宇摩説の鬼(6) 鬼の特徴2 鬼の土産(鬼への親切と御返し) | 哲也の敬天愛人ブログ

哲也の敬天愛人ブログ

天を敬い 人を愛す。

天は我も人も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心を持って人を愛するなり。


テーマ:宇摩説で童話の起源を解く

  はじめに

 

 前回は「まんが日本昔話」の「節分の鬼」を紹介した。此の中で、鬼に対する小さな善意、親切に対して鬼から過分の土産を貰う話である。

 

 これは神社参拝に似て、神に捧げる善意に似ている。鬼は捧げた善意(供えた感謝など)に過分の御返しがあるとい言うのは鬼の本来の伝承だったことが判るだろう。

 

 此の事でも、鬼が高天原組織の地域の主であった事が判る。

 

 これを書いた後、nihonhanihonさんのコメントが入ったので、先に載せたが、面白い指摘だった。このシリーズは、鬼を解明して、宇摩説の補足にする予定だった。

 

 言われて気付いたが、鬼の解明は、倭人伝の鬼道を良(能)くした卑弥呼の話にも通じる解明である。この視点も加えて今後の鬼解明を読むと面白いだろう。

 

 では、前回の鬼の特徴、「1、宴会」に続いて、「2、御返し」を書くことにしよう。

 

  鬼への親切と御返し

 

 

 鬼の話には、(1)、桃太郎のように一方的に鬼を退治の対象とする朝廷創作の話があると同時に、(2)、鬼を喜ばせて礼を貰う話や、特殊な鬼の品物を貰う話もある。

 

 

 (2)、は前回の、「節分の鬼」もそうだ。しかも、招いた事、暖を取らせたことに喜んだ鬼達が酒や御馳走、金品まで持ち込んでくる過分の礼の話である。

 

 

 此の鬼は、(1)の話や、節分で伝わる話と違った鬼である。尾の鬼の特徴は、顕著だが、先に示した学者の解説には、こちらの鬼は詳細な解明が無い。

 

 

 しかし、「瘤取り爺さん」の鬼の宴会に踊りを見せて歓迎される話もある。こちらは、「正直と欲深い」二人の爺さんの話であり、高天原時代の、幼児教育の一端を残している。

 

 

 怪物や妖怪に似た後世の鬼でなければ、鬼の話には善意の応対で現実を超越した幸運を受ける。この幸運は霊的であり、卑弥呼の能力に因って起こるような幸運である。

 

 

 このけた違いの幸運が舞い込む鬼の話は、桃太郎や節分で語られる鬼とは一線を画すものだ。つまり、鬼が高天原組織の地域の主である時に叶うものだ。

 

 

 高天原の組織の主が、ウシ(大人)と呼ばれたが、牛の字を当てて迷彩した。また、牛・穏(ウシ、隠す)から、牛鬼の話が広がることになる(詳細別記)。

 

 

 「牛鬼」や、「鬼は内」の昔話も全国に残っている。だから、「節分の鬼」が特殊な例では無い。桃太郎や節分の悪い鬼は朝廷の迷彩工作だから、全国に広がった。

 

 

 朝廷は様々な方法で組織隠しをしたが、人々が逆の話を伝え残したものがあるのだ。だから、前回の「節分の鬼」のように、鬼を保護する話も各地に残る。

 

 

 また、日本文化は損得でない対応をするから、朝廷の推進する鬼である先の主に命をかけた同情する人が居たのである。こうして残されたから、史実が出てくるし、宇摩説が補足できるのだ。

 

 

  鬼は内、福も内

 

 

 そこで、「鬼は内、福も内」で検索すると、1890もヒットした。つまり、全国には、「鬼は外」の他に、「鬼は内」と云う所が結構あるのだ。

 

 

 その一つ、中日新聞の記事を紹介する。

 

 

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090202/CK2009020202000016.html

 

 

 この記事は、瑞浪市と隣の御嵩町にかけて、「鬼は内、福も内」と云う節分の話である。

 

 

 このイワレは、次のようだ。鬼岩の名は、800年ほど前に住民や旅人に悪行の限りを尽くした鬼人「関の太郎」が岩山に住んでいたとの言い伝えによる。

 

 

 このまつりは、武士に退治された鬼人が「福鬼」としてよみがえり、厄払いをするとして、観光客や住民の無病息災を願って感謝を込め、開かれている。

 

 

  宇摩説の見解

 

 

 宇摩説からみれば、鬼岩のイワは祝(いわ)であり、岩戸隠れのイワでもある。本来は、この岩の場所で祝福する行事があったものだろう。

 

 

 つまり、鬼が祝福した(厄払いした)のを、「鬼イワ」と云ったのであり、前後の話は後世の付加である。または、迷彩された。このように伝えないと廃止の強制があった、などだろう。

 

 

 鬼が住民や旅人に悪行の限りを尽くしたと云うのは、朝廷の推進を受け入れたと云えるだろう。また、高天原と朝廷に二分された社会で争った時の相手の行動ともいえる。

 

 

 そして、権力者の横車の鬼の狼藉と退治を受け入れて、後の話として「福鬼」にして、元の鬼(主)を復活させたと云うのが庶民の知恵である。

 

 

 このような横暴の迷彩によって、日本の古代が不明になった。しかも、史学者は、基本であった古事記や日本書紀を創作として歴史から抹殺した。

 

 

 この上に、「騎馬民族征服王朝説」と云う小説を書いた。これによって、在日は、「日本人は日本から朝鮮に帰れ」などと、言っているのだ。

 

 

 反日・左翼の戦後史学を続ける現史学の破棄が必要である

 

 

  まとめ

 

 

 鬼岩の話でも、鬼が厄払いである。これは、神社に参拝して願い事をして奉納する。そして、願いは奉納したものより、格段に大きいのが通例だから、御返しが多いのはこれを示している。

 

 

 鬼が過分の土産を渡す話は、史実の歴史の伝承を残すものであり、高天原に関係する地域の主であったから出来る事であろう。この事を、過分の土産(礼。御返し)が残している。

 

 

 過分の御返しは、高天原の霊的力が強いからできる。鬼道を能くした卑弥呼の継承記憶である。また、高天原に寄せる民衆の意思・思考であった。だから、今も天照大神が最高神なのだ。

 

http://ameblo.jp/yamato011/day-20090226.html

 

鬼の伝承を調べてみると宇佐神宮にも鬼が作った石段があった。