。大切なのは、まるで今年書かれた曲であるかのように演奏することだ。とても新鮮なんだ」


レコードの音と同じになるんですか?

「ライヴで演奏するのだから、ライヴの音になるのは当然だ。ステージに立つと、その会場に合わせた音作りをすることが多いと思う」


「マインド・ドライブ」以外にファンを驚かせるような曲はあるのでしょうか?

「そうだな、20年ほど前にイエスのために書いた曲で、レコーディングしなかった『Counties and Countries』という曲がある。それをリッチーに送ったら、彼はそれを美しく演奏してくれた。彼はベース奏者であると同時に、優れたプロデューサーでもある。リハーサルをするときに、その曲を入れるかどうか決めるよ」


今のところ東海岸の12会場にブッキングされていますね。ツアーがうまくいけば、もっと公演を行うのでしょうか?

「そうだね。アイデアとしては、一回やってみよう。ファンの反応や僕たちの様子を見ようということだ」



前回はPGRAと一緒でしたね。明らかに若いミュージシャンで、経験もあまりない。今回はその逆ですね。

「この夏10代の若者たちとヨーロッパに行く予定だ。とても感謝しているから、一緒に仕事をするのは素晴らしいことだよ。バンドギークスの皆んなも同じだ。彼らがいい演奏をしてくれることに、とても感謝している。僕は今、自分のキャリアの中でクリエイティブなモードにあるように感じている。4つのプロジェクトがある。これから5年間、たくさんの音楽が出てくるよ」


「僕の心の中、思考の中では僕はまだイエスにいるような感覚を持っている。バンドとはそういうものだ。その後、一転してソロライヴを始めたが、これはとても気にいった。妻と一緒に世界各地を回り、ギターだけのライヴをした。素晴らしかったよ」


2004年ツアーの後、しばらくツアーに出られなかったのは、医学的にどんなことがあったのでしょうか?

「ただの喘息だった。発作が出たんだ。本当につらい時期を過ごしたよ。回復しても数カ月はゆっくりする必要があった。23カ月間入院していた。だんだん良くなって、ギター1本でソロのライヴを組んだ」


イエスは4年間ツアーをしなかった。待たされてメンバーもイライラしたでしょうね。

「僕は彼らに何も頼んでいない。彼らはただツアーに出たいと思ったんだ。彼らはカナダ人のシンガーを雇った。彼は本当にいいやつだ。人は何があっても、人生をやり遂げなければならない」


他の人を起用することについて、どう思われましたか?

「ある意味、もういいや、と思っていた。自分で旅に出て、物語を語り、小さなクラブで演奏するだけだ、と思っていた。でも、ある意味それは自分にとって画期的なことだった。バンドのために書いた曲を演奏することを、感情的にまだ楽しむことができたんだ。物事を手放して、人生をやり遂げる」


2ヶ月ほど前に、あなたの後任として最初に入った人と話をしたんです。あなたのヴォーカルパートを歌うのは本当に大変だったと言っていました。最終的には声が枯れてしまったそうです。毎晩歌うには大変な曲ですね。

「僕はアルトテナーだ。70年代後半から80年代にかけてのレコーディングでは、まるでヘリウムの中にいるような歌い方をすることもあった」


彼は「燃える朝焼け」のクライマックスで「シャープ...ディスタンス」と歌うところを指摘しました。あそこであなたがやったことを再現しようとすると、彼を殺してしまうんです。

「その通り。あそこは簡単じゃない。でも今やっている。うまくいっているよ」


クリス・スクワイアが亡くなる前に、仲直りする機会はあったのですか?

「彼が亡くなったとき、訪ねてきてくれたんだ。僕はジェーンとマウイ島で休暇を過ごしていた。美しい夢を見た。夢の中にはたくさんの人がいた。僕の左側には、ローブを着た一人の女性が立っているのが見えた。彼女は天使のように見えたが、おそらくそうだったのだろう。彼女が上を指差すと、そこにはクリスが涙を流しながら微笑んでいた」


「夢から覚めて妻に言った『今、クリスを見たよ。彼は天国の光の方へ向かっていた』。彼女は『彼はあなたを愛していた』と言った。『そうだ。僕たちは兄弟だった』、それは信じられない瞬間だった。それから数カ月後、フェニックスでショーを行っていた。クリスの未亡人であるスコットランドに会って、その話をしたんだ。彼女は『彼は亡くなる前に、マウイ島に行きたいと言い続けていた』と言ったんだ」


実際に生前、彼と話をしたわけではないんですか?

