スティーブ・ハウの自伝より

ドラマ・ツアーが終わって空中分解してしまったイエス。ハウはイエスの活動を続けるつもりでしたが、今後の計画を話し合うミーティングでクリスとアランはジミー・ペイジとの活動を表明し、ホーンはバグルスのアルバム製作を表明したと言います。(ミーティングの話は初耳でした!)

故クリス・スクワイアは「一度もイエスを辞めたことが無い男」となっていますが、この時クリスは辞めたことになりますね。
何故なら残されたハウとダウンズとマネージメントにはイエスを名乗る権利が残されていたからです。
残されたハウとダウンズはメンバーを補充して活動継続することを断念し、イエスを「捨てる」ことを決意したのだそうです。

決断してから二、三ヶ月のうちにジョン・ウェットンとセッションを始めたハウが最初に呼んだのはサイモン・フィリップスでした。
サイモンがやめてしまったので活動停止していたELPのカール・パーマーを呼びます。

ウェットンとカールはギター・トリオを考えていたのですが、ハウはギターとキーボードのインタープレイを構想していたのでダウンズを引き入れます。
さらにオーディションは止まらず、Robert Fleischman、Trevor Rabin、Roy Woodと続いた後に、結局四人でやることにしたそうです。(ラビンとのセッション・テープが残っており、流出してコレクターの間に流通しています)



彼らはイエスを名乗るのをやめて、10個の候補から新しくエイジアと名乗ることを決めます。残った候補のひとつが「Scunthorpe」!だったそうです。そりゃエイジアの方が良いに決まってます(笑)
レコード会社も一新し、新しく出直すことを決意します。

ファンとして気になるのは、何故ウェットンが辞めてレイクが入ったのか、そしてウェットンの復帰とハウの離脱についてハウ本人がどう書いているかですよね。



エイジアの成功と栄光、ハウが味わった達成感についての描写は省きます。

ファースト・アルバムの大成功でエイジアはセカンド・アルバムの制作を急がされます。
以前から「アルバムアルファはファーストほどカラフルじゃない」と公言していたハウですが、制作過程でヒットシングルを希求したレコード会社(ジョン・カロドナー)に受けた仕打ちと理不尽な制作への介入について色々語っています。
レコード会社にしてみれば当初のウェットン-ハウのソングライター・チームよりヒット曲を生んだウェットン-ダウンズ・チームを優先したがったのは容易に想像できますよね。

詳細は省きますが、自分が書いた曲が省かれたり(例えばシングルDon’t CryのB面に収録されたLying To Yourself など)、自分のギターを大幅にカットされたり、出来上がったミックスがインストがほぼなく、全然プログレじゃなくなってしまったと語っています。
結局発売日に合わせるために大幅な妥協を強いられたことにハウはプライドを傷つけられ、フラストレーションが溜まったようです。

アルファ・ツアーではステージでレコードとは異なるアレンジを色々試そうとしたことについて語っています。コーラスの反復やソロを長くしたりです。
私見ですが、レコードの出来映えに満足出来なかったハウがライブで音楽性を取り戻そうとしたように見えます。
しかしウェットンのせいで上手くいかなかったようです。
既にアル中だったのでしょうか?

上手く行かなかったニューヨーク公演後に三人はウェットンのミスを責めたと言います。
バンドは9月7日の公演後、10月末まで予定した公演を全てキャンセルしてしまいます。そして三人のサポートを失ったウェットンが辞めてしまったことは公表されませんでした。
でもそれが「グレッグ・レイクの悪夢」を呼ぶことになりました。

(続く)



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