何が若者をテロに駆り立てたのか?トランプ暗殺未遂事件の背後にあるアメリカの若者の現実と政治の現実(中岡望) - エキスパート - Yahoo!ニュース

 

 

何が若者をテロに駆り立てたのか?トランプ暗殺未遂事件の背後にあるアメリカの若者の現実と政治の現実

中岡望ジャーナリスト

 

トランプ前大統領狙撃の容疑者トーマス・クルックス(写真:ロイター/アフロ)

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■容疑者の「犯行動機」は不明である/■暗殺未遂事件の政治利用を図った共和党/

■容疑者クロックスとは、どんな人物なのか/■若者に広がる「運命的な悲観論」/■政治が破壊した「アメリカン・ドリーム」/■急増する政治暴力の背景/

 

 

■容疑者の「犯行動機」は不明である

 

 どんな衝撃的な事件も数日もすれば人の記憶から消えていく。20歳の青年がトランプ前大統領の暗殺を試みた。トランプ前大統領は右耳を負傷し、狙撃した若者はその場で射殺された。若者は、暗殺が成功していても、失敗していても、自分が射殺されることは十分に認識していただろう。心の中でどんな風景を思い浮かべながら、銃の引き金を引いたのだろうか。どんな理由であれ、暗殺行為は許されるものではない。しかし、「暗殺者の思い」も知る必要がある。

 

 若者が射殺された今、彼がトランプ前大統領を暗殺しようとした本当の理由を知ることはできない。アメリカの警察は簡単に容疑者を射殺する。現在、ミルオーキーで共和党全国大会が開催されているが、会場の外で一人のホームレスが刃物を持っていたという理由で射殺された。容疑者を拘束するのではなく、躊躇することなく射殺するのである。以前、店舗に立て籠もった容疑者に向かって複数の警官が一斉に射撃する場面を映したニュースを見たことがある。容疑者には何発も銃弾が撃ち込まれた。その時、「そこまでする必要があるのか」と思った。

 

 おそらく今回の容疑者も何発もの銃弾を浴びたのかもしれない。逮捕して、「真相を確かめる」という意識はアメリカの警官にはない。FBIの特別捜査官は「何が動機だったのか調査する」と発表している。「容疑者が暴力的な過激派や陰謀論者となんらかの共謀があったのか調査中である」ことも明らかにしている。

 

 FBIは犯行後数時間、容疑者は20歳のトーマス・マシュー・クルックスと特定した。FBIの特別捜査官は「容疑者が精神的な問題を抱えていた兆候はない」と語っている。押収した携帯電話の通話歴を調べたが、暗殺未遂事件に関連する通話記録は発見できなかった。容疑者は、FBIの「要注意人物」のリストにも載っていない。特別捜査官は「全てのソーシャル・メディアのアカウントを捜査し、何か脅迫めいた言葉はないか探したが、今のところ何も見つかっていない」と説明している。容疑者が過激なソーシャル・メディアに参加していたり、政治活動を行ったという事実はまったく見つかっていない。

 

■暗殺未遂事件の政治利用を図った共和党

 

 共和党の政治家は暗殺未遂事件の原因を民主党に押し付け、政治利用を図った。彼らは、犯人は狂信的な左翼と決めつけ、バイデン大統領やリベラル派のメディアが「トランプ前大統領は民主主義の脅威である」と喧伝したことが、若者をトランプ暗殺に駆り立てたと非難した。だが、後述するように、容疑者クロックスは共和党員であった。これによって、共和党は事件を政治的に利用できなくなった。

 

 共和党は、自分たちが主張する「銃保有の自由」が大きな要因であることには一言も触れない。1981年に共和党のレーガン大統領が暗殺未遂に合った後、銃保有規制論議が始まり、1994年に大統領暗殺未遂事件で負傷した大統領補佐官ジェイムズ・ブレイディにちなんで「ブレイディ法」と呼ばれる銃規制法が制定された。アメリカでは画期的な法律であった。だが今回は、保守派は当然のことだが、リベラル派からも、銃による深刻な事件が起こったら必ず聞こえてくる銃規制強化を求める声は聞こえてこない。

 

