遺言。 (新潮新書)
2017/11/16 養老 孟司 (著)

これだけは言っておきたかった――80歳の叡智がここに!
私たちの意識と感覚に関する思索は、人間関係やデジタル社会の息苦しさから解放される道となる。
知的刺激に満ちた、このうえなく明るく面白い「遺言」の誕生!
はじめに
1章 動物は言葉をどう聞くか
バカな犬と恩知らずの猫/動物は絶対音感の持ち主/絶対音感は「失うもの」
ヒトはノイズを求める/鳥がしゃべる証拠
2章 意味のないものにはどういう意味があるか
感覚所与とは/役に立たないものの必要性/都会は意味で満ちている
文字禍/客観的な現実なんてない/感覚所与と意識の対立/「違い」を重視する科学とは
3章 ヒトはなぜイコールを理解したのか
動物はイコールがわからない/池田清彦の挫折と復活/「朝三暮四」と「朝四暮三」は違う
イコールが生みだす「猫に小判」/ヒトは他人の立場に立つことができる
世界に一つだけの花
4章 乱暴なものいいはなぜ増えるのか
「an apple」と「the apple」/日本語の助詞/中国語の特性
意識と感覚の衝突/乱暴なことをいいやがって/サル真似の根拠
「誰でもわかる」のが数学
5章「同じ」はどこから来たか
ヒトの脳の特徴と「同じ」/ヒトとチンパンジーの僅かな差異
視覚と聴覚がぶつかると/漢字と視聴覚の関係/「同じ」のゴールは一神教
動物には言葉が要らない
6章 意識はそんなに偉いのか
金縛りになる理由/臨死体験をする人しない人/脳は図書館のようなもの
意識に科学的定義はない/意識の分割
7章 ヒトはなぜアートを求めるのか
芸術は解毒剤である/征服者は世界を「同じ」にする/唯一神誕生のメカニズム
コンピュータは芸術家になれない/生演奏は強い/その「赤」は同じか
一期一会のパイプ/アートの効用/建築は意識と感覚のどちらに重きをおくか
共有空間を受け入れられない人や動物/意識の集合体が都市
8章 社会はなぜデジタル化するのか
昨日の私と今日の私/『平家物語』と『方丈記』の時間/「私は私」と意識はいう
私の記憶喪失体験/デジカメのデータは変わらないのに/意識はデジタルを志向する
現代人は感覚所与を遮断する/情報は死なない/ジャンクにも意味がある
あなたがあなたであることを証明してください/マイ・ナンバーに抵抗感がある理由
9章 変わるものと変わらないものをどう考えるか
変化するものを情報に変換するということ/時空はいつからあったのか
卵がなぜ私になるのか/進化の本質はズレ/メンデルの法則は情報の法則
「情報」の発見
終章 デジタルは死なない
自然保護とグローバル化/少子高齢化の先行き/コンピュータと人の競争
不死へのあこがれ
おわりに
「自然」と対峙する
いきなりで恐縮だが、私なりに昨年の自分と今日の自分をくらべると、感覚としては少し老けたと感じる。視覚的にも体力的にも、そう違いを実感する。しかし、意識としては、同じ私である──こんなことを確かめてしまったのは、ヒトの「感覚」と「意識」の関わりについて書かれた養老孟司の新刊、『遺言。』を読んだからだ。
感覚を介して観察すれば、「私」は絶えず変化しているのに、なぜか意識は同じだという。養老によれば、意識のもつ「同じだとするはたらき」がそうさせるらしい。感覚は外界の「差異」をとらえて分け、意識は分けない「同一性」を重視する。たとえば、バナナもブドウもリンゴも感覚では別々のものだが、意識は、それらを「クダモノ」と名づけて同じにする。
こんなことができるのは、意識が、感覚を「意味」に変換する「=(イコール)」を獲得したからだと養老は説く。動物にも意識はあるが、ヒトの意識だけが「同じ」という機能を得て、言葉や金や民主主義を生みだしたのだ。かくして、ヒトは世界を意味で満たそうと努め、それを進歩と呼んで文明社会、都市社会を創りあげた。
そして今、日本は少子化に頭を抱えている。東京などの人工的な大都市ほど子どもが生まれないのは、なぜか? 養老は終章で、人々が〈感覚入力を一定に限ってしまい、意味しか扱わず、意識の世界に住み着いている〉ために、子どもという「自然」と対峙する方法を忘れてしまったからだと指摘する。このあたりの文章を読んでタイトルを見返すと、80歳になった養老孟司の抑えた怒りと願いがはっきりと伝わってくる。
評者:長薗安浩
(週刊朝日 掲載)