うちの姑は施設に入って約5年。今まで元気でしたが、今年に入って急に状態が悪化。今は食事も取れず、高栄養のアイスクリームだけを食べています。本人の希望で延命治療はしないため、点滴などは一切行いません。なので、もうそんなに長くはないと家族は覚悟しています。

 

最近はもう話すこともままならないですが、お姑はいつも「私は元気だから大丈夫。ここの施設の人によくしてもらってるから、心配しないで」そして最後は「ありがとう」と言います。

 

先日は私に「ありがとう。ありがとう」と何回も言っていました。私も「ありがとうございました」と何回も返しました。それにしても、あんなに憎くて恨んだお姑から「ありがとう」と言われるとは思いませんでしたね。不思議なもんです。

 

いったい、お姑に「ありがとう」と言わしめているものは何なのでしょうか?

 

 

 

「ありがとう」の語源は「有り難し(ありがたし)」

「有ることが難しい」=ほとんどあり得ないという意味です。

原典は『法句経(ほっくきょう)』というお経の一節に出てきます。

 

 

ひとの生をうくるは難(かた)く

やがて死すべきものの、

いま生命(いのち)あるは有り難し      法句経一八二番

 

人間に生まれる確率は何億分の一。私達は数え切れない偶然と、無数の先祖の出会いによって誕生しました。一人ひとりの命が有り難き、奇跡のような存在だと説かれています。

 

この稀なことを喜び、尊ぶ気持ちが  「有り難い」という感謝の意に移り

今日の「ありがとう」という言葉になったと言われています。

 

 

 

見るたびに、ちいちゃくちいちゃくなっていくお姑を見ていると心切なく、

否が応でも「死」を目の前に突きつけられます。

 

「こうやって人間は死ぬんだよ。お前もいつか必ずこうなるんだよ。

いつ死んでもいいように、今を大切に生きなさい」

 

あたかも、お姑が全身心をあげて、私に言っているようです。

今、元気な私も必ず死ぬ…「死すべきもの」ですから。

 

 

 

普段 私達は死を忘れていますが、

誰かが亡くなったり、病気や事故で自分の生命が危うくなってはじめて

生きていられることの尊さに気づき、本気で生きるとはどういうことかを考えます。

死を忘れたら 生もぼけます。

 

また、「人生が辛い、死にたい、生きていても仕方がない」…誰もが思うことですが

この世には、生きたくても生きることができない人が沢山います。

 

 

《私が無駄に過ごした今日は

昨日死んだ人が 痛切に生きたいと思った一日である》  学生

 

つまらないことに心奪われて、大事なことを忘れてしまってはいけません。

本当の幸せは 金や地位名誉、快楽などではなく

「今、生きているということ」だと思います。

 

 

 

願わくは、私も死ぬ時は「ありがとう」と言って死にたいです。

 

ありがとう…

喜怒哀楽さまざまに織りなす七転八倒の人生、今まで色んな有り難いことがあった。

私を支えてくれた人達や全てのモノに対して感謝の言葉しかない。

だから「ありがとう」なのだと思います。