「明らかにしたのは、私が初めてのはず」京都大研究者が明かす京都学派と戦後韓国の知られざる関係(京都新聞) - Yahoo!ニュース
「明らかにしたのは、私が初めてのはず」京都大研究者が明かす京都学派と戦後韓国の知られざる関係
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「韓国とは何かを考えるために日本の思想を研究した」という郭さん(京都市左京区・京都大)
植民地主義のまっただ中にあった戦前日本とその隣の朝鮮は、思想的にどんな影響関係にあったのか-。振り返るには痛みが伴う歴史のテーマに、韓国出身で京都大講師の郭旻錫(カク・ミンソク)さんは真っ正面から取り組んでいる。戦時体制と関わった京都学派の田辺元や、戦後の韓国社会に大きな影響を及ぼした哲学者朴鐘鴻(パク・チョンホン)など、さまざまな人物の思想分析を通し、国家とは何かを問う。京都学派の拠点だった京大で、郭さんは何を見つめるのか。
-近著「自己否定する主体」では、1930年代の日本と朝鮮の哲学・文学を分析するなか、田辺の哲学に多くの紙幅を割いています。
「私の見立てでは、田辺の哲学は、戦後の韓国に大きな影響を与えています。
というのも、
韓国で朴正煕(パク・チョンヒ)・軍事独裁政権に協力し、
教育にも大きな影響を持った哲学者
朴鐘鴻が、田辺に触発されたと考えられるからです。
手前みそですが、朴が田辺に言及した文章に注目し、
両者のテキストを分析して影響関係を明らかにしたのは、私の研究が初めてのはずです」
-日本では、戦争責任の文脈で田辺には依然として「アレルギー」があるように思います。
「田辺が戦地へ赴く若者を激励するような危険な講演をしたのは間違いなく、肯定はできません。
ただ田辺の根本の思想である『種の論理』は、時に批判されるような『全体主義』に還元されるものではありません。
その可能性を取り出したいのです」
「そして朴は、田辺哲学に取り組みつつ『ウリ(われわれ)の哲学』という独自の構想を展開しました。
戦後、ソウル大学の教授だった朴は軍事政権に協力し、
民族への忠誠をうたう『国民教育憲章』の起草にも関わりました。
そのため民主化以降、朴は一時、田辺以上に『タブー』でした」
-朴にも影響を与えたという田辺哲学は、そもそもどのようなものなのでしょうか。
「種の論理を貫くのは『自己否定』という概念です。
ここで言う『種』とは日本や韓国といった共同体をイメージしてください。
田辺は後期の思想において、理論的には種が二度にわたって自己否定すると考えました。
1度目の否定で、共同体は自身の価値観と対立する『個』を現出させます。
さらに個は、各自の利害を超える形で自己否定を促されます。
その動きを田辺は『類』と表現しました。
二度の自己否定を通じて種から個、さらに類へと向けて展開するのです」
-聞く限りでは類は、各民族・国家を超えた「大東亜共栄圏」に通じるように思えてしまいます。
「注意するべきポイントですね。
類は、そのような『実体』ではないのです。
あくまでも自己否定し続ける運動として類を捉えるべきだ、
というのが私の田辺解釈です」
「さらに、そのように現状を否定し続けるという思想は、朴の『ウリの哲学』にも流れています。ある意味では、変化の激しい現代の韓国社会も、自己否定し続けていると捉えられます」
-自己否定という営みについて、著書では韓国の批評家崔戴瑞(チェ・ジェソ)の「個性滅却」の思想も分析していますね。
「戦中から戦後にかけて活動した崔は、直接田辺の影響を受けたわけではありませんが、『自己否定』という概念で分析できます。彼は知性を重視しつつ、秩序によって犠牲にされる個人に関心を寄せました。そして『天皇』という『秩序』に向けて朝鮮人としての個性を滅却する可能性を考えたのでした」 「むろん、政治的には崔の思想は批判されるべきです。しかし崔を転向者として批判するのでは、その思想の本当のところはわかりません。彼の主知主義に基づく個性滅却は、皇道主義と連続しています。また現代韓国は政治的党派性の強い社会ですが、これも個性滅却をしている状態だと捉えられます。その意味で、崔は私たちと遠い存在ではありません」 -興味の尽きない研究ですが今後はどんな方向へ。 「近著はおとなしめに書いたので(笑)、日韓関係の哲学を全面的に展開したいですね。さらに中国も参照しつつ、東アジアの哲学を構築していきたいです」
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