元宮八幡社 豊後高田市田染 | 哲也の敬天愛人ブログ

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天を敬い 人を愛す。

天は我も人も同一に愛したもうゆえ、我を愛する心を持って人を愛するなり。

本日は国東半島にある豊後高田市田染(タシブ)に

鎮座する元宮八幡社を紹介します。


では鳥居から。


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額を見ると・・・文字らしきものはありますが解読不能。


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次の鳥居には・・・

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八幡宮の文字があります。

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鳥居の横に↓の看板が。

この看板を見てこの神社が元宮八幡社だと知りました。

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境内に入ってすぐ清めの手洗い。

石を横から見ると船型石の様に思える。


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この石の裏には鳥居を新築する時に寄付した人の名前を書いた石柱が建っている。


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そして拝殿。

拝殿の前に建っている石灯篭は自然石を使っているんですが杯状穴はありませんでした。

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石垣の上に建った拝殿です。

拝殿が以前行った高並神社に良く似ています。


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そして境内には仁王様が。

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神仏習合文化ですね。

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境内には石祠が多数祀られてます。

祠に文字はありません。


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こちらの鳥居の額には『金比羅宮』の文字があります。


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すぐ近くにもう一つ鳥居があります。


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が、見ての通り額がありません。

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この鳥居に横に祠が3社ありますがこちらにも文字はありません。

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その奥には石灯篭があります。

その昔、社が建っていたと思われます。

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そして本殿。

木造の立派な建物です。

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拝殿の中には絵が飾ってあります。

昭和5年に奉納した絵のようです。


見難いですが川を渡る神輿が3基。

この神社の祭りの様子を描いている様です。


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この神社は白壁で囲われている。

仏教の影響を受けているようです。


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最初の鳥居の向こうにはもう一つ鳥居が見える。

その先は桂川が流れてます。


川から参道を通りこの神社へ続いている。

先ほどの絵画にあった神輿3基は祭りのときこの桂川を渡っていたのでしょう。



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そしてこの鳥居のすぐ近くに石を無造作に置いている場所がある。

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多分、この神社・石垣・境内社を改築もしくは撤去した時の石だろう。

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ひょっとしてと思ったが杯状穴は無かった。

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そしてこの神社のすぐ横には『元宮磨崖仏』があります。


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この磨崖仏は室町時代に完成したものだそうです。

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これが元宮磨崖仏です。

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風化が進行しないようにこの様なお堂を建ててます。

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いやぁ~立派ですね。

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以上です。


この田染地区にはその昔『田染荘』と言われる宇佐神宮の荘園がありました。

3年前・・かな?大分国体で来県した皇太子殿下もこの田染荘を見学なさったそうです。


この元宮八幡社の詳しい祭神などは分かりませんが

宇佐神宮から分祀されたという話もありますので応神天皇あたりかな?って思います。


この神社は境内社の数が多いので近隣の神社が合祀されている様です。

ネットで調べるとこの神社は田染八幡三社の一ノ宮だそうです。


それで元宮八幡社なんですね。

自分は桂川河口にある若宮八幡の元宮かと思いました。


拝殿にあった絵画(昭和5年)と船型石はチョッと興味があります。


川を渡って神社(田染地域)に来る。

船型石はそのまま川を上って船でここまで来たと言うことだと思う。


豊後高田には『ホーランエンヤ』の祭りが今も伝承されている。

この田染地区にも高天原の使者が宝を持って訪れていたんではないだろうか?


その古代の伝承が川を渡る神輿であり船型石となって地域に残ったと思う。


国東半島は色んな古代の遺跡・伝承があるので

想像していくと上手くまとまらなくなったので本日はこの辺で。