独身だったので、1975年から1977年5月まで、秋月老師の自宅での

私塾「真人会」に毎日曜日通っていた。

 

その時期、新約聖書・学者の八木誠一先生と秋月老師とが、

『西田哲学「滝沢克己」が神学者「カールバルト」と激論した点!』

を巡って、禅仏教・者とキリスト・者との立場で、何度も対話を重ねていた。

当時の私には、そもそも、何が問題であるのかさえ、理解できなかった。

 

 

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1909年生まれ、1984年没

九州大学教授、ハイデルベルク大学名誉博士。専門は哲学、神学。

西田幾多郎、カール・バルトの影響を受け、人間存在の根底に横たわる、

神と人との「不可同・不可分・不可逆の原事実」を説く

これは

禅仏教の覚醒の場所に、キリスト教の福音がまさにやってきていた

ということの表明そのものである。

つまり、神と人とは「付かず・離れず・順序を逆にできず」、

人がそれに気づこうと気づくまいと、ただ単に接触していた。

 

これが人間存在の原点であり、

このことの覚醒が、人間をまったく新しい生の生かしへと導く。

人間存在を支えるこの単純な「原事実」に立って生き、かつ語ることを、滝沢は生涯貫いた。

 

「原事実」とは単なる真理の表現に止まらず、滝沢の人間的魅力の源でもあった。

滝沢の語りは極めて多岐にわたり、哲学、神学、仏教、近代文学、経済学、芸術論、日本論、物理学等に及んだ。

晩年はそれらを体系的に見通す「純粋神人学」という独自の学問を構想。

創造の泉から湧くその語りは尽きることなく、未完のことばは無限の展開の可能性をはらんでいる。

 

 

聖書入門 第3巻

マタイ福音書講義 種まく者

1986/12/1 滝沢克己(著)

 

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滝沢克己の世界―NPO法人滝沢克己協会公式サイト (takizawakatsumi.com)

 

6月NPO法人滝沢克己協会総会、講演会、偲ぶ会(等石忌)

6月8日(土) 2時~ 理事長挨拶 小林 孝吉  

講演 芝田 豊彦「 創世記冒頭の神学的釈義――ボンヘッファー、バルト、滝沢克己に即して 」

 

滝沢克己の世界―NPO法人滝沢克己協会公式サイト (takizawakatsumi.com)

 

(1)秋月龍珉の声-西田幾多郎・鈴木大拙と滝沢克己-

2017.10.18

「私が、「西田哲学的思惟」における滝沢先生の業績というのはこのことで、それは西田先生が「歴史的現実」を「場所的弁証法的一般者の自己限定」として捉えるという表現をされていたときに、それに対して次のような鋭い指摘をされたという事実だと思うのです。

 

 「かかる弁証法的実在の動きを<弁証法的一般者の自己限定>として、たんに一元的なもののごとく言い表すことは、はたして適切であるか」『西田哲学の根本問題』昭和11年刊