 現在、開かれている共和党全国大会の議題のひとつが「国内の安全の確保」である。だが、そこで議論されていることは、「犯罪増加の原因」はすべて「不法移民」であるという主張が繰り返されるばかりであった。不法移民に殺された市民の話ばかりが強調された。一度も「第2のブレイディ法」の制定の必要性を主張する声は聞かれなかった。

 

 国民を分断し、暴力を煽っているのは、トランプ前大統領である。だが、保守派のキリスト教徒エバンジェリカルは、命を救われたトランプ前大統領を「神によって守られた大統領」と神格化している。2016年の大統領選挙でも、彼らは「トランプ候補は神が遣わした候補者」と礼賛している。そんなトランプ支持者に、なぜ若者がトランプ暗殺を試みたのかを真摯に問う姿勢はまったく伺えない。

 

■容疑者クロックスとは、どんな人物なのか

 

 トランプ暗殺を試みた若者は、どんな若者であったのか。FBIは「容疑者はペンシルバニア州ペセルパーク在住のトーマス・マシュー・クルックス(20)であると特定した。調査は現在も進行中である」と発表し、市民に情報提供を呼び掛けた。容疑者は身分証明書を携帯していなかったので、DNA鑑定で特定されたと発表している。クルックス容疑者が住むベセルパークは、事件が起きたバトラーから南に車で1時間のピッツバーグ郊外にある。この町の人口は約3万人で、容疑者が卒業した地元の高校の在校生は約1300人である。容疑者は2022年に高校を卒業し、地元のアレゲニー郡の2年制のコミュニティ・カレッジに進学し、工学を専攻している。2か月前に同大学を卒業している。卒業後、しばらく失業状態であったが、ベセルパーク介護リハビリテーション・センターで食事補助員として働いていた。同センターの関係者は、「彼はちゃんと仕事をし、経歴チェックも問題なかった」と語っている。

 

 高校では進学クラスにはいり、物静かな少年であった。政治的な発言もすることはなかった。在学中、ライフル部へ入部していた。1年生の時、部の代表のロースターになるトライアウトに参加したが、射撃が下手だという理由で選ばれなかった。部の仲間は容疑者について、「決して人の悪口を言わない生徒だった。ここ数日の彼の様子を見ていたら、暗殺事件を起こすなど想像できない」と言う。別の女子生徒は「人気はなかったが、それでも友人グループがあり、教師に愛される優秀な生徒だった。彼が暗殺未遂事件を起こす危険な兆候はなかった」と語っている。別の同級生は「クルックスは政治について語ることはなかったし、トランプが嫌いだといった発言は聞いたことがない」と、政治的な関心は強くなかったという印象を語っている。ただ同級生たちは「クラスの大多数はリベラル寄りだったが、トムは何があっても常に保守寄りの立場を守った」とも語っている。

 

 別の同級生は「彼は賢く、フレンドリーだった。授業中、良く話あった。間違いなくオタクっぽかったが、ハエも殺さないような人物に思えた」と語っている。容疑者は成績が良く、数学と科学で賞を受賞したこともある。ただ、別の同級生は「外見のせいで執拗に虐められ、クラスでは迷彩服を着た孤独な人物だった」と、全く異なった印象を語っている。また「授業の前にカフェテリアに1人で座っていた」、「一人で昼食を食べていることが多かった」とか、「友人はあまりいなかった」という証言も聞かれた。イジメにあっていたいたとの証言もあるが、否定する証言もあり、イジメに関しては定かではない。容疑者の知人は「私の知り合いで、彼が不気味で、孤独な男だと思った人は誰もいない」と語っている。

 

 容疑者はAR型ライフルで狙撃しており、事件当日、50発入りの弾薬箱を購入している。銃は父親が正規の手続きを経て購入したものである。捜査当局は、3個の爆発装置を発見している。2つは容疑者の車の中で、もう1つは自宅で発見されている。

 

 支持政党に関しては、17歳の時、2020年の大統領選挙でバイデン候補が選挙で当選した後、シカゴにある民主党寄りの団体に15ドル寄付をした記録が残っている。18歳の時に共和党員として選挙登録をしている。父親はリバタリアン党支持者で、母親は民主党支持者である。

 

 クルックスの経歴を詳細に調べても、「なぜ彼は、身を賭してまでトランプ暗殺を試みたのか」という謎を解く鍵は見つからない。

 

