日本人にとって「瑩山」禅師こそが一番偉い!

 

米作農耕民族「祖霊信仰」を

最澄の始めた「日本天台宗」の中から、

最新の仏教である「インド密教と中国禅」を融合させて、理論化した。

主著『伝光録』が、その骨格である。

 

天台白山系等のルートで、日本列島に布教した。

 

同時に、道元の「原始仏教」は、完全に封印した。

これは、絶対に必要な事であり、かつ、日本人にとって正解だった!

 

江戸時代の初期で、

つまり、1300年から1600年までの300年間で、

この「日本天台宗、達磨派=現・日本曹洞宗」は、

「1万7千ヶ寺もの大教団」に、発展していた。

 

初祖「大日・能忍」に感謝!

 

 

〇 〇 〇

 

同じ仏教でもインドとも中国とも異なる日本の仏教は、どのような変化を遂げて成立したのだろうか。

本書では6世紀中葉に伝来して以来、聖徳太子、最澄、空海、明恵、親鸞、道元、日蓮など数々の俊英、名僧によって

解釈・修正が加えられ、時々の政争や時代状況を乗り越えつつ変貌していった

日本仏教の本質を精緻に検証。

それは我々日本人の思想の核を探る知的興奮に満ちた旅でもある。

 

==或る書評より

〇鈴木大拙、道元、法然を読んでいると、一口に仏教と言ってもかなり違いがあるので、日本仏教の通史を手際よく整理した本はないかと探していたところ、本書に出会った。当初の目的は十分に果たすことができた。わかりやすく行き届いた通史だと思う。

本書のポイントを記せば次のとおり。

〇インドで生まれた仏教は、中国を経て日本で受容する過程で、独特の変貌を遂げている。日本仏教の特徴は、

①法や僧よりも仏の崇拝が中心である、

②理論よりも現世利益と死者供養を重視する、

③古来の神の崇拝と一体化することにある。

〇当初の仏教は個人が厳しい修行を実践するものであったが、それで飽き足らない人々が紀元前後に新しい宗教運動として大乗仏教を起こした(つまり大乗仏教は釈迦の直接の教えではない)。

出家修行をしたものでなくても悟りに達すると説き、

自分だけでなく一切衆生を救済しようと言う利他の精神が根本であると説いた

(既存仏教はその反対)。

〇日本では、平安仏教(最澄、空海など)への人々の関心は薄く、鎌倉の新仏教(法然、親鸞、日蓮、道元など)から関心が高くなる。それは、

第一に平安仏教は貴族の仏教、鎮護国家の仏教であったのに対して、鎌倉仏教によって民衆のものになった(易行化)と言う面、

第二に、祈祷仏教であった平安仏教が、親鸞、道元になって宗教哲学としての内容を備えるようになった、という面とがある。

〇法然は、称名念仏を唯一の正行としたが、親鸞は、阿弥陀仏を信ずることが絶対だとして、

重点を「行」から「信」に移した。

仏教はそもそも修行をして悟りを目指すものだから、こうなると正統的な教えとは言えない。

このような、信仰中心、出家主義の否定、民衆中心主義は、ルターの宗教改革に通じるものがある。

〇なお、仏教は悟りを開いたからと言って別の世界に入るわけではない。

つまり悟りとはこの世界の認識の転換であり、仏教は存在論ではなく認識論である。

〇江戸時代になると、仏教は体制に組み込まれる。寺壇制度による政府による農民把握の一端を担い、

また本末制度によって、寺のヒエラルヒー確立を通じて財政基盤を確保した。

また、葬式仏教化して、仏教は堕落したと言われる。

葬式仏教化については、こう理解すればよいらしい。

古来の日本では死は穢れであり、新しい死者の魂アラタマは人に危害を加える危険な存在であるが、

これがまつられ鎮められるとニギタマとなり、さらに年月が経つとカミとなる。

仏教は外来のカミとして、この穢れの部分を引き受け、

アラタマを無事にあの世に導く役割を担った(日本の神道の得意でないところ)。

追善は、もう善行をできない死者のために変わって善行をなし

その功徳を死者に届けるという意味があるという。