「政権幹部40人を爆殺」はドロ沼の始まり…イスラエルに唆されたトランプが見誤った"イランの本当の恐ろしさ"(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

「政権幹部40人を爆殺」はドロ沼の始まり…イスラエルに唆されたトランプが見誤った"イランの本当の恐ろしさ"

配信

プレジデントオンライン

2026年2月28日、イランの首都テヘランにおいてハーメネイ最高指導者に関連する施設が攻撃された。 - 写真=SalamPix/ABACA/共同通信イメージズ

2月28日、アメリカはイスラエルと共にイランへの軍事作戦を仕掛けた。拓殖大学海外事情研究所准教授の野村明史さんは

 

「核合意の締結を目指していたトランプ大統領は、

一歩も譲歩しないイランの交渉術に痺れを切らして武力に訴えた」という――。 

 

【写真をみる】「殉教者」になったハーメネイ師 

 

■なぜイランは突然戦場になったのか  2月26日、イランの核開発問題をめぐる米国とイランの協議が開かれた。仲介役のオマーンを交えた協議後、イランのアラグチ外相やオマーンのバドル外相は「前進があった」と強調し、次回の協議を1週間以内に開催することで一致したと明らかにした。  しかし、その期待はすぐに崩れた。協議からわずか2日後の28日、イスラエルがイランの首都テヘランにあるハーメネイ最高指導者の事務所を急襲した。協議は中断し、事態は周辺国を巻き込む軍事衝突へと急速に拡大した。  米国とイランの交渉がこうした形で途絶えるのは、今回が初めてではない。2025年にも両国は核問題をめぐり5回の協議を重ねたが、6回目を目前に控えた段階で、イスラエルが痺れを切らしてイランの核施設などを狙って攻撃し、交渉は頓挫した。  いずれのケースでも、イランが自ら交渉を打ち切ったわけではない。なぜ米国とイランの核交渉は前進しないのだろうか。

 

 ■トランプが核交渉再開に乗り出したワケ

 

  2025年、トランプ大統領は第1期政権で成し遂げられなかったイランとの新たな核合意の締結に意気込んだ。もっとも、トランプ大統領が第1期政権下の2018年にイラン核合意から離脱し、新たな枠組みの構築に乗り出した背景には、イスラエルのネタニヤフ首相の強い後押しもあった。  イランは核開発について、民生用の平和的利用目的だと主張している。しかし、もちろん中東諸国の首脳たちはそのような言葉を鵜呑みにしてはいない。  イランは、イスラエルがパレスチナでイスラーム教徒を抑圧していると批判している。反シオニズムを掲げており、イスラエルとは敵対関係にある。こうした状況の中、ネタニヤフ首相はイランの核開発がもたらす脅威をトランプ大統領に強く訴えてきた。  オバマ政権の政策を否定し、新たなレガシーを築こうとしていたトランプ大統領にとっても、その主張は悪い話ではなかった。  2025年3月、トランプ大統領は、ハーメネイ師に書簡を送り、「軍事か交渉か」の2択を突きつけ、新たな核合意に向けた交渉を求めた。  そもそもトランプ大統領が一方的に核合意を離脱した経緯を踏まえれば、米国が新たな合意形成を呼びかけても、本来イランが応じる義理はない。

 

  イランからしてみれば理不尽な要求だが、軍事衝突回避と経済制裁解除のわずかな望みを抱いて、交渉に臨んだ。ただし、一つ条件があった。米国と同じテーブルにつくのではなく、仲介国を介した間接交渉であることだ。

 

 

  間接交渉では、両国の代表団が同じテーブルにつくことはない。それぞれ別の部屋に待機し、仲介役のオマーンが両者の間を行き来してメッセージを伝える。イラン指導部にとっては、国内世論や強硬派の批判を和らげ、わずかながらも面子を保つための措置だった。

 

 

 

■フセインと同じ轍は踏めない

 

