親鸞は、9歳で出家し29歳まで、20年間も比叡山で、

念仏行の「堂僧」をしていた。

中国仏教の思想で、幼少から洗脳されていた!

 

大無量寿経の中に翻訳時に組み込まれた、中国土着信仰「老荘思想」で、

最終決着をつけた!

それが、「阿弥陀仏を信じること」を放棄した「自然法爾」である。

 

親鸞は、日本人の心ではなく、「中国人の精神構造」になっていた。

関東の信者を放棄して、晩年京都において、

何種類もの「中国語訳の経典」を比較して、

研究に没頭するのは、幼児期からの洗脳による!

 

蓮如上人は、

日本人の心で、素朴な阿弥陀仏を信じるものに、変換して、

布教した。

同時に『歎異抄』を禁止した!

 

親鸞聖人の信仰と、蓮如上人のとは、全く異なる!

 

〇 〇 〇

 

中国禅が、中国の土着信仰「老荘思想」であるから、

親鸞聖人の信仰と、親和性があるのは必然でもある。

鈴木大拙は、浄土真宗の「妙好人」を重視した。

 

 

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絶体絶命のときに浮き上がる言葉――釈 徹宗さんが読む『歎異抄』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

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絶体絶命のときに浮き上がる言葉――釈 徹宗さんが読む『歎異抄』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

釈 徹宗さんによる、『歎異抄』読み解き

仏の声を聞き、弱く愚かな自らの本性に向かい合う――。

「悪人正機」「愚者になりて往生す」に代表されるように、浄土真宗の開祖・親鸞の教えは逆説に満ちた革新的なものであり、市井の人々だけでなく、近代日本の多くの知識人を魅了しました。

『NHK「100分de名著」ブックス 歎異抄』では、釈徹宗さんと、『歎異抄』に収められた親鸞の言葉と、苦悩と矛盾に満ちたその生き方から、現代を生きる私たちへのヒントを探っていきます。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全6回)

絶体絶命のときに浮き上がる言葉(はじめに)

 『歎(たん)異(に)抄(しよう)』は、なぜ昔から多くの人々の心を惹(ひ)きつけてやまないのでしょうか。現在でも、書店には訳本や解説本、関連書籍が数多(あまた)ならび、人々の関心の深さを窺(うかが)い知ることができます。

 今から七百三十年ほど前に書かれたこの書物は、浄(じよう)土(ど)真(しん)宗(しゆう)の開祖である親(しん)鸞(らん)聖(しよう)人(にん)を直接知る唯(ゆい)円(えん)という人物の手によって、親鸞の語録とその解釈、さらに異端の説への批判を述べるものとしてまとめられました。小さな書物であり、原稿用紙にすれば三十枚程度の分量しかないと言われています。ですから、この一冊で親鸞思想や浄土真宗の教えのすべてが理解できるわけではありません。ましてや、ここから仏教を体系的に学ぶこともできません。それでも、たいへんな求心力を持つ書物として、時代を超えて現代に読み継がれているのです。

 『歎異抄』の書名は、「異義を歎(なげ)く」というところから来ています。親鸞が亡くなった後に、師の教えとは異なる解釈(異義)が広まっていることを歎いた弟子の唯円が、親鸞の真意を伝えようと筆を執って完成させたのがこの書物です。よって、ここには師と同じ時代をともに生きた弟子にしか書けない、親鸞の生(なま)の声が息づいています。その点が、他の親鸞関係の書物とは違うところでしょう。私たちはこの書物を通し、人間らしい矛盾を抱えながらも浄土仏教の教えを極めていった親鸞の真の姿に触れ、そこに共感を覚えることとなるのです。

 最初に、『歎異抄』について私が感じる魅力を二つあげておきます。一つめは、人の内実へとズバッと切り込む、切れ味鋭い金(きん)言(げん)や箴(しん)言(げん)にあふれている点です。二つめは、それまで人々が漠然と抱いていた宗教や仏教のイメージをひっくり返す力を持っている点です。私たちの常識を揺さぶるような逆説的な内容や思想がいくつも書かれています。

