熱戦を繰り広げたミラノ・コルティナ冬季五輪、日本は過去最多の24個のメダルを獲得しました。

年をとると涙もろくなりますね。テレビを見ながら何度ももらい泣きしました。特にうれし涙に。選手のはじけるような笑顔を見ていると、私まで幸福感に包まれました。

 

幸せは、分かち合うことができるからでしょう。

 

 

仏教学者のひろさちやさんは生前、こんなことを語っておられました。

 

ある時、お姉ちゃんがケーキを一つもらって帰って来ました。ひろさちやさんは「弟にも分けてやりなさい」と言いながら、

 

「何故、分けて食べさせるのか?」という理由を子ども達に尋ねました。

 

すると、お姉ちゃんは「弟が可哀想だから」と。弟は「今度、僕が買ってきた時にお返しをあげるから」と答えました。

 

しかし、お姉ちゃんの答えには「もし可哀想だと思わない相手には 分けてやりたくない」という、差別感情が含まれています。

弟の答えにも「お返しをくれない相手には分けてやらない」という、打算の気持ちが含まれています。

 

ひろさちやさんは子ども達に

『一つのケーキを二人で分けて 食べたら、ケーキがもっと美味しくなるから』と答えられるようになって欲しいと、仰っていました。

 

 

もちろん、一つのケーキを何人で分けようと味が変わるはずがありません。しかし 味が美味しくなることを、私達は経験で知っています。

例えば…一人で黙々と食べるご飯よりも、みんなでワイワイ食べるご飯の方がずっと美味しいですね。

 

そこには『ひと味』違う味が加わるからでしょう。

理屈を超えた言葉では表せないもの…プラスαでしょうか。

 

ケーキを分ける喜びが、プラスαを生み出すのです。こういう子ども達は心が豊かになっていくと思います。

 

昔の人は「見えざるものを見、聞こえざるものを聞く」ということを大切にしていました。合理主義的な現代に生きる私達も、こういう「プラスαを認める心」を持ち続けたいですね。

 

 

 

話がズレましたが、

仏教では分け与えること、つまり「施し(ほどこし)」が最も大切な仏道修行の一つとされています。これを『布施(ふせ)』と言います。

 

布施と言えば、一般にお経のお礼として「お寺に渡すもの」と解釈されていますが、

お坊さんだけでなく、みんながみんなのために行う修行です。

 

親切な心、優しい心、思いやりの心がもとにあって、10円でも100円でもほどこす。またはご馳走を振る舞う。おすそ分けをする。

 

なにも、お金や物ばかりをほどこすのではありません。

 

優しいまなざしで 見守ってあげる、眼を施すと書きまして「眼施(がんせ)」

 

いつも 笑顔を絶やさず、ニコニコ顔は人の心を明るくします。お顔で施しますので「和顔施(わがんせ、わげんせ)」

 

「大丈夫ですか?」優しい言葉をかける。言葉で施すこともあります。「言施(げんせ)」

 

「ありがとう」「すみません」など、心からの感謝や「あの人の病気の具合が、早く治りますように」と心配してあげることも、心を施すという布施「心施(しんせ)」

 

また、重たい荷物を持って運んであげる。これは労働で布施をしますので、身体を施すと書いて「身施(しんせ)」

 

お金や物でほどこしが出来なくても、自分が持っている、この身体、この顔、この手でほどこす。これなら、誰でも何時でも出来ますね。

 

財がなくてもできる七通りの布施を「無財の七施 (むざいのしちせ)」と言います。

 

 

 

これらの布施はやはり、ほとけ心や思いやりから生じるものですが

強要や下心、嫌々ながら行う布施ならば、しないほうがマシです。

 

また感謝されるからするのではありません。(それは自己満足です)

見返りを求めることなく、人さまのために物や心のほどこしをすることが大事なのです。

 

 

 

ただ目の前の忙しさにかまけていると、自分のことで精一杯。余裕がないというか、ついつい面倒になってしまいます。

ですので、布施をするということは案外難しいことだと思います。簡単なようで、意外とできない。

 

要は…布施の内容や大小というより、そのことに立ち向かう「心の姿勢」が重要ですね。

 

でも、世の中の多くの人が「無財の七施」を実行してくれたら、人と人の間がもっと温かくなるでしょうね(笑)