いまアメリカで「不寛容な若者」が増えている…A24映画監督が感じた「衝撃の変化」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

 

 

いまアメリカで「不寛容な若者」が増えている…A24映画監督が感じた「衝撃の変化」

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現代ビジネス

アメリカの内戦を描くイギリス出身の映画監督

Photo by Getty Images

今年の4月12日に全米で公開されるや、公開2週に渡り全米1位の興行収入を獲得した映画『シビル・ウォー アメリカ最後の日』。製作を手がけた人気映画会社A24作品の中でも最大規模のブロックバスター映画となっており、10月4日の日本公開を前にすでに多くの映画ファンから期待が寄せられている。 【写真】Netflixで配信された衝撃の「相撲ドラマ」 本作は、3回目の任期を迎えるために憲法改正を行なったアメリカ大統領の横暴に対抗するため、テキサス州とカリフォルニア州が同盟を組んで武装蜂起。血で血を洗う“内戦(シビル・ウォー)”が勃発してしまったアメリカを舞台に、ワシントンD.C.のホワイトハウスに立てこもる大統領にインタビューを行おうと最前線を目指す4人のジャーナリストたちの旅路を描いている。 加熱し続ける民主党と共和党対立の気運、そしてそれを表すかのように今年の7月13日に発生したドナルド・トランプ暗殺未遂事件など、この作品が描く荒廃した世界には単なる絵空事とは言い切れないリアリティがあるように思う。 本作で脚本と監督を務めたのはイギリス出身のアレックス・ガーランド監督。彼はレオナルド・ディカプリオ主演で2000年に映画化もされ、日本では1999年に刊行された小説『ザ・ビーチ』で脚光を集めた元小説家であり、そこから脚本家、映画監督と転身していったキャリアを持つ。 観客の目を引く独創的なアイデア、画面端まで計算され尽くした美しいカット、喉元に冷たいナイフを突きつけるかのようなヒヤリとする社会への問題提起。ガーランド監督はこうした要素をエンタメ精神を忘れないバランス感覚で、映画としてまとめ上げてきた印象がある。 今回の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』でもそうしたバランス感覚は健在。戦闘を経て人の手が入らなくなり、徐々に冷たい廃墟となっていく建物を詩的なタッチで美しく撮っており、死にゆくアメリカの息遣いを自然と感じることができた。 同時に、実際に従軍経験のある元米兵を数多く登場させる、撮影時に近隣住民から警察を呼ばれるほど火薬量を増やしたという空砲を撮影時に使用するなどと、その臨場感には相当なこだわりを見せていた。

 

 

ガーランド監督が恐れる現代社会が患う病

撮影:西﨑進也

そんなガーランド監督は本作の宣伝で来日を果たしており、筆者は幸運にもインタビューする機会に恵まれた。ここからはジャパンプレミアで彼が語った言葉、そして筆者が直接聞いた言葉から『シビル・ウォー アメリカ最後の日』という作品に込められたメッセージを深掘りしていこう。(以下、「」内はガーランド監督のコメント) 人間が作り出した超高度なAIとの心理戦を描き、ガーランド監督の名を一躍有名にしたSF映画『エクス・マキナ』(日本公開2016年)。隕石の落下によって発生した生態系を歪めてしまう異空間にナタリー・ポートマンが挑むSFスリラー『アナイアレイション -全滅領域-』(日本公開2018年)。そして、休暇で田舎町に訪れた女性の前に同じ顔の男が何人も現れるという怪現象を通して、男という怪物の思考を描いた『MEN 同じ顔の男たち』(日本公開2022年)。 ガーランド監督がメガホンを取ってきたこれらの作品に共通するように思えるのは「分断」というテーマだ。今回の『シビル・ウォー アメリカ最後の日』は、まさにそうした「分断」を真正面から描いている。監督が「分断」を描くのには、一体どんな理由が隠されているのだろう。 「意識しているわけではないのですが、その時々の関心事や心配していることを作品に込めた結果、共通するものが立ち上がってきたのでしょう。今、考えるにそれは“人が人を断罪すること”なのかもしれません。私は他人に危害を加えていない限り、他人がどんな行動を取ろうとどうでもいいじゃないかと考えている人間なのですが、今の世の中はどうにも違うようです。人が人にジャッジを下すという場面が増えている。 私が若かった頃は、潔癖主義や厳正主義とでも言うような、ピューリタン的な価値観で年長者からジャッジされることが多く、それに反発するように私や同世代の若者はリベラル志向になっていきました。ですが、今は若い世代のほうがむしろ積極的に他人、そして自分に対してジャッジを下す傾向が強いと感じます。他人に対して不寛容な時代ですよね。それを見ていると私はとても不安になります」 過去作ではこうした問題に対して「言葉」を使って解決を図ろうとしてきた場面が多かった。しかし、今回の最新作では「言葉」に変わって「写真」というものがメインに据えられている。この変化には何があったのか。 「ここ10年ほどの社会を見ていて感じたものが強く影響しています。それは“対話というものが機能不全に陥っている”ということ。また、政治家と国民という関係性でも対話の不完全さは顕著になってきた印象です。それは政治家が真実を語らず嘘をつくことが常態化しているということを意味しています。もちろん昔の政治家も多くの嘘をついてきましたが、彼らの場合はそうした言動をすればそれなりに失脚するリスクを背負っていました。ですが、近年の政治家はそのリスクが減っている印象です。 これはつまり“昔より言葉の持つ力が落ちている”とも言えます。ですが、映像に関してはまだ強い力を持っていると感じるのです。言葉を介さずにイメージで語るというのは音楽にも近いかもしれません。これらは、受け手に対して直接的に作用するものに思えます」

