ここ最近は何に対しても気力がわかない。なんにもやる気が出ない。

原因は文章が書けないから。いわゆる生みの苦しみというヤツ。

 

「このままではいけない」と焦るが、ただただ毎日の忙しさに流されて、書けない日々が過ぎていく。

 

 

そんな時、ある檀家さん(書き物を生業としていた方)のお葬式があった。

 

聞いたところによると、その方は死ぬ間際まで一日も欠かさず、新聞や本を読み、心に感じ入った言葉をノートに取っていたという。82歳にしてこの精進。頭が下がる。

脳だって老化しているだろうに。人の見えないところで努力されていたんだなぁ。

 

ようやく私の気力が動き出した。

 

自分が書こうと思っているテーマについて、資料を収集し、構想を練り、原稿に向かう。そして何とか文章を作り上げる。

 

これが私の生きる喜びの一つになっていたのだ。

 

その大事な下準備を怠っていた。

文章が出来上がるにつれて、少しずつ私のテンションが上がってくる。人間の心はゲンキンなものである。

 

お釈迦さまのお言葉

「精進こそ不死の道、放逸(ほういつ)こそ死のみちなり」が 本当に身に染みた。

 

 

 


 『法句経(ほっくきょう)』というお経の中に

「精進こそ不死の道、放逸(ほういつ)こそ死の道なり。
いそしみはげむ者は死することなく 
放逸にふける者は生命ありとも
すでに死せるにひとし」    
    (法句経21)

 

と、あります。意味は、

 

つとめ励みながら、生きることこそ 不死の道。

怠けつつ 生きるのは 死の道。

努力しつつ 生きる人は 死ぬことがない。

怠けつつ 生きる人は すでに死者に等しい

 

 

仏教では「精進」ということを教えています。精進とは簡単に言えば「努力」です。

ですが、たんなる努力ではありません。「好きこそ物の上手なれ」ではないですが、どちらかというと「苦にならない努力」が精進であります。

 

私達はついつい、いっときの感情に流されて「もういいや」と怠け心を出しがちですが、、、、それでも

 

怠けることなく、

自分ができることに精一杯 励みましょう。

それこそが心の平安への入り口。

 

ひいては自分の心が救われるのです。

 

私自身も「書けない」と言って逃げていた状態から、無い頭を振り絞って なんとか書き上げた今、心の気分がいいです(*´∀`)♪

 

 

 

余談ですが、お釈迦さまの人生はまさに精進の一生でありました。

 

お釈迦様は悟りを開かれてからも決して安穏していたわけではなく、80歳で涅槃に入る(お亡くなりになる)まで、旅を続け、人々のために教えを説き続けられました。

 

「精進」を生涯かけて実践され、弟子たちにも説き続けられたのでした。