「その必要はなかった。彼には彼の人生があり、僕には僕の人生があった。実は昨夜アラン・ホワイトの素晴らしい夢を見たんだ。素敵な夢だった。彼はバンドのメンバー全員と一緒にいた。1人や2人ではなく、バンドに在籍していた全員とだ。彼らはそこで何かギグか何かをやっていた。次の瞬間、彼は僕のすぐ隣にいた。彼は25年前に僕の結婚式のベストマンだったから、僕たちはハグをしたんだ」


2017年のロックの殿堂でアランとスティーヴと共演する機会がありましたね。その時の体験はどんなものでしたか?

「素晴らしかったけど、何度も過呼吸になったよ。ただ、ステージに上がって23曲演奏するというのが好きだった。ステージに上がって『ありがとう』と言うとき、僕は完全にコントロール不能になっていた。ただひたすら、『みんな美しい!』と言い続けた。そしたらリックが完璧に立ち上がって、ジョークを言い始めたんだ。それが僕にとって完璧だった。リラックスできたよ」


リックのスピーチは、殿堂入りのスピーチの中でも最高とまではいかないまでも、本当に素晴らしいと思うのですが、それを楽しむあなたと、あまり楽しめないスティーヴの姿が目に浮かびます。

「そうだね。その通りだ(笑)」


ARWは本当に素晴らしいグループでした。でも、突然終わってしまいました。何があったのですか?

「誰にとっても難しい時期だったと思う。次に何をすればいいのかわからなかった。僕はもっとレコーディングや新曲を作りたいと思っていた。でも、誰にでも人生がある。みんなを同時に集めることができないこともある。基本的にはそういうことだ。ただ、みんなにとって正しいとは言えなかった」


何か新しい音楽を作ったのですか?

「トレヴァーのところで何度かレコーディングをした。ただ、うまくいかなかったんだ。物事は時々そういうものだ」



トレヴァーやリックとはまだ仲がいいんですか?

「もちろん。先週、トレヴァーにハッピーバースデーを歌ってあげた」


いつかまたリックとデュオでツアーをすることもあるのでは?

「あれは楽しかったね。すごく面白かったよ。人生、わからないものだ。本当にわからないんだ。特にここ23年は、明確にしたいこと、制作したいこと、演奏したいこと、レコーディングしたいことなど、いろいろなことが重なっている。今、40年前に書いたミュージカルをやっている」


それは何ですか?

「マルク・シャガールに彼の90歳の誕生日に会った。彼は画家で、とてもとても有名な人だった。会ったときは、そんなに有名な人だとは思わなかった。南仏の誕生日パーティーで会ったんだ。ビル・ワイマンが連れていってくれた。彼はとても優しい人だった。それから、この人の素晴らしい芸術と、彼が世界中に作ったステンドグラスを知ったんだ。彼は芸術の世界ではとても有名だったので、彼のミュージカルを書くことにしたんだ」


「彼は『ジョン、ミュージカルを書くなら、長い時間がかかるよ』と言った。僕は『来年には完成させる』と思っていた。もちろん、それから40年経って、制作の瀬戸際にいる。彼の人生を描いた作品だ」


状況はどうなっているのでしょうか?

「実はつい1カ月前、サンフランシスコでこのプロジェクトの短い公演を行ったんだ。視覚的、音楽的にそのアイデアを試しているところだ。しかし、そのおかげで、今年か来年には制作に取りかかろうという気運が高まっている。40年も待ったのだから、時間は関係ない」


現在のイエスはハウとかなり新しい人々で構成されています。これはイエスの正統なバージョンと言えるのでしょうか?

