「道元和尚の教え」と「瑩山和尚の教え」とを「別の教え」と受け取る。

「別の教え」別の尺度にある、…だから、両方が、お互いに、正しい。

 

「道元和尚の御苦労」に感謝し、同時に、自分が救われる。

「瑩山禅師のお陰」で、主著『正法眼蔵』が、今日まで伝わったことに、感謝する。

 

「山田霊林禅師」の『正法眼蔵講話』を拝読して、しきりに、そのことを考える。

「瑩山禅師の教え」の方である。それで「安心・アンジン」を得ている。

 

縁というか、運命なのであろう。

わたしの場合も、別の運命で、このようになってしまった。

 

道元和尚から、

「増谷文雄」先生の「原始仏教」『阿含経』相応部経典を学び、

そこから、

再び、道元和尚に戻って来た。

 

更に、そこから、

「南直哉」さん、に出会って、

「道元和尚は、日本において、問題を解決した。

それの証明を求めて、中国に「正師」を求めた。

2年間探して、やっと、如浄禅師に逢えた。」

との「質問への回答」を頂いた。

 

これで、私の「迷い」「迷走」も、終わることができた。

生きている間に、お陰様で、決着がついた。

 

他方、

増谷文雄先生の方は、

親鸞聖人の方で、決着を、つけられた。

(元々、「浄土宗」の僧侶の方であり、

「浄土教」の、元に戻ったことになる)

 

増谷文雄著作集〈10〉親鸞 (1982年)