日本文学史序説 (上) (ちくま学芸文庫 カ 13-1)
1999/4/1 加藤 周一 (著)
日本文学の特徴、その歴史的発展や固有の構造を浮き上がらせて、
万葉の時代から源氏・今昔・能・狂言を経て、江戸時代の徂徠や俳諧まで。
日本人の心の奥底、固有の土着的世界観とはどのようなものか、
それは、外部の思想的挑戦に対していかに反応し、そして変質していったのか。
従来の狭い文学概念を離れ、小説や詩歌はもとより、
思想・宗教・歴史・農民一揆の檄文にいたるまでを“文学”として視野に収め、
壮大なスケールのもとに日本人の精神活動のダイナミズムをとらえた、卓抜な日本文化・思想史。
いまや、英・仏・独・伊・韓・中・ルーマニアなどの各国語に翻訳され、
日本研究のバイブルとなっている世界的名著。
◆上巻は、古事記・万葉の時代から、今昔物語・能・狂言を経て、江戸期の徂徠や俳諧まで。
【目次】
日本文学の特徴について
文学の役割
歴史的発展の型
言語とその表記
社会的背景
世界観的背景
特徴相互の連関について
第1章 『万葉集』の時代
『十七条憲法』から『懐風藻』まで
『古事記』および『日本書紀』
民話と民謡
『万葉集』について
第2章 最初の転換期
大陸文化の「日本化」について
『十住心論』および『日本霊異記』
知識人の文学
『古今集』の美学
第3章 『源氏物語』と『今昔物語』の時代
最初の鎖国時代
文学の制度化
小説的世界の成立
女の日記について
『源氏物語』
『源氏物語』以後
『今昔物語』の世界
第4章 再び転換期
二重政府と文化
仏教の「宗教改革」
禅について
貴族の反応
『平家物語』と『沙石集』
第5章 能と狂言の時代
封建制の時代
禅宗の世俗化
仲間外れの文学
芸術家の独立
能と狂言
第6章 第三の転換期
西洋への接触
初期の徳川政権と知識人
本阿弥光悦とその周辺
大衆の涙と笑い
第7章 元禄文化
「元禄文化」について
宋学の日本化
徂徠の方法
白石の世界
『葉隠』と「曾根崎心中」
俳諧について
町人の理想と現実
◆下巻は、江戸期町人の文化から、国学・蘭学を経て、維新・明治・大正から現代まで。
【目次】
第8章 町人の時代
教育・一揆・はるかな西洋
文人について
富永仲基と安藤昌益
心学について
忠臣蔵と通俗小説
平賀源内と蘭学者たち
梅園と蟠桃
本居宣長
上田秋成と国学者たち
歌舞伎と木版画
笑いの文学
第9章 第四の転換期 上
近代への道
国体と蘭学
詩人たち
日常生活の現実主義
町人の逃避
農民たち
第10章 第四の転換期 下
吉田松陰と一八三〇年の世代
福沢諭吉と「西洋化」
中江兆民と「自由民権」
成島柳北と江戸の郷愁
一八六八年の世代
露伴と鏡花
鈴木大拙と柳田国男
子規と漱石
鴎外とその時代
内村鑑三と安部磯雄
「自然主義」の小説家たち〈一〉
幸徳秋水と河上肇
有島武郎と永井荷風
第11章 工業化の時代
一八八五年の世代
谷崎潤一郎と小説家たち
木下杢太郎と詩人たち
一九〇〇年の世代
マルクス主義と文学
芥川龍之介とその後
外国文学研究者と詩人たち
三つの座標
終章 戦後の状況
戦争体験について
「第二の開国」について
高度成長管理社会について
ドナルド・キーンさんの日本文学史は「なぜか無視されている」、盟友・角地幸男さんが問いかける意味(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
ドナルド・キーンさんの日本文学史は「なぜか無視されている」、盟友・角地幸男さんが問いかける意味
配信
「“飲み友達”として友人であり、翻訳を教えてくれた先生であり、常に仕事をくださった恩人でした」。翻訳家の角地幸男(かくちゆきお)さん(75)は、ドナルド・キーンさんについてそう振り返り、今も僥倖(ぎょうこう)に感謝している。1972年から2019年のキーンさんの死去まで半世紀近くに及んだ交流は、前半は飲み友達として、後半は「明治天皇」などキーンさんの著書の翻訳者として綿々と続いた。現在、「ドナルド・キーン 『日本文学史』とは何か?」と題する原稿を執筆中の角地さんに会いに行った。(編集委員 森太)
【写真】ドナルド・キーンさんの仏壇は六角形、人間国宝と棟梁が作った「亡くなった後のマイホーム」
四半世紀を費やした代表作「日本文学史」
「日本文学の歴史」全18巻。現在は、中公文庫から「日本文学史」として販売されている
「キーンさんの『日本文学史』について、だれも何も触れてないんですよ」。
東京の自宅マンションの居間で、角地さんの言葉は熱かった。
築40年以上という瀟洒(しょうしゃ)なマンションは、
当時は珍しいセントラルヒーティングを備える。
ただ、たばこを吸う角地さんはいつも窓を開けているので、
あまり使うことはなく、外からいい風が入ってくる。
キーンさんが四半世紀を費やして書いた「日本文学史」は代表作であり、「古代・中世編」「近世編」「近代・現代編」の全18巻(日本語版)で構成される。角地さんも「近代・現代編」翻訳の一部に携わった。しかし、その評価について、角地さんは「日本文学研究者や国文学者といった専門家たちから、何十年も完全に無視された状態が続いているんです」と話す。