 

 

 

 

現実の社会問題をあえて見えなくさせる

“対話というものが機能不全に陥っている”というテーマを描き出す上で、ガーランド監督は思い切ったアプローチで本作を撮った。

 

それは、実際の社会情勢を作品に反映させすぎないということだ。

 

 

 先ほど共和党と民主党の対立を想起させると書いたが、実は本作には共和党や民主党という名称はおろか、具体的な政治信条を語り合うシーンすら存在していない。

 

加えて民主党を支持する人が多いカリフォルニア州と、共和党を支持する人が多いテキサス州が同盟を組んでいるという設定は、現実の社会情勢からは想像し難いものにも思える。

 

 「今、あえてアメリカの政治問題に触れる必要がないと思ったからです。

政治に関しての意見は千差万別で、ほとんどの場合それは個人の中ですでに固まっています。

それよりも描きたかったのは、先ほども触れましたが“対話が不完全である”という部分です。

 

 本作の舞台となったアメリカや私が生まれ育ったイギリスでは、

公共におけるディベートは終焉に向かっている

もしくは

相当低いレベルのものに成り下がってしまっています。

例えるなら、

それは『トーク(対話)』ではなく

『シャウト(罵り合い)』になっていると言うべきでしょうか。

 

 

 本作が観客に与えるのはそうした状況にすでに陥っているということのみで、なぜこのような状況に至ったのかは観客が現実と照らし合わせれば想像できることだと思います。大切なのは“この状況から抜け出すための解決策は何か”を考えることのほうです」 ガーランド監督はジャパンプレミアでもこの問題に関して次のように語っている。 「テキサス州とカリフォルニア州が手を組むというのは一種の“思考実験”であり、観客への問いかけにもなっています。対立する思想を持った州同士ですが、彼らが結託することはそれほど想像しがたいことでしょうか。 劇中では大統領が法治国家であるアメリカを独裁政権とファシズムによって崩壊に追い込み、それに抗うために両州が団結しています。これはそんなにありえないことでしょうか。そうだとすれば、それはなぜでしょう。私には右対左の抗争がファシズムに対抗するよりも重要だとは思えません」 ガーランド監督が作中に仕掛けた興味深い試みはまだまだある。監督はこう話を続けた。 「西部勢力の軍隊なのか大統領勢力の軍隊なのか、劇中では彼らをあえて見分けづらく描いています。アメリカは南北戦争という実際の内戦を過去に経験してきたわけですが、当時の南北戦争は掲げている御旗が今よりもずっと単純でした。つまり、南部の奴隷制を撤廃するか否かという、どちらが倫理的に正しくてそうではないかという構図です。 しかし、今の戦争はそうした白黒はっきりとした構図ではなく、立場というものを見いだすこと自体が困難です。本作ではそうした現状を表すために視覚的に両軍の線引きができないようにしました」 後編『A24映画監督が描く「アメリカ人同士の殺し合い」…屈指の恐怖シーンがアメリカに衝撃を与えている』では、監督が本作に込めたもう一つのメッセージと制作秘話を紹介する。

むくろ 幽介(ライター)

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