■ザ・ニート・チェンジ
(ピーター・バンクスの自伝より)
ザ・ニート・チェンジは、ピーターがイエスに誘われる前に所属していたバンドですが、イエスファンにとっては、名前だけは聞いたことがあるけど、よく知らないバンドの一つです。
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ニート・チェンジはより確立されたバンドで、デッカとレコード契約をしていた。
僕は彼らがマーキーで演奏するのを何度か見たことがあるが、彼らは非常にタフなモッズ、スキンヘッドに移行し、その後に続いていた。
彼らはフルアルバムを作らず、シングルを出していただけだった。
当時のヒッピーの雰囲気とは全く逆の、とてもタフなイメージを持っていた。
同じようなバンドにアンブローズ・スレイドというのがいて、やがてスレイドになった。
彼らは元々イギリス・バーミンガム出身のスキンヘッド・バンドだった。
彼らはニート・チェンジと同じようなイメージで、ソフトで甘いヒッピー的なものに対して、非常にスタイルを意識した反抗をしていた。
ニート・チェンジと同じように短髪で、スキニージーンズとベン・シャーマンのタイトなシャツを着ていた。
ニート・チェンジの音楽が好きで、ギタリストを必要としていたので、単純に加入した。
6ヶ月ほど在籍したかな。
彼らとシングルのB面を録音したんだ。
A面は「I Lied To Auntie May」という曲で、ピーター・フランプトンが書いたもので、彼もギターを弾いている。
もともと僕が参加していたんだけど、彼の演奏は素晴らしいから、僕が参加する必要はないだろうということで、僕のトラックは外されたんだ。
ピーター・フランプトンは当時からよく知っていて、彼は「Herd」というバンドをやっていた。
ロンドンの小さな音楽シーンには200人くらいのミュージシャンがいて、とても社交的な時代だった。
だから、みんな顔見知りで、同じパブやクラブに通っていた。
音楽的なエスプリが効いていたんだ。
フランプトンはA面で、僕はB面の 「Sandman」という恐ろしい曲名の曲で演奏した。
マーキー・スタジオで1時間足らずで書き上げ、レコーディングしたものだ。
この曲はアイルランドのジグのような、酔っ払ったような音だった。
シングルのB面を早く作る必要があったので、本当に急ぎの仕事だったが、まさにそのようなサウンドだった。
「サンドマン」は、10年後にストローブスに参加することになるジョン・ラムリー・サヴィルが書いた。
■Sandman
このころの自分のギタープレイに関しては、「できること」よりも「できないこと」を意識していた。
当時、誰もがやっていたエリック・クラプトンのような演奏から脱却しようとしていたんだ。
当時はまだリッケンバッカーを弾いていて、オクターブで弾いたり、12弦のような音を出そうとしたりしていたよ。
また、僕はいつも自分のギターをギターらしくない音にしようとしていた。
ニート・チェンジはBBCで演奏することはなかったが、非常に多彩なセットを用意していた。
レモンパイパーズの 「Through With You」とラブの 「The Castle」を演った。
バンドは自分たちの曲もたくさん書いていた。
ソウル・バンドとしてスタートし、その後少しスタイルを変えていったからだ。
リード・ヴォーカルのジミー・エドワーズは自信に満ちたいいシンガーで、とてもプロフェッショナルだったのを覚えている。
彼は、60年代後半のロッド・スチュワートのようなタイプだった。
ドラマーはソリッドでラウドだった。
彼はジョン・ボーナムのようなタイプのドラマーで、のちにアンドロメダというバンドに参加することになる。
だから、このバンドは悪くなかったよ。
ニート・チェンジはマーキーでレギュラー出演をするようになった。
でも、正直なところ、このメンバーで遊ぶのはあまり楽しくなかったんだ。
何しろかなり乱暴な連中で、モッズ/スキンヘッドのイメージ通りの連中だったから。
いい感じだけど、メイベル・グリアーズ・トイショップやイエスとは全く正反対。
彼らはよくパーティーをしていて、僕は「ちょっと、疲れた」と言って寝ていた。
だから、あまり社交的に付き合うことはなかったね。
また、いくつかの理由でグループから解雇された。
実は21歳の誕生日の前日にクビになって、ちょっとショックだったね。
理由のひとつは、髪を切るのを拒否したからだ。
みんな短髪だけど、自分も短髪にしたくなくて......目立っちゃったんだね。
あと、バンドとの音楽的な相性もちょっとあった。
僕はちょっと特殊なギター・スタイルで自分の道を進もうとしていたから、ニート・チェンジにはなじめなかったんだろうね。
そういうことだった。
この頃になると、いろんなバンドを渡り歩いていても、決して落胆することはなかった。
いつも、「彼らの問題だ。彼らの損失だ。俺がいなければお前らは何もできないんだ!」という姿勢でいた。
そのような自己中心的な考え方をしていた。
ニート・チェンジを解雇されたのは不幸中の幸いだった。
何故なら何かがやって来ていた(Something was coming)からだ。
(もちろんイエスのことです)
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