  核協議で、トランプ大統領はイランにウラン濃縮の全面破棄を要求した。だが、これはイランにとって到底受け入られない話だった。  もともとウラン濃縮はイランが経済制裁で困窮しながらも、国家の威信をかけて行ってきたプロジェクトだ。イランの「科学技術力」を誇示し、主権と権力の象徴として扱われてきた。ウラン濃縮技術の放棄は、すなわち米国に屈服することを意味する。国内での権威は失墜し、求心力は大幅に低下しかねない。  そして、何よりも核開発を放棄した同地域の独裁者はいずれも悲惨な最後を迎えた。リビアの狂犬と呼ばれたカダフィ大佐、そしてイラクのサダム・フセイン大統領だ。  カダフィ大佐は2003年12月に国連制裁解除を見返りや欧米との関係改善を期待して、核兵器開発を含むWMD(大量破壊兵器)計画の放棄を表明した。その後、2011年のアラブの春の民主化運動の混乱で政権は崩壊。反政府勢力との戦闘の末、最終的にはNATO軍の介入が決定打となり、カダフィは殺害された。  サダム・フセイン大統領も1991年の湾岸戦争後、国連安全保障理事会決議に基づく国際査察を受け入れた。国際原子力機関(IAEA)などによる査察と廃棄プロセスを通じて、イラクの核兵器計画は事実上解体されていった。しかしその後、大量破壊兵器保有やテロ組織との関係の疑惑で、米国を中心とする軍がイラクへ侵攻。フセイン大統領は逮捕され、絞首刑によって処刑された。  こうした事例は、イラン指導部にも教訓として刻まれているだろう。

 

 

 ■トランプを翻弄したイランの巧みな交渉術

 

  米国の強硬な脅しに対しても、イランはウラン濃縮技術に関して譲歩することはなかった。一度譲歩すれば追加要求が連鎖しかねないという不信感があったからだ。  イランの交渉は巧みだ。締め切り好きなトランプ大統領は、「2週間」「2カ月」といった時間枠を設定して圧力をかける。しかし、イランの交渉術は派手な一発逆転を狙うものではない。相手に屈しない構えを保ちながら、時間をかけて相手の体力を削っていく。そして、あわよくば政権交代を待つ。いわば長距離走の戦い方だ。

 

 

  トランプ大統領との核交渉で、イランが見せたのは

結論を急がず、交渉の次を確保し続ける運用術だ。

 

ポイントは、時間稼ぎを空回りにしないこと。

相手が期限と軍事カードで圧をかけてくるほど、

イランは交渉を持続させるための譲歩を小出しにして、

交渉の延命に必要な「最低限の前進」を演出する

 

  象徴的なのが、次回協議の日程そのものを成果にする手法だ。

2025年4月にオマーンで開かれた協議では、

双方が前向き、建設的と評価したものの、

実質的な到達点は「また来週会う」という合意だった。

 

  ロイター通信が2025年5月に報じた「政治合意」案では、

イランが濃縮を1年間停止し、高濃縮在庫の搬出や燃料板への転換を検討し得る一方、

見返りとして米側に「民生目的の濃縮権の承認」や凍結資金の扱いを求める構図が示された。

ここで重要なのは、永久的な放棄ではなく「1年」という猶予を手に入れる提案になっていた点だ。

 

 

■逆効果になった「最高指導者」の死

 

  2026年2月22日には米国の軍事的脅しが続く中、

イランは経済制裁解除とウラン濃縮権の承認を条件に

高濃縮ウランの半分を国外に出して残りを希釈し、

中東地域での濃縮コンソーシアムへの参加も検討するとロイター通信が報じた。

もちろん、これは「最終合意」ではない。

軍事衝突回避を狙って、あくまで交渉を続けるための譲歩を提示しているのだ。

 

 