「スティーヴの考えるイエスなんだろうね。もちろん何曲か聴いてみたけど、OKだよ。でも、僕はまだ音楽的なイエスの航海に夢中なんだ。その原点に完全にハマっているんだ。トレヴァーと出会い、ヒットレコードを出すことができたのはとても幸運だった。そのおかげで、バンドはさらに10年続くことになった。70年代のエネルギー、世界中の音楽、信じられないような時代だったね。イエスはその一部だった。僕は今でもそれを永続させたいと思っている」


あなたは新しいミュージシャンとツアーでイエスの音楽を演奏しています。スティーヴは新しい人たちとツアーでイエスの音楽を演奏しています。あなたのやっていることも、彼のやっていることと同じようにイエスらしいと言えるのではないでしょうか?

「彼のショーを見たことがないので、何とも言えないけど(笑)」

「数年前にスティーヴと話をしたんだ。再結成はありえないと言ってた(大爆笑)」


どうして彼はそんなに絶対主義なんだと思いますか?

「僕は悲観主義者で、楽観主義者なんだ。人生はわからないものだ。僕の最後のアルバム『1000HANDS』では、彼と一緒に歌った。僕は28年ほど前にクリスとアランと始めた曲(「Now and Again」)に取り組んでいた。それをスティーヴに送って、『最後に素敵なギターを弾いてくれない?』と言った。そして、彼はそうしてくれた。この曲を聴いたとき、僕はこの曲で歌いたいと思った」


毎晩あなたそっくりの歌い手と一緒にステージに立つのです。それについてどう思いますか?

「こんな言葉がある。 模倣は最も誠実なお世辞の形である()


私や多くのファンにとって、あなたたち2人はプログレのミック・ジャガーとキース・リチャーズなんです。一緒にステージに立つべきですね。

「まあ、僕の知る限りでは実現はしないだろう。何年も前から何度も言っているが、僕はとても前向きなんだ。このご時世、何が起こるかわからないけどね」


あなたは年に50回ほどライヴをする。数年前までは90回近くやっていたこともある。今のあなたにとって、移動が多すぎるとは思いませんか?

「そんなことはないよ。僕はとても健康で幸せだと感じている。僕と妻はツアーが大好きなんだ」


歌声をよく維持できますね。あなたよりずっと若いシンガーの多くは、完全に声が枯れてしまっています。

「僕は、一部の人たちがやっていたような絶叫系シンガーや、ワイルドでパンクなロックンロールの歌は好きではなかった。それはすぐに自分の声をダメにする。僕は毎日歌っている。1時間後にもスタジオに行って、歌を歌う。いつも新しい曲を書いている。創作をやめることはないんだ。こんなことができるのは幸せなことだよ」


ソロアルバム『1000HANDS』の第2章を制作中ですか?

「来年には出来上がると思う。何曲か書いているんだ。中国語で書いたアルバムもあるんだよ。中国語で歌うのは簡単ではない」


あなたはとてもポジティブで楽観的ですね。多くの人は、自分が立ち上げ、何十年にもわたってフロント役を務めてきたバンドが、自分抜きで続いているとしたら、本当に辛く、怒るでしょうね。

「僕はイングランドの北の方から来た。1963年に最初のバンドを結成した。ビートルズが登場した時だ。彼らが有名になる前に僕は彼らを見たんだ。人生は素晴らしい経験なんだから、望むならただ進み続けるだけさ」


80代になっても、ツアーに参加してイエスの曲を演奏している自分を想像しますか?

「ああ、そうだね。もちろんだ」


引退は考えていないのですか?

「ない。意味がないよ」


数年前に出た1972年のテネシー州ノックスビルでのイエスのライヴを聴いていました。バンドの絶対的なピークのような気がします。

「ありがとう。当時はとても興奮していたよ。『こわれもの』がうまくいったばかりだったからね」


私は、あなたとスティーヴがいつか和解して、また一緒に演奏する方法を見つけるだろうと楽観的に考えています。それはあまりにも理にかなっている。

「わからない。正直なところ、本当にわからないんだ」


出典:

https://www.rollingstone.com/music/music-features/jon-anderson-seventies-yes-throwback-tour-1234698321/


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