「キリスト教」の一部は、快楽を追求する「極端なリベラリズム」と結びついた…その「意外すぎる経緯」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

「キリスト教」の一部は、快楽を追求する「極端なリベラリズム」と結びついた…その「意外すぎる経緯」

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現代ビジネス

「汎神論」の意外な効果

〔PHOTO〕iStock

グローバル化が進むなかで、自分とは異なったさまざまな背景をもつ人と関係を築くようになったという人は多いかもしれない。 https://gendai.media/articles/images/137 たとえば、日本であまり宗教を意識せずに育った人にとっても、キリスト教の知識をもっておくことは、以前に比べて重要性を増している。 キリスト教について知るために非常に役に立つのが、『キリスト教入門』(講談社学術文庫)という一冊。著者は、比較文化史家でキリスト教に関する著書が多数ある竹下節子氏だ。 本書は旧約聖書と新約聖書の内容をわかりやすく紹介しつつ、キリスト教を知るうえでポイントとなる「キーワード」を整理して提示してくれる。 たとえば、神が至るところにあるという考え方は「汎神論」と呼ばれるが、この考え方が、人間の放埒をも許容するような「極端なリベラリズム」と結びついた経緯について、同書は解説している。 『キリスト教入門』より一部を抜粋する(読みやすさのため、改行などを編集しています)。

 

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汎神論のもう一つの傾向は「人間の自由」を至上とする極端なリベラリズムである。 すべての人間はキリストの体の一部でありキリストは神の受肉であるからどの人の中にも神が働いているとする中世の神学博士アマルリクス・ド・ベーヌの流れを受けたアマルリクス派は、人が自分の欲するところにしたがって生きることがそのまま神の創造につながるのだと考えた。 神とはすべてであり至る所にいるのだから善と悪などという区別もなく、だれでも自由に生きることができる。地獄というのは現世における存在様式のことであり、その中で神が与えてくれた(肉体の)快楽を追求するのが天国の実現となるというわけだ。 13世紀初めのパリ近郊の村々でこの現世快楽主義とも言える理論を広めた司祭たちが出て異端宣告を受けている。精神は肉体に優越するものであり、神はこの世にたいして超越的なものであるからだ。ちなみにこのような場合、異端審問法廷は司祭たちのみを罰して、誤って導かれた信者たちの罪は問わなかった。

 

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宗教的な考え方が、世俗的な思想にも影響を与えうる……そんなことをおしえてくれる一節です。 

 

さらに【つづき】「なぜキリスト教は、神を「父と子と聖霊の“三位一体”」としたのか…? 

そこには「意外すぎる理由」があった」でも、キリスト教の「三位一体説」についてくわしく紹介しています。

学術文庫&選書メチエ編集部

 

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