■若者に広がる「運命的な悲観論」

 

 政治的な要因以外の要因を探すしかないのかもしれない。参考になる記事が『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されている。同紙のコラムニストのミシェル・ゴールドバーグが2024年7月16日に寄稿した「トランプ銃撃犯と増大する若者のニヒリズム(The Trump Shooter and the Growing Nihilism of Young Men)」と題する記事である。そこでは、現在のアメリカの若者が抱える問題が指摘されている。

 

 同記事の筆者は「最近、ポスト・イデオロギー・テロ(イデオロギーと関係ないテロ)が、社会的な孤立、絶望感、アノミー(社会的規範が喪失した状況)という状況と、簡単に銃が入手できる状況が結びつくことで増えている」と指摘する。「今回の暗殺未遂事件は、狂信的な党派な分裂や対立よりも、孤独で、孤立した若い男性が過激化し、純粋なニヒリズム(虚無主義)に陥ったことと関係する」と指摘する。テロや暴力的な行動の背景には、「個人的な屈辱」と「銃への執着心」がある。「クルックスがそうした人物かどうか分からない」としながらも、「彼の恐ろしい、歴史に残るような行動を合理的に説明できないことは不気味である」と書いている。

 

 記事の中で、国土安全保障省でテロや過激派の行動を研究しているエリザベス・ニューマン氏は「テロを行う人にはイデオロギーは二の次で、大混乱を引き起こして世間の注目を浴びたいという欲求が見られる」と語っている。また「オンライン過激派の第3世代」に関する研究をしている外交問題評議会の研究員ジェイコブ・ウェア氏は、「第1世代」はインターネットを通して現実世界に存在する運動についてプロパガンダ(宣伝)を行い、仲間内で秘密裡にコミュニケーションを行った。「第2世代」は、新しいオンライン環境の下で単に「unfriend」か「unfollow」をクリックするだけの関係で構成される閉鎖空間「エコチェンバー」に集まった。「第3世代」にとって組織やイデオロギーは重要でない。彼らの間では「運命論的な悲観論(ドゥーマリズム:doomerism)」が語られている。文明は滅亡に向かって進んでおり、社会的問題や政治的問題の改善は望めないし、人生にも希望が持てないと主張する悲観論と絶望感が支配している。ジャーナリストのエル・リーヴは「若者にとって準備しなければならないのは、この世界ではなく、向こうの世界である。現実の世界が腐敗し、滅びようとしえいるのであれば、道徳的、倫理的な制約に縛られることはない」と、彼らの心情を説明している。それは若者の自殺願望に結びつく。

 

 ハーバード大学公衆衛生大学院は若者の意識調査を行っている(2022年9月15日、「なぜ若者はそんなに惨めなのか(Why are young people so miserable?)」。同報告では幸福度に関する12の指標に関する調査を行った結果、「若年層は、どの世代よるも、低いスコアだった」と指摘している。調査担当者は「若いアメリカ人の長期的なメンタル・ヘルスの危機状況が悪化しているだけでなく、肉体的な健康、社会的なつながりなどの指標も、他の世代よりも悪化している」と語っている。また「若者の不安、鬱病、トラウマ、自殺願望に取り組む必要」があり、「幸福度、健康、人間関係、経済的安定などの指標で「18歳から25歳までの若者は自分たちの生活が悪化していると感じている」と指摘している。

 

■政治が破壊した「アメリカン・ドリーム」

 

 若者が「絶望感」や「悲観論」を抱く背景には「アメリカン・ドリーム」の崩壊がある。公共ラジオNPRは興味深い記事を掲載している(2023年9月14日、「For young Americans, politics breaks the American dream instead of building it(アメリカの若者にとって政治はアメリカン・ドリームを築く代わりに、破壊している)」。アメリカ大学サイン政策政治研究所の若者の価値観に関する調査では、10人のうち6人は親の世代よりも良い生活を送れると期待している(アメリカン・ドリームの定義は世代ごとに生活が良くなると信じることである)。アメリカの若者は教育や地域社会の支援と同時に家族や友人が自分の人生に影響を与える役割を担っていると前向きな評価する一方、半数近く若者が政治制度や選挙制度が自分たちの足枷になっていると答えている。若者たちは、自分たちの話に耳を傾けてもらっていないとか、自分たちの経験が自分たちの将来を決定する政治家に反映していないと感じている。60%の若者は、経済的な不安が将来を制限する要因だと考えている。半数が、不安や絶望感が障害となっていると答え、40%が政府や公共機関に不信感を抱いている。政治制度に対する不信感は根強い。

