司馬さんの一押しで李登輝氏を応援 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<3>(産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

司馬さんの一押しで李登輝氏を応援 話の肖像画 モラロジー道徳教育財団顧問・金美齢<3>

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産経新聞

1996年、総統選に立候補した李登輝氏と初対面

《日本語、台湾語(閩南(びんなん)語)、中国語(北京語)、英語の4カ国語を自在に話す。20代のころから通訳として活躍し、多くの要人と接してきた》 夫の周英明と早稲田大のクラスメートによく言われた。「この人、ペラペラしゃべってるけど文法は全然わかってないんだよ」と。確かに文法は苦手だけど、反射神経がいいためか会話は得意で、よく通訳で呼ばれた。稼ぎもいいしね。 早大生だった1962年、台湾に帰省したとき、知り合いの政治家が岸信介元首相と座談会をやるというので通訳を頼まれた。岸元首相には60年安保のときの良くない印象があったんだけど、会ってみると全然違ってすごい紳士。最後に「日本語がお上手ですね」と言われたのを覚えている。このときメディアを通してだけでなく、自分の目で見ることの大切さを痛感した。 《物おじしない性格で交友関係は広がり、評論家としても活躍。台湾の民主化、独立を訴え続けた。その間、台湾では李登輝総統が誕生して民主化が進み、1996年には初の直接選挙による総統選が実施された。事実上、国民党の李登輝氏と民進党の彭明敏氏の対決だった》 それまで日本で報じられていた台湾の政治のニュースといえば、立法院(国会に相当)での殴り合いのような話ばかり。それが初の総統選で、政局も報道され始めていた。この総統選では私は迷っていた。普通に考えれば民主化運動の象徴的人物、彭明敏さんを応援するんだけど、一党独裁を徐々に解除して直接選挙への歴史を開いた李登輝さんこそ、民主化を進める人物ではないか、と。ただ国民党だからねえ。 李登輝さんに強い興味を持ったのは「週刊朝日」での司馬遼太郎さんとの対談。李登輝さんは「台湾人に生まれた悲哀」という表現でオランダや清、日本、国民党と外来政権に支配されてきた台湾人の歴史を表し、旧約聖書の「出エジプト記」を例にエジプトで虐げられていたユダヤの民がモーゼに率いられて脱出、荒野をさまよった末に約束の地にたどり着いたように、台湾人の命運を切り開く、と語っていた。彼はキリスト教徒だからね。 この対談も掲載された、司馬さんの単行本「街道をゆく 台湾紀行」の書評を周英明が書いたのが縁で、司馬さんにお会いすることになり、都内のホテルで会食した。その席で司馬さんに聞いた。「李登輝さんは本物ですか」。司馬さんは「本物だ。彼は命を懸けている」と。これが最後の一押しよね。李登輝さんを応援すると宣言した。

 

 

その後、台湾で開かれた李登輝さんの講演に出席する機会があって、直接話もした。そこでは彼の持つ「台湾人としてのアイデンティティー」を感じることができ、国民党の票だけではなく、台湾人が支持した総統として送り出さなければならないと、決意はさらに固まった。

 

《やはり猛反発が…》

日本でともに独立運動をやっていた仲間からは「裏切り者」とさんざん批判され、黄昭堂(台湾独立建国連盟主席)なんか、「お前さんね。応援するのはいいよ。黙って応援すればいいのに、なんで発表するのよ」って。

 

でもその後の李登輝さんが民主化を大きく進めたのをみれば、私の勘は正しかったでしょ。

 

それにしても司馬さんは博識だった。

愛新覚羅のアイシンは満洲語で「金」を意味するらしく、

祖先は清朝につながるのでは、と。

 

そして「いいお顔をされてます」って。

美人と言わないで、いいお顔って、すごくすてきな褒め言葉だと思って、舞い上がっちゃいましたよ。

 

(聞き手 大野正利)

 

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