道元は『正法眼蔵』旧草75巻+新草12巻全87巻を、

「日本天台宗、達磨派」を「正統に、嗣法」した「懐奘と義介」に向けて、執筆した。

 

しかし、

「懐奘も義介も」、「日本天台宗、達磨派」のままだった。

それは、別の宗教であるから、どちらも、同等であり、どちらも正しいから。

 

だから、

道元の死後、永平寺を、「日本天台宗、達磨派」に変えようとした。

しかし、

「寂円」禅師、弟子の「義雲」禅師によって、阻止された。

「義介」禅師は、永平寺を去った。