「人間、生きているだけで大仕事」 お坊さんらしくない住職による、生きづらい人々へ向けた人生訓(AERA dot.) - Yahoo!ニュース

「人間、生きているだけで大仕事」 お坊さんらしくない住職による、生きづらい人々へ向けた人生訓

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南直哉(みなみ・じきさい)/1958年、長野県生まれ。禅僧・老師。恐山菩提寺院代、霊泉寺住職。84年、出家得度。曹洞宗大本山・永平寺での修行生活を経て、2005年から恐山へ。18年、『超越と実存』で小林秀雄賞受賞。著書に『老師と少年』『正法眼蔵 全新...

 AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 

  【写真】「苦しくて切ないすべての人たちへ」はこちら

 

 一般家庭から出家して禅僧になった著者、南直哉さんにも生きる苦しみがあった。その体験と、長年悩みを抱えて訪ねてくる人々を迎えてきた経験から「この世には、自分の力ではどうしようもないことがある。人間、生きているだけで大仕事なのだ」という境地にたどり着いた。「仕方なく、適当に」「万事を休息せよ」「死んだ後のことは放っておけ」など、肩の力が抜ける心優しい人生訓『苦しくて切ないすべての人たちへ』。南さんに同書にかける思いを聞いた。

 

 *  *  *

 

  南直哉さん(66)には10年以上前、本誌〈現代の肖像〉に登場してもらったことがある。彼を訪ねて恐山にも行った。硫黄臭漂う「地獄谷」に衣をはためかせて立つ姿は存在感十分。永平寺の僧堂時代には修行僧への厳しい指導で「ダース・ベイダー」と恐れられたと聞くが、当時のインタビューでは、小さな頃から喘息で苦しみ自殺願望が強かったこと、死なないために出家したこと、師匠との出会いなどを本音で語ってくれた。仏教の教義など「お坊さんらしい」話は一切出てこなかった。 「僕が本を書き始める前もお坊さんの本はたくさん出ていて、仏教の教えは必ず盛り込まれていたものです。でも僕は仏教を語る言葉を変えたかった。もう『いい話』をしてもリアリティーがない。そもそも僕自身に引っかからない。

 

僕は自分の体験に刺さらない言葉は言えないんです。

時々講演が終わった後で、『あなた、仏教の話をしないでいいんですか?』と言われることもありますね」

 

  話さないのではなく南さん流でちゃんと話しているのだが、世間は「お坊さんとはありがたい話をするもの」と思い込んでいるらしいのだ。

 

ある中学の講演会では「夢だの希望だのと、たわけたことをぬかすな!」と言って中学生から大拍手を受けたことも。

 

 

 

「今の30歳くらいまでの人たちは、『前向き』とか夢や希望なんて言葉は

まともに聞いてないと思いますよ。

当然でしょう。

たとえばウクライナやガザのような問題が起き

テクノロジーが世界を変えてしまって、

これまで問わなくても済んだ問題が次から次へと出てくる。

 

こういう時は前向きなことを言うよりも、

一旦立ち止まって考えたほうがいいんです」

 

 

  本文では、自分の体験や修行時代、さまざまな人との出会いなどのエピソードを通じて、

生きづらい人々に語りかける言葉が並ぶ。

 

人間や人生とは「そんなもの」であり、襲いくる困難をやり過ごし、

肩の力を抜いてゆっくり歩けばいいとささやくようだ。

 

そんな南さんのところには、以前から悩みを聞いてほしいとさまざまな人が訪ねてくる。

 

  心配なのは最近の若い世代に暗い話をする言葉の力が落ちていることだという。いわゆる「いい大学」を出て「いい会社」に勤めている人が南さんを前にしても自分のつらさを語れない。

 

「明るく楽しくしていないといけない」という強迫観念があるのだろうか。

 

 「こちらがあれこれ想像しながら言葉を引き出さないといけない。

私は感情って液体だと思っていて、

言葉という器がないと味も匂いもわからないし、人には通じないんです」

 

  今、人々は頑張っている。頑張りすぎて心身を壊すほどに。

順調な人でも人生には必ず何かが起きる。

そういう時に何か考える糸口が欲しい。 

 

だから『かかりつけのお坊さん』を作ればいいんですよ

 

  当面、その代わりになってくれそうな本である。

(ライター・千葉望) ※AERA 2024年7月1日号

千葉望

 

 

 

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