「手を打てば ハイと答える 鳥逃げる 鯉は集まる 猿沢の池」
奈良にある猿沢の池のほとりで手を叩けば、
茶店の人ははーいと返事をし、鳥はパッと逃げ、鯉は餌をもらえるものだと思って集まります。
「手を打つ」という同じ動作でも、見る人聞く人によって、受け取り方は様々だということです。
私事で恐縮ですが…
私と主人は正反対の性格をしておりまして、考え方や嗜好、体質までもが全く違います。ですので意見が合わず、ぶつかることが多々あります。どちらも自分の意見を曲げないため…いつも平行線のままなのですが。
私達は「自分の考えは正しい」と頭から思い込んでいることがよくあります。もっと言えば、自分の間違いを認めたがりません。
最近のSNSでも、自分の考えを否定する意見には目もくれず、肯定してくれる見方を好む傾向にありますね。
「考え方は 常に一つではない」ということを忘れないようにしたいものです。
仏教に『一水四見(いっすいしけん)』という言葉があります。
一つの水を見るのに、四つの見方があるというのです。
一つの水でも、
天人の世界では瑠璃色の宝に見え、
私たち人間にはそのまま水に見え、
餓鬼には飲もうとした瞬間、火に変わる苦しみの水に見え、
魚たちには住み家と見えるということです。
人間というものは自分の体験や知識だけで、ものごとの善悪や正誤を判断しがちです。
あるいは、その時の気分で一方的な見方をしてしまうこともあります。
私自身もちょっと見る視点を変えれば、全く違った一面が見えてきます。
主人は 自分にない考えを持ってるので、ある意味、自分の欠けてる部分や足りないところを補ってくれます。正反対な性格だからこそ得られる視点や補完し合える関係は、パートナーシップにおいて、大きな強みになります。
日常生活では 夫婦や親子、嫁姑、近すぎて節穴ばかりが見え、対立や喧嘩が絶えずありますが、そんな時は少し距離をおいて、間をおく。
そのうち 客観的に見直すことができるようになれば、おのずから解決の糸口も見えてくるでしょう。
近すぎて 見えないものがあります。反対に、近づいてみて 初めて気づくこともあります。
また遠くて 見えないことがある。遠く離れて、初めて気づくこともあります。
日々頭が硬くなってる私ですが、角度を変え立場を変え、遠く離れて見たり近づいて見たりして、柔軟に対応していきたいです。
私達は 鏡がものを映すように、そのままの姿を受け止めているのではなく、
私流のレンズを通してでしか、自分の受け皿の大きさでしか、見ることができないということを自覚することが大切です。
さらには、みんな違った人生を生き、それぞれ異なった立場から見ているのであるから
違う見解が出てきて当たり前。くいちがって当たり前。
むやみに自己主張しても、自分と見方が違うからといって、相手を否定しても何もはじまりません。それよりもまず、自分のキャパシティを広げることが先決ですね。
ネットやテレビでは「自分と違う考えを非難する」人がもてはやされています。個人に限らず、世界中で「分断と対立」にあふれています。残念なことですね。
