「瑩山」禅師こそが、日本仏教史上、最大の改革者である!
空海や最澄や、ましてや道元ではない!
「ご先祖様信仰」で、日本人は安心して死ねるようになった!
他の宗派も、これを完全に真似たので、全ての日本人を救ったのだ。
「日本天台宗、達磨宗派」初祖「大日・能忍」禅師が、
「無師独悟」で「天台密教、梵我一如のお悟り」を開いた。
それから「懐鑒」「義介」と「嗣法」して「瑩山」禅師は「五世」である。
「道元」和尚の「原始仏教=正伝の仏法」とは、全く異なる。
だから、瑩山禅師は、道元の「原始仏教」を完全に封印した!
最先端の中国の臨済宗の儀式を参考にして、
日本人の「死者と死の克服の手続き」として、
最初の段階で、
まだ「死者の魂」が空中で浮遊している時期「中有」において、
戒を授けて「仏弟子」にして、「戒名」を与える。
次の段階で、
導師が「死者」に引導を渡して、三途の川を越え「彼岸・仏の世界」に届ける。
その後は、
「死者」は「ご先祖様」という「神様仏様」となって、
子孫を見守り、恩恵を施して下さる存在として現れる。
「お盆」や「お彼岸」や「月命日」や「回忌法要」や、・・・
ご先祖様と親しく交流する。
これで、
全ての日本人が「安心して、死ぬことが出来る」ようになった。
そして、
「お盆」や「お彼岸」は、
全ての日本人の「共通の宗教」になった。
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父は、1980年に、胃癌でなくなった。
仕事が忙しくて、一度も癌検診を受けたことがなかった。
(全身に転移していた)
南部藩の城下町の「寺町」
日本曹洞宗の源勝寺第三十三世、石亀環道和尚によって、
大変立派な戒名「徹真・道敬」を授かった。
「引導の言葉」で、この父を非常に褒めていた。
その最後に、
(迷わず成仏せよ!の意味で)鋭い声で、
「喝!」と引導が渡された。
父は、学歴が「尋常小学校」卒だけであって、
県庁職員として、下積みから、非常に頑張って来て、
仕事一筋であった。
「観光・立県」のスローガンから、
(近くに、有名な「花巻温泉」がある)
花巻航空の「県空港管理事務所」開設を準備して、
そのまま「初代所長」に就いた。
職員はたったの(自分を含めて)3人だったが。
長男の私が、この「引導の巻物」を記念に欲しいと、
和尚にお願いしたら、
「今まで、そんなことをいう人はいなかった」、
と、やんわりと断られた。
「引導」は、父・本人だけに意味のあるものである!