  イランはエスカレーション(軍事衝突拡大)の管理にも周到に対応している。

2026年2月17日、核協議が続くなか、

イランは実弾演習を理由にホルムズ海峡を一時的に閉鎖したとイラン国営放送が報じた。

「戦争は望まないが、緊張は高めることができる」というメッセージを出すことで、

相手からの譲歩を引き出すことを狙っている。

 

 

  議題の管理にも抜け目がない。イランは核交渉を核問題と経済制裁解除に限定し、

米国が持ち込みたいミサイル問題などの論点を切り離そうとしてきた。

ただ、行き詰まりと交渉の打ち切りを避けるため、

イランは米国との対立点を解決するための方法を書面で提案を提出する見込みであると、

ロイター通信が2月18日に伝えている。

議題を絞り、別レーンで交渉を詰めて行こうとする手法だ。

 

  決して自ら交渉を打ち切らず、「次の一手」を残し続けることで、

状況が変わる時間そのものを味方につけようとしている。

 

 

  何よりも厄介なのは、イランの交渉継続の目的が最高指導者個人の延命ではなく、

イランのイスラーム体制そのものの延命をゴールに据えて動いている点だ。

 

ハーメネイ師の死で交渉が終焉するわけではない。

むしろハーメネイ師は「殉教者」となり、次男のモジタバ師がイラン最高指導者に選出された。

暗殺をも恐れないハーメネイ体制継承の強い意志の表れだ。

 

 

 ■日本がイランから学ぶべきこと

 

  2026年2月の核協議は、米国の強い圧力で始まった。

米軍は中東地域に空母2隻を展開し、事実上の臨戦態勢を敷いたうえでイランに交渉を呼びかけた。

大規模な米軍の軍事展開で、イランは攻撃を受けることをすでに覚悟していた。

 

  米国の国家安全保障科学研究所によれば、衛星画像の分析から、

イランの首都テヘラン南東部のパルチン軍事施設ではコンクリートや土を積み上げ、

空爆に備える動きが確認されていた。

パルチン軍事施設には、核兵器開発に不可欠な高爆発物封じ込め容器などの存在が指摘されている。

 

 

 

  2月26日の核協議のわずか2日後、次回予定が決まっていたにもかかわらず、

イスラエルは、アメリカの後ろ盾を得て、イランを空爆した。

突然の空爆で、ハーメネイ最高指導者をはじめとする政権幹部の約40人が一瞬にして殺害された。

 

CNNによると、事前に米中央情報局CIAがハーメネイ師の動向を把握し、イスラエルと緊密な連携をとっていたという。

こうした経緯から、核協議は攻撃の口実づくりに過ぎず、当初から首脳部を一挙に排除する「斬首作戦」が計画されていたのではないかと見られている。

 

  しかし、1978年に起きたイラン革命後、すぐにイラン・イラク戦争が始まった教訓から、

イラン政府は有事が起きても簡単には体制が崩れないように、

重層的な官僚機構を築き上げてきた。

何人かの高官が失脚しても、あるいは要職が空いても、

組織はすぐには止まらないように設計済みだ。

 

  イランの交渉術はそう簡単に切り崩せるものではない。

 

  日本ではしばしば、率直にものを言う姿勢が好まれる。

しかし、隣国に戦略的な脅威を抱える日本にとっても、

イランのこうしたしたたかな交渉術から学ぶ点はあるのではないだろうか。

 

 

 ----------

 

 野村 明史(のむら・あきふみ) 拓殖大学海外事情研究所准教授 王立サウード国王大学教育学部イスラーム学科卒業(サウジアラビア王国)。拓殖大学大学院国際協力学研究科安全保障専攻博士後期課程修了。博士(安全保障)。拓殖大学海外事情研究所助手、助教を経て、2023年より現職。デジタルハリウッド大学客員准教授。中東情勢の現状分析とイスラーム政治思想の研究を主に行っている。外務省主催の会議などに参加してイスラーム過激派対策やイスラーム教育にも取り組んでいる。 ----------

拓殖大学海外事情研究所准教授 野村 明史

【関連記事】