■サーカスで演奏したストローブス
旅先での生活。
楽しい時間。
ステージに立てば、何が起こるかわからない。
信じてほしい。
私はイエスの活動で有名だが、その前はザ・ストローブスという素晴らしいバンドに所属していた。
1970年に加入し、1年ちょっとの間、とても楽しく、実りある時間を過ごすことができた。
メディアは私の演奏を取り上げ、メロディ・メーカーなどの雑誌は私を「明日のスーパースター」とまで言ってくれた。
そのおかげで、私はさらに上のレベルに到達することができた。
しかし、ストローブスの初期には、奇妙な場所で演奏したこともあった。
1970年5月、私たちはフランスでサーカスに出演することになった。
あるプロモーターがサーカスを開催することを思いついたんだけど、通常のビッグトップ・バンドの代わりに、さまざまなロックバンドやフォークバンドを使って、さまざまな演目の伴奏をすることにしたんだ。
ポスターの名前を全部間違えてしまったので、正直言って、最初からちょっと失敗だった。
アーサー・ブラウンは「アラン・ブラウン」、ヘビー・ゼリーは「リューリー・ジョリー」、ストローブスは「レ・ストローブ」となっていた。
それは、音楽のスタイルによって、それぞれのバンドがある演目のために演奏するというものだった。
例えば、アーサー・ブラウンはライオンの使い手のために演奏した。
テイマーと言ったが、正直言ってライオンは薬漬けで、リングに引きずり込まなければならないほどだった。
ライオンはただ遊びたいだけで、ショーのクライマックスになる前に少し転げまわって、手練がライオンの口を無理やり開けて、巨大な肉塊を喉に押し込もうとするんだ。
まばらな観客はその危険性に無関心で拍手を送るが、ライオンも無関心で、口の反対側からおがくずの上に肉が滑り落ちるように横たわっていた。
私たちストローブスは、子供のジャグラー、綱渡り、テーブルから落ちる男のために演奏した。
子供のジャグラーは皿がなくなるまで5日しか持たなかった。
綱渡りは古くて曲がるし、地面から8フィートくらいしかないので、この男が真ん中まで来たときには床を歩いていただけだった。
テーブルから落ちた男は2晩しか持たなかった。
2番目のパフォーマンスのときに2段目のテーブルから落ちて足を骨折してしまったからだ。
さて、先ほども言ったように、これはストローブスの初期の頃で、お金がとても足りなかったんだ。
私たちは、いろいろなショーで週に18ポンドほど稼いでいた。
サーカスはいろいろな財政問題を抱えていたので、誰も給料がもらえるとは思っていなかった。
私はバンドに入ったばかりだったので、ギグで支給された小さなエレクトリック・ピアノを弾いていた。
私のソロは1回だけ。
全セットの中で小さな小さなソロが1回だけで、それをとても楽しみにしていた。
最初の週のショーの終わりに、私たちは綱渡りのために演奏していて、私の12小節のソロに近づいていた。
私はこの小さなエレクトリック・ピアノの後ろに座り、自分のたった一度の栄光の瞬間を期待して準備をしていた。
突然、客席から大きな歓声があがり、顔を上げると、ロアルド・ダールの登場人物を思わせる老人がステージに立ち、棒を振っているのが見えた。
彼が棒を振るたびに、見ている数百人の人たちが拍手で返してくれるのだ。
一体、誰なんだ?と思ったものだ。
結構だ。
私のソロは1回だけで、客席からおかしな口髭を生やした変な格好のナナフシがステージに上がってきて、棒を振り始め、私の晴れ舞台を台無しにしようとしていた。
私のソロが間近に迫っていたので、本当に腹が立ち、演奏を中断して歩み寄り、この老人の肩を小突いた。
すると彼は、巻きひげを生やしたまま、私の方を振り向いた。
「降りてくれ」と私は言った。
彼は群衆を見て、また棒を振った。
観客は賛同の声を上げた。
私はまた彼を小突いた。
「降りろって言ってるんだ!」
彼は再び群衆を見て、もう一度棒を振った。
観客は再び咆哮した。
そこで私は彼をステージから突き落とした。
私はレンタルした小さなエレクトリック・ピアノに戻ったが、その時には私のソロはとっくに終わっていて、みんなは次の曲を演奏しているところだった。
私たちはミニ・セットを終え、その後デイヴ(・カズンズ)がかなりショックを受けた様子で私のところへやってきた。
「リック、あれが誰だかわかるか?」
彼は私のソロを台無しにした。
「サルバドール・ダリだよ」
「そうなのか?」
「本当だよ」
「まあ、これで今後、私のソロを邪魔するようなことはないだろう」🤣