歴史の長い日本文学史は、ある時代の作家や作品を研究するのが一般的だ。キーンさんのようにたった一人で書いた通史は評価に値しないのか、外国人だからなのか、あるいは敬して遠ざけるという日本人独特の態度なのか。理由は明確でないにせよ、角地さんは「キーンさんは、自分の原稿に、とにかく何でもすぐ反応してくれないと非常に不安になる人なんですね。あれだけ自信のある人でもね、そういう面があって。逆に、正面きって批評してくれていたら、キーンさんは喜んで論争に応じたでしょう」と残念がる。それならば、「おもしろいか、つまらないか、実際の文章にあたって検証してみよう」と、今年、自身で原稿を書き始めたのだ。
夏目漱石の「明暗」「道草」は「嫌いです」
角地さんが翻訳したドナルド・キーンさんの著書と、自身の著作「私説ドナルド・キーン」(右下)
角地さんは、キーンさんの日本文学史は、一言でいえば、「なにより読んでおもしろい」ことにあると指摘する。
それは、文学史という言葉から受ける退屈な印象とは裏腹に、
個々の作品とじかに向き合ったキーンさん自身の「作品」になっているからだという。
原稿では、角地さんの前にキーンさんの著作を翻訳していた徳岡孝夫さんの
「(キーンさんは)実際の作品にあたって、
それがいいか悪いか、どこがいいかを書く」という指摘を引用。
そこが、社会的、文学的意義を重視し、
作品そのものにはあまり触れない日本の学者たちの文学史とは一線を画するところだと説く。
原稿では具体的に、キーンさんが「嫌いです」と言った夏目漱石の「明暗」と「道草」を一例に挙げる。
そこには、キーンさんが単なる好き嫌いの感情ではなく、
なぜ嫌いなのかを作品そのものの出来栄えに絞って評価していることを、原文を引用しながら説明する。
さらにこの2作を評価する上で、キーンさんは漱石の全ての作品を読み込んでおり、
他の全ての作品については高く評価していることも紹介する。
キーンさん自身は、日本文学史について
「(一人の人物による)一貫した文学観ないし人生観を持った文学史は読みやすいのではないだろうか」と書いている。
執筆中の原稿について、角地さんは
「キーンさんの文学史の魅力を知ってもらい、彼の作品を読むイントロダクションになればいい」と願っている。
原稿は、まもなく完成する予定だ。
飲み友達から翻訳者へ
「たまたまキーンさんの飲み友達になり、たまたま翻訳するようになりました。たまたまの連続なんです」。角地さんは、キーンさんとの長い付き合いをこう振り返った。
最初の出会いは、1972年。英字新聞ジャパン・タイムズが発行していたステューデント・タイムズの記者だった角地さんが、キーンさんにインタビューした時だった。角地さん24歳、キーンさん50歳。キーンさんはすでに日本文学を世界に広めた大御所として知られており、角地さんは非常に緊張したそうだ。だが、「会ってみると、ちょっとだけ年上の友達みたいに若々しい人で、緊張感はあっという間に消えました」と振り返る。ただ、「自分は今、とてつもなくすごい人と一緒に飲み、話しているんだ」という緊張感は亡くなるまで続いたという。
インタビューは日本語で行われ、角地さんが英語で記事を書いた。
キーンさんは、日本人と話すときは決して英語を使わず、日本語だった。
相手が英語で話しても、日本語で押し通した。
そこには、日本文学研究者としての自負があった。
キーンさんは仕事の息抜きに、角地さんを自宅での食事に毎週のように招くようになった。角地さんはこう振り返る。
おいしい料理とワインとおしゃべりと
「一番の親友だった三島由紀夫はすでに亡くなっており、安部公房ら彼の友人たちは忙しかったので、ひまだった私が手料理をごちそうになる幸運に恵まれたのです。キーンさんのつくった手料理が食卓に並べられ、フランスパンはオーブンで温めてあり、チーズも前もって冷蔵庫から出し、とろけて食べごろになっている。私はおいしい料理を食べ、ワインを飲み、笑って、ただ聞き上手でありさえすればよかった。
文学の話題よりも、オペラ、親しい文学者たちの人物評、裏話、旅行先での体験についての話題が多かった」
ドナルド・キーンさんが好きだった東京都北区の旧古河庭園を7月に訪れた角地幸男さん
飲み友達として15年ほどたったある日、キーンさんから突然、「翻訳をやってくださいませんか」と頼まれた。
それまでキーンさんの著作を翻訳していた徳岡さんがある事情で翻訳を続けられなくなり、新しい翻訳者を見つけなくてはならなくなったのだという。
翻訳経験のなかった角地さんは「冗談じゃないですよ」と断った。
しかし、キーンさんは角地さんの目をじっと見据えて、「角地さんなら、できます」と一言。
その目の力に負けて、角地さんは翻訳をすることになったそうだ。
角地さんは以来、「明治天皇」「渡辺崋山(かざん)」「正岡子規」などの
キーンさんの晩年の十数作を翻訳したほか、
「私説ドナルド・キーン」などの著書もある。
いまもキーンさんの仕事を続けている。
私が今年2月に読売新聞とジャパン・ニューズで紹介した、
キーンさんの未発表原稿「37年後の日本」も翻訳し、
9月発売の月刊文芸誌「新潮」10月号に掲載される。
キーンさんはよく、冗談まじりに「自分は、正当に評価されていないのではないか」と言っていた。
角地さんが「スタンダールでさえ認められたのは100年後ですよ」と答えると、
うれしそうに笑っていたという。
英字版で読むにはこちら(https://japannews.yomiuri.co.jp/original/donald-keenes-legacy/20240819-205889/)。
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