感謝です。

 

受難物語は、「直弟子ペテロたちが創り出した物語」である。

だから、

・・・マルコにとっては、重要ではない。

 

「犠牲の子羊」でもなく、「キリストの復活物語」もないの、だから。

 

最低限の変更を施しているだけだから、多少の論理矛盾も残っているだろう。

 

 

ただし、マルコにしてもヨハネにしても、歴史的に正確な事実を伝えようというよりも、

どちらも神学的な意味付けから伝えられていた日付に従がっているようである。

 

つまり、イエスの「最後の晩餐」が

ユダヤ教の「過越祭」の「過越の食事」にとって替わるべき

キリスト教の新しい「聖餐式」の出発を定めるものであるなら、

イエスの十字架は「過越の食事」の日でなければならない

 

それに対し、「イエスの十字架」が

「過越の羊」にとって替わるべき、「人々の救い」のために

ほふられた「義性の死」に定めるものであるなら、

「イエスの十字架」は、過越の羊」を屠る「過越の準備の日」でなければならない

 

どちらも、キリスト教における神学的解釈から必要とされる日付であり、

どちらのキリスト教神学にしても、初期教会の時代から提唱されていたものである。

 

なぜ、日付の混同が生じたのか、どのようにキリスト教会の最初期から二つのキリスト教神学が共存することになったのか、確かなことは不明である。

それでも、キリスト教の黎明期から少なくても二つのキリスト教神学が存在していたことは確かであろう。

 

イエスがこの時エルサレムに行ったのは、「過越祭」に参加するためであるから、イエスの死もヨハネ伝承の「ニサン14日」あるいはマルコ伝承の「ニサン15日」、どちらの可能性もある。

 

ただ、当時の政治的宗教的背景に照らして、現実的な視点からすれば、ローマ支配権力にとっても、ユダヤ教権力にとっても、ユダヤ教の最重要祭である過越祭の期間中に死刑執行を行なうことは避けたかったであろう。