癌とは、肉体の部品が、摩耗して、壊れて行くことである!
「外部の細菌」が、「自分の命」を奪う事とは、全く異なる。
髪の毛が、白くなる。皮膚がしわくちゃになる。
良く見えなくなる。忘れっぽくなる。
それと、全く、同じ事である。
「癌」は、自分の死を「考える時間」を与えて下さる。
「死」と、「折り合い」がつけるように、変わっていく。
「私はがんで死にたい」医者が教える「悔いの残る死に方をしないために必要なこと」(FRaU) - Yahoo!ニュース
「私はがんで死にたい」医者が教える「悔いの残る死に方をしないために必要なこと」
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「ピンピンコロリ」より「がんで死にたい」
今年5月に出版された『私はがんで死にたい』(小野寺時夫著/幻冬舎新書)が好調な売れ行きを見せている。だが実はこの本は、2012年、今から13年前に出版された本の復刻版である。
【写真】がんでも穏やかに最期を迎えるには、何をどう準備すべきか。
医療の分野は進歩が目覚ましく、日進月歩で新薬が開発されているように見える。
なのに、13年前の情報をベースに医者が「私はがんで死にたい」などという題名の本を、今、出してもいいのだろうか。 筆者の素人質問に答えてくれたのが、本書の序文に寄せた医者で作家の久坂部羊さんの話であった。 「私はがんで死にたい」の真意をお伝えする短期連載の第2話。 第1話「ポックリ死より老衰死よりがん死がいい? 医者が『私はがんで死にたい』と考える理由」では、世の中の多くの人が「ピンピンコロリ」のポックリ死や、老衰死を望む一方で、多数の臨終の現場に立ち会ってきた医者が「がんで死にたい」という理由をお伝えした。 第2話では、医療で治せない状況になっているのに、必要以上に治療に固執すれば、患者さんに残された貴重な日々に苦痛と不自由さを与えることになる、と伝える久坂部さんの真意と、ならば「悔いの残る死に方をしないために」は何が必要なのかについて、本書序文の抜粋掲載でお伝えする。
がん治療をやり過ぎる怖さ
がんはある時期をすぎると、抗がん剤などが効かなくなり、治療をしないことが好ましい状況になります。それでもすぐに死ぬわけではなく、早めに治療をやめて緩和ケアに移行すれば、元気で過ごせる時間も長くなります。 それはある意味、死を受け入れるということで、患者さんにはたいへんつらいことかもしれません。ですが、それができずに、人生の最後の最後まで悔いと嘆きに塗り込められた人を、たくさん見てきた私としては、実にもったいないことだと感じています。
人はどんながんでどんなふうに死んでいくか
本書には、上手に最期を迎えた人や、悔いの残る死に方をした人の実例が、たくさん紹介されています。死の具体例ですから、死自体を拒否する人は目を背けたくなるかもしれませんが、いくら拒否しても、必ず訪れるのが死です。であれば、覚悟を決めて、正面から見据えたほうが、より実際的な準備につながることは自明でしょう。
また、本書には、「本当に大切なのは、元気なときの生き方」ともあります。死を受け入れる心の準備ができるかどうかは、元気なときの生き方によるということです。
納得のいく生き方をして、人生に満足している人は、死が目の前に迫っても、ある程度、受け入れやすいのではないでしょうか。
悔いのある人や、気がかりのある人、不満を抱えている人は、死を受け入れるのがむずかしいでしょう。
満足は自分が感じるものなので、足るを知る心を持つ人は満足を得やすいはずです(簡単ではないでしょうが)。
昨今、日本を覆う欲望肯定主義――いつまでも元気で若々しく等――に心を奪われている人は、
なかなか満足を得られないと思われます。
本書では、がんには人間が無闇に長生きしすぎないための
「大自然の摂理」という側面があるとも指摘されています。
死をもたらすがんも、見方によっては肯定的に捉えることができるということです。
そういう“イヤだけれどほんとうのこと”を知れば、がんになっても嘆くばかりでなく、
人生の仕舞い方として、必ずしも悪くはないことに気づくでしょう。
悔いの残る死に方とは
「イヤだけれどほんとうのこと」と向き合うことは、人生の仕舞い方として、必ずしも悪くはないことだという。photo by iStock
本書は今から13年前(2012年)に、株式会社メディカルトリビューンから刊行された本の新装版です。 今日の状況からすると、医療用麻薬の使用法がやや古かったり、女性の患者さんに対する記述が、若干、決めつけっぽかったりもしますが、がんに対する向き合い方、最期の迎え方については、古びるどころか、今でも大いに役立つ情報ばかりです。
若いころ、小野寺氏と同じ消化器外科医として働いていた私は、本書の内容に深く同意し、今こそ多くの人に読んでいただきたいと思っています。 本書によって、がんに対する誤解と恐怖が少しでも解消され、よりよい状況が実現されんことを願ってやみません。 ーー序文
久坂部羊(医師・作家)
悔いの残る死に方とは、
死自体を受け入れられず、拒否し続ける姿勢。
すなわちそれは、「いつまでも元気で若々しく」などの言葉に心奪われ、
「今ある自分」に満足することが難しくなっているからだという。
死は誰にでも訪れるもので、ならば覚悟を決めて正面から見据え、「
イヤだけど、ほんとうのこと」を知る勇気を持つことだった。
著者小野寺氏のあとがきには
死と向き合わざるを得ない状況下では、こうした話もきれいごとに聞こえるだろうか。
著者の小野寺氏は、2019年10月にがんで亡くなっているが、
その最後の日々を娘さんである小野寺美奈子さんがあとがきにこう書いている。
この本に書かれているとおり、父の最後の日々はまさに
「その人が生きてきたように死んでいく」という状況だったと思います。
私たち娘から見ると、自分のやりたいことをすべてやった父の人生はとても羨ましいものです。
父が亡くなってから、後輩の岡本篤武先生(元駒込病院副院長)からも
「これほど人生を謳歌した人はいないのではないでしょうか」と手紙をいただきました。
私自身も父のように、元気なうちに自分のやりたいことを行い、後悔のない人生を送りたいものです。
ーーあとがき(小野寺美奈子)より
小野寺氏をそばで見ていた娘さんのこの言葉にこそ、
「悔いの残る死に方をしないため」のヒントがあるのではないかと思われる。
次回より、小野寺さんの「がんとの向き合い方」、さらには、
外科医としてがん治療の最前線に35年以上も立ち続けた小野寺さんが、
「私はがんで死にたい」などと考えるようになったきっかけを、お伝えしていきたい。
風間 詩織(編集者)

