今だから、明確になっているのだが、3つの宗教のせめぎあいである。

3つとも、同等であって、正しい。歴史的に見ても、正統である。

 

 

「道元」和尚は「原始仏教」、「正伝の仏法」

「良寛」禅師は「中国禅」「黄檗宗の禅(中国の臨済宗)」

「  」禅師は、永平寺五十世、瑩山禅師の「日本天台宗、達磨派」「密教禅」

 

 

「良寛」禅師は、本山に逆らい、黄檗禅の立場で、瑩山禅師の禅を批判した。

寺社諸法度の犯罪人になり、

日本曹洞宗から追放され、逃亡者の生涯を送ることになる。

日本曹洞宗の寺には近づかない。他宗の寺や神社に潜む。

当然、日本曹洞宗からは僧籍を剥奪された。

 

兄弟子たちは、本山からの改革、道元への復帰に従うが、

良寛一人が、黄檗宗の禅を変えなかった。本山を批判し続けた。

 

 

 

 

 

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「どん底目線」で生きる―中野東禅さんが読む『良寛詩歌集』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

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「どん底目線」で生きる―中野東禅さんが読む『良寛詩歌集』#1【NHK100分de名著ブックス一挙公開】

中野東禅さんによる、『良寛詩歌集』読み解き

かけがえのない「今・ここ・あなた自身」―ありのままの自分を見つめよ――。

子どもたちと手まりをついて遊ぶお坊さん――として、今なお多くの日本人から愛され続けている良寛。

どん底の立場から世の中を見据えた清貧な乞食僧は、漢詩と和歌を愛し、

亡くなる直前まで「こころの言語化」という精神活動を深めた表現者でもありました。

『NHK「100分de名著」ブックス 良寛詩歌集』では、中野東禅さんが、厳しい競争と経済至上の社会のなかで

「自分」というものを見失いがちな今日、

みずからの姿でもって「人間の座標軸」を示そうとした良寛の生きざまを解説します。

今回は、本書より「はじめに」と「第1章」を全文特別公開いたします(第1回/全5回)

「どん底目線」と「徹底した言語化」(はじめに)

 「良寛」という名を聞くと、多くの人は子どもたちと一緒に手まりをつきながら遊ぶ温厚な老僧の姿を思い浮かべることでしょう。しかし、その思想や生きざまについて問われると、意外に答えに窮する人が多いのではないでしょうか。

 

 良寛の名前が全国に知られるようになったのは

大正七年(一九一八)、新潟県糸魚川(いとがわ)出身の良寛研究家で「早稲田文学」編集者を務めたこともある

相馬御風(そうまぎよふう)の著書『大愚良寛』が出版されたのがきっかけです。

その後、現在に至るまで、良寛についての伝記や児童書が数多く出版されていますが、そのほとんどはこの本が元になっていると考えていいでしょう(そして、その『大愚良寛』の大本となったのが、良寛と生前親交があった

解良栄重(けらよししげ)によって書かれた『良寛禅師奇話』です)。

 良寛の伝記や逸話集を読むと、

諸国を放浪したことや、

寺には属さずに生涯乞食(こつじき)僧として自由な生き方を貫いたこと、

優しい人柄でみんなに慕われたこと、漢詩や和歌を愛したことなど、おおよそのプロフィールや人柄についてはわかります。

しかし、彼自身は生前自分のことをほとんど語りませんでした。

 

 だからこそよけいに好奇心をそそるのでしょう。今も出身地の新潟には熱心な良寛研究家、良寛ファンが多く、地元には市井(しせい)の研究家たちの手による膨大な数の研究書や資料が存在します。そうした良寛研究書のすべてを読破したわけでもなく、「全国良寛会」に所属してもいない私が、良寛についてあれこれ語るのは心苦しい限りですが、本書では

同じ仏道を志す者としての視点や解釈で、彼の魅力を解説させていただければと思っています。

 

 仏教的な視点で良寛の生きざまを理解しようとした場合、以下のようないくつかの疑問が浮かび上がってきます。

まずは「なぜ出家しようとしたのか?」という疑問です。良寛は越後国出雲崎(いずもざき)の名主の家の長男として生まれましたが、十八歳のときに家を飛び出して僧の道を自ら選んでいます。何不自由のない生活から何も持たない暮らしへと、彼を向かわせたものはいったい何だったのでしょうか。

 

 また、良寛は生涯にわたって自分の寺というものを持つことなく、

故郷に戻ってからも乞食僧として生きる道を選んでいますが、

そこには「なぜ乞食に徹した生き方を選択したのか?」という疑問も生じます。

 

 さらに、僧侶は説法や説教という形で、仏の道を言語化して民衆に伝えるのが一般的なのに、

良寛はほとんど説教を行うことがなく、

その代わりに約五〇〇首の漢詩と約一四〇〇首の和歌を残しています(数え方によって数字は異なる場合もあります)。

それを知ると「なぜ表現活動にこだわり続けたのか?」という疑問もわいてきます。

 

 これらの疑問を解いていくためには、二つのキーワードが重要になると私は考えています。

まず一つ目は「どん底目線」です。良寛は誰に対しても決して偉ぶることなく、

常にどん底の立ち位置から社会や人間を観察し、批判眼と許しの眼をもって他者に接しました。

このどん底目線はどこからきたものなのか、

それを知ることで良寛の目指した「悟り」とは何なのかが見えてくるはずです。

 

 二つ目のキーワードは「徹底した言語化」です。良寛はどん底目線から見たもの、感じたものを自分の心の中だけに留めておくのではなく、常に漢詩や和歌で言語化しようと試みています。その理由を探ることで、今度は良寛の表現活動の根っこにあるものが見えてくるでしょう。

 

 本書では、この二つのキーワードを手がかりに、「誰に対しても優しくて自由気ままに生きた」というような良寛の表層的な部分から一歩踏み込んで、「求道者」としての良寛の精神世界や思想について解説させていただこうと思います。なお、本書の『良寛詩歌集』というタイトルは、良寛の残した漢詩や和歌の総称として便宜的につけたもので、良寛自身はまとまった著書を一冊も残していないということを申し添えておきます。

 

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著者

中野東禅(なかの・とうぜん)
僧侶。京都市・龍宝寺前住職、曹洞宗総合研究センター教化研修部門元講師。『日本人のこころの言葉 良寛』『読む坐禅』(ともに創元社)、『仏教の生き死に学』(NHK出版)など著書多数。
※著者略歴は全て刊行当時の情報です。

■100分de名著ブックス『良寛詩歌集』(中野東禅著)より抜粋
■書籍に掲載の脚注、図版、写真、ルビなどは、記事から割愛しております。

*本書における良寛の漢詩・和歌・書簡の引用は、『日本人のこころの言葉 良寛』(創元社)をはじめとする著者・中野東禅の著書や資料によりますが、飯田利行『定本 良寛詩集譯』(名著出版)、東郷豊治編著『良寛全集(上・下)』(東京創元社)などの先行研究も参考にしました。また読みやすさを考慮して、かな遣いは現代かな遣いとし、漢字は新字体を用いたほか、一部漢字をひらがなに変更したところがあります。

*本書は、「NHK100分de名著」において、2015年12月に放送された「良寛詩歌集」のテキストを底本として一部加筆・修正し、新たにブックス特別章「良寛さんの仏教理解」、読書案内などを収載したものです。

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