私事で恐縮ですが、最近、実母が認知症の入口に立ちました。

話には聞いていましたが… 実際に認知症になると、想像もしなかった状況に困惑しています。

 

母は何となく顔つきが変わり、食べ物の好みも変わりました。それほど甘いものを食べなかった人が、毎日毎日、甘いものを欲しがります。それから嗅覚もおかしくなり、線香を同時に2本炊いていても、匂いを感じていないようです。

また昔の記憶は鮮明ですが、直近の記憶は飛び、現実と空想の世界が混在するようになってきました。今は「なんにも、やる気が出ない」と言って、ずっとテレビを見ています。

 

一番びっくりしたのは、怒ると人格が全く変わってしまうところです。あんなに温厚な優しい性格だったのに!

この前 ちょっとした事で言い合いになった時、鬼のような顔で、凄い剣幕で怒鳴ってきました。こんな人だったっけ?母に対するイメージが壊れていきます。

 

「もう昔のように戻らないのか。もっと認知が進んだら、私はやっていけるだろうか」不安に苛まれ、仏さまに「どうにかしてください」と何回も祈りました。

 

 

何度も母とぶつかって、最近思うことは

「母が老化現象でこうなるのは仕方がない。もう歳だから。

私が相手に合わせないと、いつまで経っても喧嘩が絶えず、辛い状況は変わらない」

 

さすがの私も覚悟を決めました。

世の中は無常ですから、人が変わっていくのは当たり前です。昔のように戻ってほしいと思うのは、自分勝手な誤った考え方。目の前の現実を受け入れるために、自分を変えていかなければいけません。

現在は少しずつ母に対して、前向きに引き受けられるようになりました。

 

 

お釈迦さまは、

苦しみを正しく受け入れることができるように、

「自分の心のもちよう」を変えていくことが、

苦悩から解放される唯一の道だと説いていらっしゃいます。

 

 

平たく言えば、状況を正しく見て(把握して)、自分の心のあり方を変えながら 対応していくこと。

正しく見るということは、自己中心的なものの見方を捨て、この世の在りようを「客観的に、合理的に」見るということです。

 

人間は自分の我が出てくると、事実をありのままに、正しく見ることができません。

ものごとを自分中心に作りあげてしまうからです。そして、それが正しいと思い込んでしまいます。

 

自己中心の誤った世界観は必ずいつか、現実世界との間に大きな食い違いをもたらし

「こんなはずではなかったのに」という後悔や無念、失望、怒りなどを生み出します。

それが苦しみを生む「もと」だと、お釈迦さまは仰っておられます。

 

本能というべき「我が身かわいい」思いや「私が私が」という思いは無くすことはできませんが、なるべく客観的な判断を心がける。

そうすれば、世のありようの真の姿が見えてきて、自分がなすべき正しい行動もわかってくるのです。

 

 

 

文明や科学の発達は人を安楽にしますが、だからといって、人の世の苦しみをすべて取り除いてくれるわけではありません。AIの力でも消せない苦しみは山ほどあります。

 

苦しみや悲しみの感情に溺れてしまい、自分を追い詰めてしまった時にこそ、自分の状況を客観的に把握し、心のもちようを変えていく。

 

 

人生は常に移ろい変化を遂げていくものです。年齢的な変化もありますし、環境の変化もあるでしょう。

それらの変化を柔軟な心で受け入れ、嘆くのではなく、新たな活路を見出していく。そんな人生を送りたいものですね。

 

ボーダー柄の服を着たチワワ