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私の笛簫日記

笛と洞簫の練習の進捗状況と、練習の傍ら聴いて感動した奏者の方の素晴らしい演奏を記録しておきたくてブログをはじめました。篠笛の素朴な味わいのある音、中国笛子の澄んだ美しい音、洞簫の渋い古典的な音に心惹かれています。

毎日少しずつ笛子を練習しています。この季節になると咳がでて、笛の練習は休みがちにならざるを得無いので時間がかかっていますが、ようやく「賽馬」らしくなってきました。


ところで、今日は以前に書いた記事の訂正をしなくてはなりません。


2019年829日の記事に「蘇武牧羊」を「古曲」と書きました。古曲は一般には古代の曲をさしますよね。しかし、今読んでいる『音楽史話』によれば、「蘇武牧羊」は中華民国初期の1914年に誕生した「歌曲」です。古いけれど古曲と言うほどではありません。

 

『音楽史話』に紹介されている「蘇武牧羊」誕生秘話は…

中国の東北地方、遼寧省蓋県で京劇と伝統影絵(皮影)の劇団の公演がありました。学校は一日休みになり、教師と学生はこぞって観劇に行ったそうです。学生達は影絵を大変気に入ったといいます。恐らくは、学生が影絵の公演を学内でやりたいという話になったのでしょう。師範学校の音楽教師・田錫侯が、影絵の音楽「大悲調」をアレンジした劇中歌を作曲しました。しかし田は歌詞を書けなかったので、国文(日本の国語にあたる)教師・蒋蔭棠に歌詞を依頼しました。蒋蔭棠は田が作った曲に併せて、授業で教えていた「蘇武牧羊」で歌詞を書きました。


即ち、

影絵の劇中音楽をアレンジして作曲したので民族風の曲調になり、歌詞が「蘇武牧羊」になった理由はたまたま「蘇武牧羊」を蒋蔭棠が国文の授業でやっていたから、でした。蘇武の境涯が分かりやすい言葉で表現された理由も学生向けだったからだと思います。

 

師範学校の先生2人が、学生の公演のために協力して作詞作曲した歌曲「蘇武牧羊」は1920年代には広く知られ、「学堂楽歌」(学校唱歌)として音楽の授業で歌われ演奏され、いつしか中国人の多くが知る歌曲になりました。


それほど有名になった歌曲ですが、誕生の経緯は知られておらず、長い間楽譜には作詞作曲者不明と記されていました。

 

1980年代になって、傳景瑞という人物が「蘇武牧羊」を調査、1991年第3期の『楽府新声』に「蘇武牧羊のルーツと顛末を尋ねて」を発表し、ようやく作詞作曲者と経緯が明らかになりました。今では楽譜にも教科書にも作詞者の蒋蔭棠の名は記されるようになっています。しかし、どういうわけか作曲者・田錫侯の名は記されることがなく、いまも楽譜には「古曲」と書かれている場合が多いのです。影絵の「大悲調」の曲調に創意を得たにせよ、作曲と言っても問題ないのに、なぜ作曲者の名は載せずに「古曲」のままにするのでしょう。単に知らないのか、この辺りをわざと曖昧にしているのか、或いは作曲者には異説があるのであえてこのままにしているのか、どちらなのでしょうね?

 

YouTubeで見つけた子供向け中国伝統影絵(皮影)の動画「鶴と亀」「狐とカラス」です。鳥や動物の動きの表現が繊細で、劇中曲や歌や台詞は京劇によく似ています。言葉は分からなくても楽しめますよ。







こちらの「蘇武牧羊」動画には詞: 蒋蔭棠、曲:田錫侯とあります。歌になると笛簫とはまた異なる古風さを感じます。





参考:梁茂春『音楽史話』(社会科文献出版社)