 

 Pew Research Centerの調査でもアメリカ人の「将来に対する悲観論」と「政治制度に対する不信」の高まりは裏付けられている。2023年9月の調査(Americans are more pessimistic than optimistic about many aspects of country’s future)では、将来の「道徳や倫理観の将来を悲している」と答えた比率は79%、「教育の将来を悲観している」は79%、「人種問題を悲観している」は72%であった。2024年6月4日の調査(Public Trust in Government: 1958-2024)では、「国民の政府に対する信頼感は歴史的な低水準に近づいている」と指摘している。「連邦政府が正しいことをしていると信頼している」と答えた比率は22%に過ぎない。この比率は過去70年間の調査で最低水準にある。

 

■急増する政治暴力の背景

 

 アメリカでは政治不信から「政治暴力」を支持する動きが加速している。ビジネスマンや政治家に影響力を持つサイト『AXIO』は「アメリカで政治暴力が急上昇している」というブルッキングス研究所とPRRIの共同調査の結果を掲載している(2023年10月25日、「support for political violence jumps in U.S., survey says」)。同調査は、23%の人が「物事があまりにも軌道から外れており、真の愛国者は国を救うために暴力に訴えなければならない」と答えていると書いている。驚くべき結果である。共和党支持者の3人に2人は、暴力行使を肯定している。トランプ前大統領の最大の支持層のエバンジェリカルと呼ばれる白人プロテスタントの31%が政治暴力を肯定している。また民主党支持者の84%、共和党支持者の73%、無党派の73%が、アメリカの民主主義の将来に危機感を抱いている、

 

 調査を担当したPRRIのロバーツ・P・ジョーンズ氏は「自分たちが政治権力の頂点に立つべきだという意識があり、選挙でその結果を得られなければ、正しい“結果”をもたらすための全ての行動は正当化される」と、政治暴力を肯定する意識を説明しちる。その端的な例が、2021年1月6日にトランプ支持の右翼勢力が連邦議会に乱入した事件である。やや古いデータであるが、2016年から2020年の間に政治暴力や脅迫件数は約10倍増えている(『Greater Good Magazine』2024年7月8日、「What’s driving political violence in America」)。具体的には、議事堂警察が連邦議員に対する政治暴力として調査した件数は、2016年が902件であったのに対し、2017年は3939件、2021年は9600件以上になっている。同誌は、こうした政治暴力の増加は「トランプ氏が大きな責任を負っている可能性がある。彼の政治への参加は暴力的なレトリックの急激な増加をもたらした。それが容赦ない暴力行為に繋がった」と指摘している。

 

 『The Atlantic』の2023年1月9日の記事「Is Political Violence on the Rise in America?」は、政治暴力の具体的な例を幾つか示している。例えばニューメキシコ州では、選挙で負けた共和党候補が4人の男を雇い、勝利した民主党候補の銃撃を命じた事件が起きている。そして「人々は相手に対する悪感情で動かされる。自分たちの党の価値観を共有し、相手を人間以下、民主主義の脅威とみなす。これらが人々を暴力に向かわせる。暴力が正当化されると信じている」と指摘している。

 

 『The New Republic』の記事「The Trump Shooting: The Most Shocking Act of a Shocking Violent Age」(2024年7月17日)は、「アメリカでは政治暴力の脅威が劇的に増加しており、政治暴力に対する支持が衝撃的レベルに達している。今回のブルックスの行為は孤立したものではない」と指摘している。筆者は「本当の恐怖は人口よりも多い数の銃が多い国での暴力の過激化である。私たちは、非常に暗い時代に入ろうとしていると書きたいところだが、実際にはずっと以前から、その時代に入っており、終わりが見えない」と書いている。

 

 クルックスには、

トランプ暗殺の明確な動機もイデオロギー的な背景もない

と思われる。そうであるなら、

混迷するアメリカの社会と政治が

クルックスという怪物を生み出し、彼に銃の引き金を引かせたのである。

 

中岡望

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp