ザ・ニート・チェンジ

(ピーター・バンクスの自伝より)


目つきが悪いニート・チェンジ

ザ・ニート・チェンジは、ピーターがイエスに誘われる前に所属していたバンドですが、イエスファンにとっては、名前だけは聞いたことがあるけど、よく知らないバンドの一つです。


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ニート・チェンジはより確立されたバンドで、デッカとレコード契約をしていた。

僕は彼らがマーキーで演奏するのを何度か見たことがあるが、彼らは非常にタフなモッズ、スキンヘッドに移行し、その後に続いていた。

彼らはフルアルバムを作らず、シングルを出していただけだった。

当時のヒッピーの雰囲気とは全く逆の、とてもタフなイメージを持っていた。

同じようなバンドにアンブローズ・スレイドというのがいて、やがてスレイドになった。

彼らは元々イギリス・バーミンガム出身のスキンヘッド・バンドだった。

彼らはニート・チェンジと同じようなイメージで、ソフトで甘いヒッピー的なものに対して、非常にスタイルを意識した反抗をしていた。

ニート・チェンジと同じように短髪で、スキニージーンズとベン・シャーマンのタイトなシャツを着ていた。


ニート・チェンジの音楽が好きで、ギタリストを必要としていたので、単純に加入した。

6ヶ月ほど在籍したかな。

彼らとシングルのB面を録音したんだ。

A面は「I Lied To Auntie May」という曲で、ピーター・フランプトンが書いたもので、彼もギターを弾いている。

もともと僕が参加していたんだけど、彼の演奏は素晴らしいから、僕が参加する必要はないだろうということで、僕のトラックは外されたんだ。

ピーター・フランプトンは当時からよく知っていて、彼は「Herd」というバンドをやっていた。

ロンドンの小さな音楽シーンには200人くらいのミュージシャンがいて、とても社交的な時代だった。

だから、みんな顔見知りで、同じパブやクラブに通っていた。

音楽的なエスプリが効いていたんだ。

フランプトンはA面で、僕はB面の Sandman」という恐ろしい曲名の曲で演奏した。

マーキー・スタジオで1時間足らずで書き上げ、レコーディングしたものだ。

この曲はアイルランドのジグのような、酔っ払ったような音だった。

シングルのB面を早く作る必要があったので、本当に急ぎの仕事だったが、まさにそのようなサウンドだった。

「サンドマン」は、10年後にストローブスに参加することになるジョン・ラムリー・サヴィルが書いた。


■Sandman


このころの自分のギタープレイに関しては、「できること」よりも「できないこと」を意識していた。

当時、誰もがやっていたエリック・クラプトンのような演奏から脱却しようとしていたんだ。

当時はまだリッケンバッカーを弾いていて、オクターブで弾いたり、12弦のような音を出そうとしたりしていたよ。

また、僕はいつも自分のギターをギターらしくない音にしようとしていた。


ニート・チェンジはBBCで演奏することはなかったが、非常に多彩なセットを用意していた。

レモンパイパーズの Through With You」とラブの The Castle」を演った。

バンドは自分たちの曲もたくさん書いていた。

ソウル・バンドとしてスタートし、その後少しスタイルを変えていったからだ。

リード・ヴォーカルのジミー・エドワーズは自信に満ちたいいシンガーで、とてもプロフェッショナルだったのを覚えている。

彼は、60年代後半のロッド・スチュワートのようなタイプだった。

ドラマーはソリッドでラウドだった。

彼はジョン・ボーナムのようなタイプのドラマーで、のちにアンドロメダというバンドに参加することになる。

だから、このバンドは悪くなかったよ。

ニート・チェンジはマーキーでレギュラー出演をするようになった。


でも、正直なところ、このメンバーで遊ぶのはあまり楽しくなかったんだ。

何しろかなり乱暴な連中で、モッズ/スキンヘッドのイメージ通りの連中だったから。

いい感じだけど、メイベル・グリアーズ・トイショップやイエスとは全く正反対。

彼らはよくパーティーをしていて、僕は「ちょっと、疲れた」と言って寝ていた。

だから、あまり社交的に付き合うことはなかったね。

また、いくつかの理由でグループから解雇された。

実は21歳の誕生日の前日にクビになって、ちょっとショックだったね。

理由のひとつは、髪を切るのを拒否したからだ。

みんな短髪だけど、自分も短髪にしたくなくて......目立っちゃったんだね。

あと、バンドとの音楽的な相性もちょっとあった。

僕はちょっと特殊なギター・スタイルで自分の道を進もうとしていたから、ニート・チェンジにはなじめなかったんだろうね。

そういうことだった。


この頃になると、いろんなバンドを渡り歩いていても、決して落胆することはなかった。

いつも、「彼らの問題だ。彼らの損失だ。俺がいなければお前らは何もできないんだ!」という姿勢でいた。

そのような自己中心的な考え方をしていた。

ニート・チェンジを解雇されたのは不幸中の幸いだった。

何故なら何かがやって来ていた(Something was coming)からだ。


(もちろんイエスのことです)


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