妻の母親は、白寿(99歳、百ー”一”=白!)で亡くなった。
昨日、7回忌の法要に参じた。
岩手県盛岡市、
南部藩の古刹、日本曹洞宗「報恩寺」
五百羅漢で、観光名所である。
境内には、
海軍大臣、米内光政の運筆による、巨大な「軍鬼碑」がある。
法華経の「観音経」を挙げて、その功徳を、回向した。
盛岡、三十三観音、二十七番、の観音様の前で。
「坐禅の専門修業道場」があるが、現在では、
みんな、永平寺に上って坐禅修業するから、空っぽである。
檀家向けの坐禅会で利用しているだけ。
所謂「葬式仏教」は、大切である。日本人にとって。
久しぶりに、家族が一堂に、会した。
この祖母の孫「全員、三人」、つまり、私の子供達だが、
祖母の話題に花を咲かした。
これが、一番、祖母に対する供養になったであろう。
次の13回忌は、この全員が集まるのは、なかなか難しいだろう。
全員で、記念写真を撮った。
〇 〇 〇
ついでに、
自分のうちの、お墓参りも、三男と一緒に行った。
「墓の位置」を、三男に、キチンと伝えた。
(昔からの、無秩序で墓を増やしていっているので迷路に近い。
檀家は、760軒。高齢化社会で、新しいお墓も多い)
大変お世話になった
源勝寺・第三十三世「祖天・環道」大和尚のお墓も教えた。
勿論、最初にお参りしたが…
「祖道」「天環」…祖師の道、天に環(めぐる)、
文字通りの、素晴らしい和尚だった。
55年ちかくも昔だが、1969年、初めて坐禅を学んだ。
雪道を、早朝、自転車で通ったことも思い出された。
報恩寺の「専門道場」で、坐禅の指導も行っていた。
方丈には、良寛和尚の大きな書が、掲げられていた。
その下で、坐禅が終わった茶話会で、和尚が、お茶を振る舞って下さった。
良寛の書「頑愚信無比」・・・「頑愚、信・まことに、無比」
師匠の「黄檗宗の坐禅」を愚直に守り、
復古主義の永平寺五十世によって、
曹洞宗から永久追放され犯罪者となって逃避行、
他の宗派に隠れ住んだ。
現在は、第三十五世と代わっている。