小学校の頃、父に、連れて行ってもらった記憶がある。
○ ○ ○
実母の実家が、平泉町の近くの「陸中折居」駅の傍だったから。
周りは、一面の「水田地帯」だった。
既に、祖父は亡くなっていたが、「獣医」だった。
当時は、牛が「耕運機」で、馬が「トラック」だった。
大きな「土間」、相撲の稽古場のようなのが「牛馬の診察室」。
中央に、「平行棒」があり、馬などが、その間に、引かれて来て、
「爪切り」したり、「蹄鉄」などを交換していた。
つまり「すり減った、タイヤ」の交換である。
敗戦で、台湾から、逃げ返って来ていた。
だから、
「台湾の水牛の、大きな角」や「光学顕微鏡」などが、「形見」として残っていた。
実母の祖父や祖母の記憶は、一切ない。
まだ見ぬ桜風景を求めて平泉町へドライブ | 愛LOVEもりおか~徒然日記~
イタリアの商人「マルコ・ポーロ」で
有名な「金色堂」が、
この「鞘堂」の中に、大切に保存されている
松尾芭蕉が『奥の細道』で
平泉の中尊寺・金色堂(光堂)を訪れた際に詠んだ名句は
「五月雨の 降り残してや 光堂」
梅雨の長雨(降り続く=朽ちさせる)の中でも、
このお堂だけは金色に輝き続けている、
という美と歴史の不変性を表現した称賛の句

白く煙る、「桜」の老木と、
鮮やかな、黄色い「水仙」と

遠くに、「北上川」が、見える。
手前が、「衣川」
「夏草や、兵どもが夢の跡」
(なつくさや つはものどもが ゆめのあと)
松尾芭蕉が『奥の細道』の旅で、
岩手県平泉の高館(たかだち)にて、
義経や藤原三代の栄華に思いを馳せ、
その無常さを詠んだ最も有名な俳句の一つ。
青々と茂る夏草が、
過去の熱い夢や激しい戦いの跡を覆い隠している、
儚さと普遍の情景
