先日、久しぶりに赤ちゃんを抱っこする機会がありました。思わず ニコッと顔がほころび、心まで和やかになります。赤ちゃんの心は純粋無垢ですから、、、、その心に感化されて、私の顔もニコニコと笑顔になったのでしょうか。

 

反対の場合もあります。私がブスッとして 鬼のような顔をしている時は、周りの人は近寄り難く 嫌な気分にさせてしまいます。

 

これは 相田みつをさんの詩ただいるだけで】です。

 

あなたがそこに

ただいるだけで

その場の空気が

あかるくなる

 

あなたがそこに

ただいるだけで

みんなのこころが

やすらぐ

 

そんなあなたに

わたしもなりたい

 

 

一緒にいるだけで、場が「明るくなる人」と「暗くなる人」がいるように

どこへ行ってもうまくいく人がいます。逆に、どこへ行ってもうまくいかない人がいます。

原因は相手にあるのではなく、自分にあるのでしょう。

 

私の中の鬼の心が 相手の心の中のをひっぱり出し、行く先々を修羅場とし

地獄を展開していく、、、、

赤ちゃんの心のように純粋無垢な心であれば、相手の優しい仏心 (ほとけごころ)をひっぱり出し、お互いに「いい顔」になる。当然、その場の雰囲気も良くなります。

       *参考文献 青山俊董尼著「あなたなら、やれる 禅のまなざし」 

 

 

 

『この体   鬼と仏と  あい住める』

 

これは死刑囚が詠んだ句だそうですが、全ての人間に当てはまることです。

鬼だけの人もいません。仏だけの人もいません。

 

仏教には「十界互具 (じっかいごぐ) 」という言葉があります。

人間は「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩、仏」の十の心を

すべて持っていまして、

一瞬にして「仏の心」を出すこともできれば、一瞬にして「鬼の心」を踊り出させることもできるのです。

 

ハイの返事一つでも、明るく元気なハイを聞くと こちらまで楽しくなりますが

逆に「うざいな、何だよ」と言わんばかりの返事が返ってくると、その声を聞いただけでカチンと腹が立ってきます。相手次第では いかような顔でも飛び出せる私です。

 

どんなに素晴らしいと思われている人間でも、悪状況と条件次第によっては 

人殺しだってやりかねない、、、というのが人間なのです。

 

 

 

行く先々がうまくいかないのは、相手のせいではなく自分のせいです。

相手を責める前に、まずは私が変わるということ自分の心 (考え方) や 行動を変えてみるということでしょうか。

 

お釈迦さまは
「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」と説かれました。


私達の人生は自分の気持ち次第でどのようにも変化します。

どうなりたいかは自分の心次第、、、、全ての始まりは 心からです。

 

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる。(インドの故事)

 

 

たった一度の人生ですから、、、、

いつも 鬼の心ばかりをひっぱり出し合っている悪循環の人生ではなく、

お互いに 仏心をひっぱり出し合い、ニコニコと穏やかに過ごすことができる日々を心がけたいですね。