 あとで詳しく見ますが、第三条に「善人なほもつて往(おう)生(じよう)をとぐ。いはんや悪人をや」(善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人は言うまでもありません)という有名な一文があります。簡潔にして力強い文章表現はアフォリズム(警句)としての力がありますが、それと同時に一種のパラドクスを感じます。すんなりと納得できない箇所をじっくりと読み、繰り返しその意味を問い直すなかで理解を深めていく──そうした性質を『歎異抄』は持っているのです。

 この書物は、多くの近代知識人たちを魅了してきました。たとえば西田幾多郎は、第二次世界大戦の末期に「自分は『臨済録』と『歎異抄』さえあれば生きていける」と周囲に語ったそうです。ほかにも、司馬遼太郎や吉本隆明、遠藤周作、梅原猛など、『歎異抄』に惚れこんだ人は数知れません。

 近代になり、日本の知識人たちはキリスト教文化圏からの哲学・思想に触れました。そこには、人は生まれながらに罪を背負っているという「原罪」の感覚が深く浸透しています。日本の思想や宗教には、あまりそうした性質のものはありませんが、親鸞だけは別でした。明治以降の思想家や哲学者たちは『歎異抄』に、近代知性ともがっぷり四つに組める罪業観が備わっていることを見出したのです。

 もちろん知識人だけでなく、市(し)井(せい)の人も『歎異抄』を人生の指針としてきました。かくいう私もその一人で、最初に手に取ったのは大学一年生のときでした。もともと合理的な思考が性分でしたので、宗教を学びながらも一歩距離を置いていたのですが、そんな私を惹きつけたのが『歎異抄』でした。「宗教、侮(あなど)り難(がた)し」と実感したことは、いまでも鮮明に覚えています。

 できれば、『歎異抄』は声に出して読んでもらいたいと思います。たとえ内容がよくわからなくても、声に出してみる。みんなで輪読会をするのもいいかもしれません。各条の文章は短いですし、漢文で書かれた序文以外は、さほど難しい文字や表現はありません。著者・唯円の文章力によるところも大きいと思います。

 宗教の言葉というのは、本来は「語り」のなかにあります。また、その語りが身体化する性格を持っています。『聖書』や『クルアーン』にも同様のことが言えますが、繰り返し声に出して唱えるうちに、書かれたことが身体に蓄積されていきます。そうすると、生きていくなかで、たとえば絶体絶命のピンチに陥ったと感じる瞬間、宗教の言葉が浮上してきて私たちを助けてくれるのです。

 私は今、認知症の方のグループホームを運営したり、発達障害や精神障害を抱える人と関わるNPOを応援したりしています。そうした社会活動をしていると、『歎異抄』の言葉がしばしば耳元に響いてきます。「お前、自分がええことやってると思ったらあかんぞ」「自分の都合だけでやってるのとちがうか?」と、そのように囁(ささや)いてくれるので、逆に活動を続けていけるという実感があるのです。

 現代を生きる私たちが自分の内面を掘り下げていくうえでも、『歎異抄』は新しい扉を開いてくれるはずです。本書において、その奥深さと魅力の一端を皆さんに伝えることができれば幸いです。

著者

釈徹宗(しゃく・てっしゅう)
如来寺住職・相愛大学教授。専門は宗教思想で、NPO法人リライフ代表も務める。『落語に花咲く仏教 宗教と芸能は共振する』(朝日選書)で第5回河合隼雄学芸賞を受賞。『図解でやさしくわかる 親鸞の教えと歎異抄』(ナツメ社)、『法然親鸞一遍』(新潮新書)、『日本霊性論』(内田樹との共著、NHK出版新書)など著書多数。

※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■「100分de名著ブックス 『歎異抄~仏にわが身をゆだねよ』」(釈 徹宗著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における『歎異抄』の引用と現代語訳は、『歎異抄(文庫版)現代語訳付き』(梯實圓解説、本願寺出版社、二〇一三年十二月二十七日 第十刷)によります。ただし、読みがなについては適宜省略しています。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2016年4月および2017年10月に放送された「歎異抄」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たにブックス特別章「さらに深く親鸞思想を知る」や読書案内を収載したものです。

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